48✤宝物
これまでの人生で一番兄様に呆れてしまう瞬間だった。
私たちの苦しみは一体なんだったのかと。
ため息が止まらない。
「それで、ロドリックは連れてくるつもりじゃなかったんでしょう? 巻き込まれただけなのよね?」
「うん……。今回の満月がたまたま夜会の日でずらせなかったんだ。ミシェルだけを城へ招待するつもりだったんだけど上手く行かなくて。ごめんよ」
「最初、あの無人の屋敷に置き去りにしたのはわざとじゃないのね?」
オーズリー家の屋敷とそっくりなのに家財道具もない、人もいないあの不思議な空間。
あそこになんの意味があったのか、今になって語られる。
「いきなり場所が変わりすぎるとミシェルが怖がるかと思って、オーズリー家の庭を再現したんだ。でも、あれは急ごしらえだったから……。僕があの屋敷へ行ったのは初めてだし、大体こんな感じだったかなってあやふやなまま造ったから、屋敷の中の家具まで追いつかなかったんだ。人間も別に要らないかなって」
まさかの、家具や人が存在しなかった理由が兄様の手抜きだとは。
「現実世界の人間を呼んだのが初めてなのもあるけど、多分ミシェルの力が反発するのもあって、招待するのに全然上手く行かなくて。僕が干渉するとかえっておかしなことになって困ったよ……」
思い当たる節はいくつかある。
「おかしなことって、急に森に出たり、昼夜逆転したりとか?」
「うん。ミシェルはこっちから勝手に魔法をかけると僕の力を乱すみたい。やっぱり同じ血を引く魔法使いの家系だからかな」
それで兄様は領主たちに触れを出して私を連れて来させようとしたのか。おかげで散々な目に遭ったけれど。
この際だから気になることはまとめて訊いておくことにした。
「森の中でレトロな装備の騎士が亡くなっていたけれど、あれは誰?」
「えっ? 騎士かぁ。……ほら、あの絵本の中にも騎士が出てきただろう? 最初の頃にそんなのも作ったけど、魔法使いを増やしたら存在感がなくなって忘れてたかも。騎士団を作るまでは行かなかったし、多分僕が作った一番最初の人だね」
私が指摘するまで忘れていたようだった。あまりにも扱いが雑でひどすぎる。
あの騎士は兄様に忘れられたまま、森の奥でひっそりと息絶えたのだ。
けれど、彼の剣がなければ私たちは生きていなかったかもしれない。
不遇な騎士に私は感謝することしかできなかった。
「せめてお墓くらい作ってあげて。可哀想だわ」
「う、うん」
兄様にとってこの世界の人間は、現実世界の人間と同じではないのだろう。
例えば人形のようなもので――。
それでも、何も知らずに接した私にとっては皆は普通の人間だった。この扱いはひどい。
兄様は私の非難を感じたのか、首をすくめた。
「それで、魔物が悪さをするようになってしまって、何も知らないままだと危ないから、僕の使い魔をミシェルのところへ遣わしたんだ。僕の存在は出さないようにして」
これを聞き、思い当たる存在はサディアスしかいなかった。
「サディアスのマスターって、兄様なの?」
サディアスはマスターとは喧嘩別れしたと嘘をついた。
本当のことを言わなかったのは、マスターがそう仕向けたからなのだろうか。
兄様はしょんぼりとしたまま認めた。
「うん。……これも誤算だったんだけど、ミシェルがまさか『サディアス』の名を与えると思わなくて」
「えっ?」
「これは僕が与えた名と同じなんだ。それによって、サディアスの契約はふたつに割れてしまった。本来であれば先に交わした僕の契約が上に来るはずだったのに。だからサディアスは、完全には僕の言うことを聞かなくなったんだ。ミシェルからロドリックを引き離してほしいっていう僕の望みとは違う、ミシェルの願いを優先することもあったんだよ」
ロドリックを助けたいと言い出した私を、サディアスは渋々助けてくれるようなこともあった。
あれは本来の主である兄様の命令に背いていることだったらしい。
私のためにサディアスは協力してくれていたのだ。今になってそれがわかった。
「何も知らなくて、あの子にはひどいことを言ってしまったわ。もう私のところには来てくれないのね……」
私よりも力のあるマスターである兄様に頼まれていたのだ。サディアスはそんな中でも私のことを考えてくれていたのに、頭ごなしに否定してしまった。
いつでも私は自分が傷つくと耳と目を塞いでしまう子供のままだ。
せめて謝りたいけれど、今はロドリックのこともある。
差し迫った問題が多すぎて頭が痛くなった。
「ロドリックがカーディフにかけられている呪いを解除できるのは兄様だけなんでしょう? 彼を助けて」
