八話 桜花爛漫なる終わり、常夏の光を待ちわびて
感覚は、宙に浮いている。
地面が揺れ、黒い水が家々を飲み込んでいく。
昨日まであった街が、形を失う。
喜び、恐怖、悲しみ、祈り、後悔。
さまざまな感情の音だけが、耳をかすめる。
食べるはずだったバースデーケーキは流され、目の前に現実とは言い難い地獄が広がっていた。
そのすべてに、実感がなかった。
◆◇◆
目を覚ましたとき、そこはベッドの上だった。
手には、まだ夢の感触が残っている気がする。
窓の外には、見慣れた街。
変わらない景色。
それなのに――
「……なんでだろうな」
ほんの少しだけ、寂しさが残った。
◆◇◆
朝の廊下には、柔らかな光が差し込んでいた。
病み上がりの体には、それがやけに心地いい。
教室の扉を開けた瞬間。
「春斗!!」
やけに通る声が響いた。
「復活したか!我が仲間よ!」
「治って、よかったね〜」
「おかげさまでな」
いつも通りのやり取り。
春斗は席に向かうと、ゆいの席でゆいと茜がカードを広げていた。
「なんだそれ」
「あぁ、これ?名前をつけてあげるゲーム」
山札から一枚めくられる。
緑色のアフロのキャラクター。
「しん……」
「深淵の森を護りし戦士ベルゼビュートォ!!」
くしゃっと笑う茜。
「こんな感じ」
「ゆい圧倒的有利なゲームだな」
ゆいは誇らしげに胸を張っていた。
「見たか!これが我が禁術だ!」
「長い名前ならそりゃ強いだろ」
「短くとも無双できるぞ!」
そのやり取りに、茜がくすっと笑う。
「元気になってよかった〜」
「ただの風邪だよ」
「それでも、だよ」
小さく息を吐く茜。
それを見て、春斗は鞄を机に置いた。
椅子に座る。
――いつも通りの教室。
なのに。
(……なんだか、違うな)
◆◇◆
一時間目。
先生の声が淡々と流れていく。
ノートを取りながら、ふと横を見る。
ゆいは――
「……」
真剣な顔で何かを書いていた。
(珍しいな)
少しだけ期待して覗くと。
びっしりと描かれた魔法陣。
「何してんだお前」
「授業内容を魔術式に変換している」
「ただの落書きだろ」
むっとした顔。
「違うぞ!これは知識を我が力へと昇華する――」
「静かに」
先生の声。
「……すみません」
素直に頭を下げるゆい。
小さな笑いが、周囲から漏れた。
授業が終わり、春斗は休んでいた分の板書を求めて茜の元に向かっていた。
「ノート、見せてもらえるか」
「いいよ。写真送る?」
「すぐ終わるから大丈夫だ」
ノートを写し始める。
その様子を、ゆいがじっと見ていた。
「……なんだよ」
「我にも見せろ」
「さっき書いてただろ」
「我のは魔術用だ。これは現世用だ」
別のノートを差し出してくる。
「用途分けしてるのかよ……」
ページを開く。
――ほとんど白紙。
春斗は深いため息をする。
「……俺が写しとく」「いいのか?礼を言おう!」
ノートを受け取り、書き写す。
その横で、ゆいが春斗のノートを見て――
「……字、綺麗だな」
「そうかよ」
思わず、少しだけ笑った。
◆◇◆
図書室。
扉を開けると、あの静けさが広がる。
「……静かにしろよ」
「うむ」
頷くゆい。
本を開く。
ページをめくる。
――静かだ。
(……あれ?)
横を見ると、ゆいがちゃんと本を読んでいる。
(成長したな)
そう思った瞬間。
「……んん……!」
「……静かに」
「……!(こくこく)」
変わっていない。
「よくなってよかったですね」
驚きの勢いそのまま、春斗の首が回る。
「いつのまにいたんだ!?」
いつの間にか、春斗の後ろに柊一が立っていた。
「皆さんのために、席を用意しました」
案内されたのは、図書室の奥。
半地下の部屋だった。
本棚がぎっしりと並び、少しだけ光が差し込んでいる。
「こんな場所、あったんだな」
「ここなら、多少騒いでも問題ありません」
「おおぉぉ!基地にするぞ!」
はしゃぐゆい。
その横で、春斗は少しだけ眉をひそめる。
「掃除させる為に俺らをここに連れてきただろ」
「あぁ、バレました?」
柊一がさらに
「最近、管理を継いだんですが、先輩達はほとんど放置して掃除すらしてなかったらしく」
「一人でやるには人手が足りないから手伝ってと」
茜が得意げに腕を組む。
「ふふん、我ながら名推理」
「話が早くて助かります」
春斗は少し考えた後、髪をかきながら、ため息を吐く。
「……やるか」
昼休みは、掃除で潰れていた。
◆◇◆
帰り道。
夕焼けが街を染めている。
「今日の任務も無事完了だな!」
「掃除だけどな」
いつもの会話。
でも――
「春斗」
少しだけ、違う声。
「なんだよ」「昨日、ちゃんと寝れたか?」
一瞬、言葉が止まる。
「……まあまあ」「そうか」
それ以上は何も聞いてこない。
その瞬間、風が少しだけ優しく吹いた気がした。




