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赤い月とふたりの舟 ~嫌いなあなたと不思議な国~  作者: 五十鈴 りく


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36✤元凶

 それから、気がついた時は馬上にいた。

 ロドリックが私を前に乗せて支えている。乗っている馬は栗毛で、サディアスではなかった。サディアスは白いリスになっていた。これまでの変身で一番可愛いかもしれない。


「起きた? でももうちょっと寝てたらいいよ。この馬、いい子だから」


 サディアスは馬と仲良くなったのか、そんなことを言っている。


「あいつら、どうせろくなことしてなかったんだろうし、殴っても問題ないよな」


 ロドリックがそんなことを言って笑っている。見たところ怪我はないようだ。

 私が無言のままロドリックの肩に頭を預けると、彼の手が私の頭を撫でた。


 少しずつ日が傾いて、山の向うの藍色の空に明るい月が輝く。連なった山には雲がかかり赤光が雲を染めている。それは夕焼けと似ているようで少し違う。余計なもののない自然の美しさだった。

 暗い道も月が照らし、そんな中で私たちは馬の背に揺られていた。


 赤い月を見上げながらぼんやりと考える。

 あの絵本にも魔法使いの敵がいた。


 おぼろげな記憶を辿ると、勧善懲悪の物語には〈影〉という悪い怪物がいて、その怪物をぶつけて英雄であるサディアスを倒そうとする悪者がいたのではなかったか。


 ――だからなんだ。

 これでは兄様のことを笑えない。


 あの無人の屋敷や野原で、私は黒い何かを見てはいなかっただろうか。

 それが人影であったように思ったのは気のせいだと、そのつど言い聞かせていたけれど、本当のところはどうなのだろう。




 思えば、馬でゆっくりと進むなんて一般的な旅の仕方はこれまでになかった。

 だから途中で馬を休ませつつも白み始める空の下、自然を眺めながら風に吹かれているのはとても気分がよかった。遠くまで来たと感じるけれど、楽しくもある。


 ただしそれはロドリックが一緒にいるからだ。それはもう認めている。

 払暁のこんな光景は普通に生活していたら見ないだろう。兄様は夜通し本を読んでいて、気がついたら夜が明けていたなんてこともあるらしいけれど。


 遠くに見える糸杉の細い影の隙間から光が零れる。私はそんな光景を心底美しいと思った。この景色をずっと覚えていたい。


「あっ、ほら、あれがお城だよ。見える?」


 サディアスが馬の頭でポンポンと飛び上がる。

 遠くにまだ朝靄がかかっているからはっきりとは見通せないけれど、遠くに尖った頭の天辺のようなものが見える。あれがそうなのだろうか。

 ここから見えるといっても、地道に進むのならかなり遠いのだろう。


「まだ遠いな」


 ロドリックも私と同じように感じたようだ。

 そして、城が遠いように、私たちの家もまたもっともっと遠いのだ。

 王は私たちをもとの世界に帰してくれるだろうか。そもそも、呼ばれた理由も判然としないままだ。


 ベリスが王は強力な力を持つと言っていた。それなら、呼ばれた私がどこで何をしているのかも見通しているのだろうか。

 それなら放っておくのは何故だろう。私が考えすぎているだけで、本当は何も見通してはいないのか。


「ねえ、私たちがこの世界にいる間、現実はどうなっているのかしら? 世界そのものが変わってしまっているのか、私たちだけが消えたのか、どちらだと思う?」


 最初はいろんなことが目まぐるしくて、不安で、そこまで考えられていなかった。けれど、今になって向こうのことも考え始める。


 もし私たちだけがあの夜会から消えてしまったのだとしたら、特に兄様は私を心配して狼狽えているだろうから。


「向こうは何も変わりなくて、俺たちが戻ったらいつも通りの日常があるのかも。ここにいることが未だに夢みたいだから」


 これは自分の見ている夢だと、ロドリックはそんなふうに考えてしまうようだ。

 だとするなら、私たちの今の関係も目覚めたら元通りなのだろうか。


「時間も経っていなくて、夜会でのあの気を失った瞬間に戻るってこと?」

「そんな気がする。まあ、実際のところはわからないけど」


 何百年と時間が経ってしまって、家族も知り合いもいないなんてことになっていなければいい。


「サディアス、あなたにもその辺りのことはわからない?」


 一応尋ねてみたらため息をつかれた。


「わかるわけないじゃないか。言っとくけど、こんなふうにこの世界に来たのはミシェルだけだと思うよ」


 ロドリックの存在はどうでもいいらしい。カウントされなかった。

 うっすらと青味を帯びた幻想的な朝、道の先に黒い影が立っていた。


 顔は見えないけれど、多分男性だ。特に構えた様子もなく、黒いローブを着てポツリと道の先に立っている。

 こんなところで一人、どうしたのだろうか。旅をしているようには見えなかった。


 ――どこかで会ったような不思議な感覚がするのだけれど、本当に会ったことはあるのだろうか。

 この世界に知り合いなどほとんどいないのに。


 道のど真ん中にいるからか、ロドリックは彼を邪魔に思ったようだった。手綱を調節して彼にぶつからないように移動しようとしたその時、彼が私たちに向けて言った。


「やあ、ごきげんよう」


 老人のようにかすれた声だった。風邪でもひいたのだろうか。


「……おはようございます。お早いですね」


 一応こちらも挨拶を返すと、彼はくすりと笑った。

 この時、私はようやく思い出した。


 会ったことがあると感じたのは、私がそんな夢を見たせいだ。

 自分は〈王の敵〉だと告げた人――。

 王の敵とは一体どういう意味なのだろうか。


「止まって!」


 ロドリックの手綱を操る手を握り、素早く言う。すると彼は私の剣幕に驚いたふうだった。


「どうした?」


 上手く説明できないでいると、馬の頭に乗っていたサディアスが毛を逆立てながらつぶやいた。


「空を見て! 魔物(ルナティック)がいる!」


 急に辺りが暗くなったのは、雲のせいではなかった。カラスの大群が空を飛んでいる。その黒い羽が光を遮る。

 何百といるあのカラスが魔物(ルナティック)だという。


 ロドリックが緊張したのがわかった。サディアスはなおも叫ぶ。


「こいつが元凶だよ! 魔物(ルナティック)を作ってるのはこいつだ!」


 目の前の人物に、サディアスは最大級の警戒心で叫ぶ。

 それに対し、彼は笑うだけだった。


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