あんなにも仲が悪かったのにとは言われなかった。
今、私が彼のことをどう思っているかについて、兄様は疑問を持っていないらしい。
見慣れない整った姿のまま、困ったように言われた。
「はっきりと見たわけじゃないけど、この国で起こったことは僕にはなんとなく感じられるんだよ。それで、ロドリックはその地に縛りつけられる呪いを受けたっていうのはわかってる。ただ、今の僕がカーディフに勝てるかって言われると難しいんだよね……」
「それで私を呼んだって言ったわよね。じゃあ、私が一緒なら勝てるの?」
これを言ったら、黙られた。
「勝てないの?」
それでは困るのに。
私は兄様の白いローブをグイッと乱暴につかんだ。
「兄様、いつまでこの姿でいるの? こんなの変よ。話しにくいから元の姿に戻って」
「い、いや、この世界にいる時の僕はこの姿でしかいられないんだよ」
そういうふうに〈設定〉してしまったからということなのだろう。
仕方なく兄様のローブから手を放した。
「兄様は自分の容姿が嫌いなの?」
だからそんな設定をしたのだろうとしか思えなかった。
これを言ったら、兄様はカッと目を見開いた。心なし震えているのはどんな感情からなのだろう。
「ああ、嫌いだよ。〈向こうの僕〉を見て素敵だって思ってくれる女性なんていないだろう?」
穏やかな兄様にしては珍しく、吐き捨てるように言われた。
「外見だけじゃない。内向的で、人前では上手く喋れない。いつも受け身で勇気がなくて、その上財産もない貧乏貴族だ。僕に才能があれば一財産築くことだってできたかもしれないけど、青い月の世界じゃ僕は愚鈍なだけなんだよ」
「才能って?」
「天が与える、生まれ持った才能だよ」
「こんな世界を造ったのに、才能がないなんて思うの?」
「うん、この世界ではね。でも、青い月の世界ではできないから意味のない才能だ」
兄様は自分が貴族に生まれついたことを幸運だとは思わないらしい。
貧乏だとしても、伯爵位なんてほしくても持てない代物なのに。
ないものねだりをして、理想を追う。そうしてできたのがこの世界だ。
際限のない欲は満たされることがない。それに気づくべきだろう。
この世界は、兄様にとってとても優しい世界なのだ。
「この世界は兄様の救いなのね?」
「そうだよ。大事な宝物だ」
あの魔法の絵本を大事に読み続けた兄様。
その気持ちを否定してはいけないのだろう。けれど――。
「……私の宝物の話をしてもいい?」
私がそう切り出すと、兄様は意外そうに目を瞬かせた。
「うん、もちろん。ミシェルの宝物って、真珠の首飾りとか?」
あんなに一緒にいたのに、兄様は私のことをそれほどわかっていないのだ。私は装飾品に興味がないのに。
苦笑して首を振った。
「いいえ。……どんな時でも私のことを考えて守ってくれた人。私がひどいことを言っても見捨てなかった、大事な人。彼がいないと私はもう自分ではいられないの」
兄様は私の告白にぽかんと口を開けた。
それでも私は兄様に訴えた。
「私と一緒にロドリックを助けに来て。彼と一緒に帰りたいの」
あの夜会で別れた時と今の私とでは、兄様にとって別人のようになってしまったのかもしれない。
あれほどロドリックを嫌っていた私はもういない。
彼を求める私は、兄様にとって他人よりも遠い存在になったのだろうか。
「……あのさ、この世界に来て、ミシェルは少し勘違いをしたのかもしれない。吊り橋効果っていうのかな? 一緒にいたのが別の人間だったら、その人のことを特別に思ったのかも。一緒に危機を乗り越えて、それで恋と勘違いしているなんてことは?」
私の口からこうして聞くまでは、二人の関係を鵜呑みにできなかったのかもしれない。それでもまだ認めてはいないふうだけれど。
「……他の誰だったら、私のことをあんなに大事にしてくれなかったわ。多分、ロドリック以上に私を想ってくれる人はいないの」
兄様から目を逸らさずに気持ちを伝えた。
感情が上手くコントロールできなくて、涙が滲む。
そうしたら、兄様は私を憐れむような表情を垣間見せ、それからつぶやく。
「カーディフに立ち向かうのはとても大変なことなんだけど……妹を悲しませるのは僕も苦しい。わかった、行こう」
その決断に、私は兄様の手を握りしめて感謝した。
「ありがとう、兄様!」
けれど、その手は震えていた。
「僕が逃げないように背中を……頼んだよ」
うなずいて見せたものの、兄様の怯えた様子に不安を覚えてしまった。
それでも、手に入れたい願いがある以上、引くことはできない。




