第32話:血の雨 ― それぞれの夜
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#1 戦端、夜を裂く
闇に紛れていた十体以上の吸血鬼が、一瞬の静寂を破って襲いかかった。
それは、夜空から解き放たれた牙の群れだった。
蒼真
「うわっ――!」
蒼真の視界は、暗闇と、殺意に満ちた飢えた瞳で埋め尽くされた。剣を構える暇すら与えられない。
彼らの速度が、彼らの気配が、そして何よりも、彼らの纏う恐怖の質が、これまでの歪曲体とは根本的に異なっていた。
本能が警鐘を鳴らす。
永瑠
「下がって!」
永瑠の鋭い声が、夜気を切り裂いた。彼女の刀が黒い月光のような軌跡を描き、水平に走る。
シュウッ――ザンッ!
一閃。
先頭にいた三体の吸血鬼が、声を上げる間もなく霧散し、闇に溶けた。
蒼真
「永瑠……!」
永瑠
「喋らないで。集中しなさい」
永瑠の声音は鋭く冷たいが、蒼真は一瞬、彼女の目を見た。その紅い瞳は、目の前の凄惨な現実と、蒼真への不安を押し殺しているように見えた。
◇◇◇
#2 蒼真、圧倒される
永瑠が時間を稼いでくれた隙に、蒼真は反撃に転じる。
妖刀〈焔生〉が、自らの血に呼応するように紅く燃え上がった。
蒼真
「うぉおおおお!」
蒼真は勢いに任せて刃を薙ぎ払うが、吸血鬼はその軌道を正確に、そして優雅に“読む”。
まるで、動くことすら許されない獲物の動きを先回りするかのように。
蒼真
「な、避けられた!?」
敵吸血鬼の一体が、口の端を吊り上げて嘲笑う。
吸血鬼
「鈍いな、人間」
刹那、蒼真の頬に冷たい痛みが走った。爪が皮膚を深く抉り、温かい血が滲む。
蒼真
「ぐっ……!」
腕が震える。足がすくむ。この次元の違う速度と力に、心が折れそうになる。
永瑠
「蒼真、下がって!」
永瑠の叫びが聞こえる。
蒼真
「……っ、こんな……!」
悔しい。怖い。今すぐ布団にくるまって泣きたい。だが、永瑠の背中と、ノアの回復魔法の光が、彼の後押しをする。
◇◇◇
#3 永瑠の独白と決意
永瑠は、吸血鬼の群れと対峙しながら、刃を休めることなく振り続けた。
永瑠
「……こいつらは、人間を餌としか見ない」
彼女の刃は、迷いなく振るわれる。
そこには、同族への憐憫も、躊躇もない。あるのは、明確な敵意と、過去との決別だけだ。
永瑠
「守らなきゃいけない人がいるなら、私は戦う」
次の瞬間、吸血鬼の頭が刀で刎ねられ、霧となって溶ける。
永瑠の戦いは、恐ろしいほどに美しく、そして冷徹に残酷だった。
それは、彼女が「愛から生まれた」ネオヴァンパイアとしての、血に対する宣戦布告だった。
◇◇◇
#4 ノア、祈りの魔法
戦場の後方。
ノアは全身を震わせながら、それでも杖を強く握りしめていた。
城壁上の激しい斬り合いから目を離せない。
ノア
「回復、送ります!!」
彼女の杖の先から、純白の光が蒼真と永瑠へ向かって迸る。傷を癒し、体力を回復させる聖なる魔法だ。
蒼真
「ノア……!」
蒼真の掠れた声に、ノアは無理に笑おうとする。だが、その瞳は止めどなく涙で濡れていた。
ノアは膝を抱え込み、誰にも聞こえないほどの小声で呟いた。
ノア
「だって……本当は……。こんな戦いは、嫌いです……」
それでも退かない。
彼女は異世界の王女であり、そして何よりも、この命がけの戦場を共にする仲間だからだ。
恐怖を力に変え、ノアはただ祈り、光を送り続けた。
◇◇◇
#5 蒼真、初めての“殺害”
激戦の中、蒼真の刀が、ついに一体の吸血鬼の胸を正確に突き刺した。
吸血鬼
「が……ぁ」
蒼真は息を詰める。
刀の柄を握る手が、相手の体を通して伝わる抵抗を感じた。
近くで見れば、そいつは――少年だった。年齢は自分と同じくらいか、あるいは少し年下に見える。
蒼真の心臓が締めつけられた。
蒼真(心の声)
「心臓が締めつけられる。人間と……変わらねぇ……」
だが、その少年吸血鬼の眼にあるのは、最後の瞬間まで、飢えと殺意だけだった。
人間の感情の欠片もない。
永瑠
「蒼真!!迷わないで!」
永瑠の叫びが、蒼真の耳朶を打つ。迷いは命取りだ。
蒼真
「……っ!」
蒼真は歯を食いしばり、力を込めた。焔生が再び紅く燃え上がる。
次の瞬間、吸血鬼は断末魔と共に霧となり、その場に消えた。
蒼真は、初めて自分の手で敵を「殺した」という、重い事実を胸に刻んだ。
◇◇◇
#6 終結
夜風が、血の匂いを薄めるように吹き抜けた。
吸血鬼の群れは、すべて霧散し、白銀の城壁上には誰も立っていなかった。
永瑠は肩で荒く息をしている。
蒼真は力尽きたように膝から崩れ落ちた。
ノアが、駆け寄る。
ノア
「蒼真さん……!」
蒼真は呆然と、妖刀を持つ手を見つめる。
その手はまだ、殺した感触を覚えているようだった。
蒼真
「……殺した……」
永瑠は静かに、そして現実を突きつけるように答えた。
永瑠
「助けるためよ。アイツらを生かせば、この街の誰かが死んでいた」
蒼真
「……分かってる」
頭では理解している。それが正しい選択だったことも。
でも――胸は、激しく痛んだ。
◇◇◇
#7 余韻
城壁の隅の影。
血生臭い夜風と、三人の心臓の音だけが、重く響く。
蒼真(心の声)
「俺……こんな敵と戦っていかなきゃいけないのか……」
「守れるのか……俺に……。この手を、何度血で染めれば、皆を守れるんだ」
夜明け前の闇が、彼らの心を深く覆い隠す。
戦いは終わった。
だが――
心の夜はまだ、深く長く続いていた。




