45✤独り彷徨う
「ロドリック?」
黒い水がロドリックの半身を濡らし、染め上げている。驚いて手を伸ばしかけると、それをサディアスが止めた。
「駄目だよミシェル! ミシェルまで引っ張られちゃう!」
「どういうことっ?」
ロドリックの顔色はあり得ないほど白く、血が通っていないように見えた。
ゴホ、ゴホ、とまた咳き込む。口を押さえた指の間から黒い水が滴る。私は、目を見張ることしかできなかった。
いつの間にか、手を触れられそうなほど近づいていたカーディフが、なんの感情も浮かべないままつぶやく。
「呪いを受けたのは彼だけか。残念だ」
「呪い……?」
おぞましい言葉に身震いしてしまう。
それでもカーディフは淡々と告げた。
「この水辺から出られない呪いだよ。その小さな舟に乗って永遠に彷徨うしかないんだ。本当は君にかけたかったんだけど」
それは、ここを出て元の世界に帰れないということなのだろうか。
そんなことはあってはならない。
「サ、サディアス、呪いってどうやって解くの?」
声が震えないようにするのが精いっぱいだった。それでも、サディアスは首を振る。
「ぼくたちじゃ無理かな。王様ならわかんないけど」
「それって、ロドリックをここに残して王様に会いに行かなくちゃいけないってこと?」
サディアスは答えなかったけれど、そういうことでしかない。
こんな状況でロドリックを独り残していく。彼がどれだけ強い精神力を持っていたとしても、平気なはずがない。
愕然とする私に、カーディフは感情を込めずに続ける。
「彼を見捨てて行く? それとも、一緒に漂う? それは君次第だけれど。ここで別れたら二度と会えないかもしれないね」
これは事実か、虚偽か。
それを私に見抜くことはできない。
ただ、ロドリックの手が黒く変色しているのが見えて息が詰まった。
ロドリックはぼんやりと自分の手を見て、それから私を見た。
どうして今、ここで彼は微笑んだのだろう。
まるでこれが最後で、だからこそ私が思い出す彼の顔が悲しい表情でないことを願っているような――。
「私だけって、そんな――っ」
私が彼に向けて手を伸ばしかけると、それをサディアスが白い翼で遮った。
「駄目だよ、ミシェル。王様に会わなくちゃ!」
今、私が感情に流されてロドリックと一緒にいることを選べば、彼を救えないのかもしれない。それでも、離れるのが怖かった。
二度と会えない気がして仕方がなかった。
「……ほら、舟が」
サディアスに言われるまで、私は自分の乗る舟が何十年も雨風にさらされたほどボロボロになっていることに気づかなかった。
私の感情が乱れたから、魔法が持続できないのか。それとも、カーディフのせいだろうか。
「大丈夫、以前みたいに鳥になって行こう」
サディアスはそう言う。
ロドリックをここに残し、行こうと。
残された彼はこの舟で暗い水辺を彷徨う。
戻ってくるかどうかもわからない私を待ちながら――。
けれど、それしかないのだろうか。
私は再び彼に会えるのだろうか。
泣いても解決しない。わかっていても涙が止まらない。
そんな私にロドリックはかすれた、やっと絞り出した声で言う。
「ごめん」
ただそれだけを――。
「絶対に帰らなくちゃいけないって言ったのは誰っ? 諦めるみたいなことを言わないで!」
そんなやり取りを、カーディフはただ見ている。追い打ちをかけるよりも私たちが苦しむところを見ている方が楽しいのだろうか。
彼を倒せば、ロドリックの呪いも解けるのではないのか。
私は舟の上で立ち上がり、手をかざして思いきり光を放った。
「ミシェル!」
サディアスが止めたのは、私が余力を残さず力を使いきると思ったからだろうか。
使い魔の助力を受けなかった私の光魔法は、カーディフにそれほどのダメージを与えたとも思えなかった。
それでも、彼はフッと姿を消した。暗い水面に小さな波紋ひとつを残して。
「ミシェル、今は王様に会うことだけを考えて!」
サディアスは私を諭すようなことを言う。
目の前のロドリックは、もう声が出ないようだった。苦しいのか何も感じないのかもわからない。
ただどうにか笑おうとしていることだけはわかった。
ここでずっとロドリックと共にいてあげたいと思う反面、それではいけないのだともわかっている。
私は涙を拭いて彼に言った。
「必ず戻るから、待っていて。私に話があるのでしょう? 戻ったら、それをちゃんと聞かせて」
後悔しない選択を――。
二人でいられる未来をつかみ取るためにできることを。
ロドリックに向けて手を伸ばすと、ロドリックは首を振って僅かに身を引いた。
声が出ないのに、彼の目は自分よりも私をひたすら心配していた。それを感じて胸が苦しくなる。
私に呪いが移ってはいけないとでもいうのだろうか。この人は、いつでも私のことを考えていてくれる。だからこそ、私もこれからはロドリックのことを考えて生きたい。
鳥になる自分をイメージする。
以前のような小鳥ではなく、もう少し大きな鳥がいい。
そう願うと翼が生えたような感覚がした。一度視界が白み、その後で飛び立つ。
もう下は見なかった。
ロドリックはあの寂しい舟の上で一人、私を待ち続けるのだろう。




