49✤影
兄様は腕を伸ばし、誰かの名を呼んだ。
すると、その腕に一羽のフクロウが止まった。サディアスではない使い魔のようだ。
「この子はガネル。僕の使い魔は二体いるんだ」
「ミシェル様、どうぞお見知りおきください」
白いフクロウはとても礼儀正しかった。サディアスとは全然違う。
「サディアスは……?」
「出てこないんだ。あの子も優秀だけど気難しいからね」
「そう……」
もう私の前には姿を見せてくれないのだろうか。
こちらが悪かったのだから、寂しいと思うのは勝手だろう。
兄様は大きく深呼吸を繰り返していた。私の視線を感じた途端、一度口をグッと引き結ぶ。
「じゃあ、行こう」
「ええ」
兄様の差し出した手を握る。
「こうして手を握れるような距離にいれば、僕の力の方が勝つから、おかしなところへ飛んだりしないよ」
「うん……」
そうして、私たちはあの川のほとりへ向かった。
私だけではこう狙った場所へ的確には向かえなかっただろう。
これまでの私の転移はかなりでたらめなものだった。
私と兄様は川に降りる。そこは陸地ではなく、水面の上だ。
カーディフと同じように水面に立っているのは、兄様の力だろう。
木々がざわついた。この世界を造った兄様がいるのに、何故かこの場所は私のことも兄様のことも受け入れてはいないような気がした。
ロドリックの乗る舟はここから見えなかった。まさか沈んでしまったのではないかと考えて恐ろしくなる。
その考えを吹き飛ばすように首を振った。
川底から、またジワリと黒色が滲んでくる。その色はまるで意思を持った生き物のようだ。
その色に気を取られていると、いつの間にかカーディフが水面に浮いていた。
黒いローブの寂しい姿。その顔はやはり見えなかった。
「……来たんだね」
ポツリ、とカーディフが言った。
「ええ。ロドリックを取り戻しに」
私が答えると、カーディフは軽く首を揺らした。
カーディフは、私ではなく隣の兄様を見ていた。
「ロドリックの呪いを解きに来たんだ」
これを言った兄様の声は震えていた。兄様は、カーディフが心底怖いのかもしれない。
カーディフは兄様を怖がっているふうには見えなかった。
「そのためには僕を消さなくてはいけない。――それができるのならね」
消すというのは、殺すということだろうか。
だとするのなら、私や兄様のような平和な世界の住人には確かに難しい。人を害することに慣れてはいないから。
「……あなたは消えたくないでしょう? それなら、消えずに済む方法を探すから、ロドリックを返して」
戦うとは言えない。
どうしてか、カーディフには常に悲しみがつきまとっているように思えてならなかった。
あの絵本の中の魔法使いサディアスは、赤い月の力をすべて使って〈影〉を消したかもしれないけれど。
私の言葉に戸惑ったのは、カーディフではなくて兄様だった。
「ミ、ミシェル、それは……」
そうしたら、カーディフは高らかに笑った。その声を聞いた途端にようやく気づいた。
カーディフはフードを取り払った。そこから覗いたのは、〈兄様〉。
テレンス・エアハートの素顔だ。
ただし、髪は黒く、目も黒い。顔色は血の気を帯びていなかった。
振り返ると、美しい容姿の兄様の方も顔面蒼白で震えていた。
「兄様、どういうこと?」
どちらが本物の兄様か。
私の直感が当たっているのなら、この美しい容姿を備えた王が兄様だと思える。
ただし、カーディフにも兄様としてここにいる。
王の兄様は唇を震わせながら言った。
「あれは僕の、僕自身が要らない部分なんだ……。醜くて、卑屈で、本当は妬みっぽい、そんな僕の」
手強い敵を作る、その戯れが作った存在。
本当に、カーディフは〈影〉だった。
兄様の影なのだ。




