46✤仮初
広い空をサディアスと一緒に飛ぶ。
速度を出していたせいもあってか、だんだん自分が息切れしてしまっていることにも気づいた。
「あと少しだよ、頑張って!」
そう励ましてくれるけれど、これ以上は無理だった。
私は地上に落ちていく。
「あっ! ミシェル!」
軽い私の体は風に攫われる。サディアスが私の落下を和らげてくれたのか、地上に叩きつけられることはなかった。
けれど、鳥の姿を保つことができずに元の姿に戻っていた。
「ちょっと無理がかかったね。休んでいこう」
サディアスは鳥から青年の姿になった。
ここは何もない土の上だった。王都に近づいてはいるはずだけれど、どの辺りだろう。
「ごめんなさい……」
ポツリ、とつぶやくと涙が止まらなくなった。
ロドリックが隣にいないと、私はこんなにも弱いのか。
今、この時にまたカーディフが来たら立ち向かえる気がしない。
私は地面に手を突いたまま立ち上がれなかった。
サディアスはそんな私の隣に膝を突き、空を見上げている。
「月が輝くと僕たちも力を増すけど、それはあいつらも同じだしね」
赤い月は魔力を秘める。
けれど、私たちの国の月は青かった。
あの日の月は青くて丸い月だった。それだけはしっかりと覚えている。
この国の月は満ち欠けせずにずっと丸いのだとサディアスは以前言っていた。
――どうしてそれに、よりによって今気づいてしまったのだろう。
「ねえ、サディアス。この国の月は満ち欠けしないって言ったわよね?」
私はどんな顔をしてこれを尋ねているのだろう。自分でもわからない。
「うん、そうだよ」
サディアスは肯定した。
「どうして欠けない月の国にいるあなたが、月が満ち欠けするものだって知っているの?」
ザッ、と空気が変わったのがわかった。
サディアスの赤い目が見開かれる。それがゆっくりと細められた時、私は初めてサディアスに恐怖を覚えていた。
「やだな、ミシェル。どうして……そんなところに気づいちゃうかな」
口調はいつもと変わりなくおどけている。
けれど、明らかにこれまでとは違った。
心臓が荒れ狂った嵐の中に置き去りにされたような心細さだった。
今の私にはロドリックもおらず、サディアスだけが頼りだったのに――。
「……あなた、本当はなんなの? 私と出会ったのは偶然なんかじゃないのね?」
私の心が以前よりも硬くなり、間にあったはずの信頼が揺らいだことをサディアスも感じ取ったのだろう。小さくため息をついた。
「まあね。ぼくは野良なんかじゃない。マスターと喧嘩別れしたってのも嘘だよ。……ぼくのマスターの命でぼくはミシェルを迎えに行っただけ。ミシェルだけを連れていかなくちゃいけなかったんだ」
予定外の存在であるロドリックはいてもらっては困ると。
今、サディアスがロドリックを助けなかったのは、本当に仕方のないことだったのだろうか。
この道筋でカーディフと遭遇したのも偶然ではないのかもしれない。その上で、わざとロドリックを置いていくように仕向けたのだとしたら許すことはできない。
「嘘つき……」
思わず言ってしまった。
サディアスの目が僅かに揺れたけれど、それがどんな感情によるところなのかはわからない。
「うん、ごめん。でもぼく、ミシェルのこと嫌いじゃなかった。ミシェルがぼくに名前をくれたあの時から――」
まるで罪の意識を感じているかのように悲しげな声を出す。
頭が割れそうに痛くなって、私は耳を塞いだ。
もう、何を信じればいいのかわからない。
サディアスは、私の味方ではないのだ。
「やめて! もう私の味方のふりをしないで!」
叫ぶと、サディアスは口を閉じた。そして、その姿は霧のように薄れて終いには消えた。
傷ついたのかもしれない。けれど、それは私も同じだ。
サディアスは〈本物の主〉の使い魔で、私とはかりそめの契約でしかなかった。あの子の主はあの子をなんという名で呼んでいたのだろうか。
――この何もない土地ですべて失った私は、へたり込んで風に吹かれていた。
止めどなく涙が零れそうになるけれど、それを拭って立ち上がった。
ロドリックを救い出し、元の世界に帰るという目的が私を奮い立たせる。
まだ終わっていない。
使い魔はいないけれど、何もできないということはないはずだ。
私は空に向けて祈った。
月は応えない。
それでも私は、自分の足で歩くしかなかった。
どんなことをしても前に進みたかった。そうすることでしかロドリックを救う手立てがないのなら、どこまでだって歩く。
こうしているうちにカーディフが追ってくるかもしれない。怖くないかといえば、怖い。
けれど、それを認めてしまえば動けなくなる。だから私はなるべく考えないようにして、拳を握り締めて歩いた。
何もない硬い地面の上、疲労からなのか足がもつれて転んだ。
「……痛い」
つぶやいたところで誰もいない。
力強く手を引いてくれるロドリックも、慰めてくれるサディアスもいないのだ。
自分の痛みには魔法も効かないのかもしれない。
膝と掌を擦り剥き、まるでお転婆だった子供の頃に戻ったようだった。こんな痛みで泣くような子供ではなかったはずなのに、今の私には耐えがたい痛みのように感じられた。
それほどまでに心が弱っている。
泣いてもいいから、泣いた後には立ち上がろう。
だから、少しだけ――。
座り込んで月を見上げると、不意にちかちかと光が散った。月の方か、私の方か、力が戻ったのだ。
とにかく、城にいる王に会わせてほしいと願った。
その願いはやっと叶えられた。




