第四話
ある日、ダンジョンができた。
その日、俺は取引先の証券会社へ契約書を取りに向かっていた。
大手町の地下街を抜けて、顧客のビルへたどり着くはずだった。
地下街は景色に特徴が少なく、左右がわかりにくい。
不慣れだと出口表示を頼りに歩くしかない。
時刻は夕方で、行き交う会社員たちも多かった。
その時、世界は大きく揺れた。
今思うと地震とは違っていた。
空間そのものが震えているようだった。
思わず踏み出した先は、地下街の通路ではなく岩の通路だった。
洞窟というには整備されており、歩きやすい。
薄暗くはあるが、十分見通せる明るさだ。
後ろを振り返ってみても、そこには通路が続いている。
もう地下街ではなかった。
俺と同じように、通路の真ん中で立ち往生している人間が五人いた。
「なんだこれは」
誰かがつぶやいた。
「圏外かよ!」
これも誰かが喚いている。
俺は再び正面を見て、目を凝らした。
この時、なぜか前へ進むべきだと思った。
後ろも前も通路が続いている。
ただし真っ直ぐではなく、緩やかに曲がっていて先は見えない。
駆け出した俺に、なぜか残りの人たちも続いた。
曲がり角の先には地下街が見えた。
出口だ。
「あっ!」
一番後ろを走っていた女性がつまずき、転んでしまう。
俺は慌てて駆け寄り、肩を貸して起こした。
「真っ直ぐ向かえ! 外へ出るんだ!」
俺はこちらを見ていた他の面々へ向かって叫び、出口を指差した。
「さあ、君も」
手と膝を多少擦りむいているようだが、それ以外に怪我はなさそうだった。
おそらく同年代だろう。
普段走る機会など、ジムにでも通っていない限りほとんどない。
きっとこの女性もそうなのだろう。
「歩けるか?」
「ありがとう。なんとか」
「さあ、行くんだ」
俺はその女性の背中を押した。
さっきから、なぜか予感に振り回されている気がする。
だが、ここで立ち止まる必要があるとも感じていた。
「え?」
「いいから行け!」
その声に弾かれるように、女性は走り出した。
「ふぅ」
俺は背負っていたリュックを下ろし、手に持った。
今日の荷物は商談用のタブレット、配布資料、傘、充電器。
女性は転んだ時にノートPCと手提げケースを落としていた。
俺はそれを瞬時に拾い、リュックへ突っ込む。
その時だった。
奥からドタドタと走り込んでくる影があった。
曲がり角から顔を出したそいつは、醜悪な顔をした半裸の鬼のような存在だった。
身長は俺よりやや低い。
俺は無心で動いた。
あとから考えると、よく体が動いたものだと思う。
しかも、ちらっと女性の後ろ姿を見て、出口へ近づいていることまで確認できていた。
襲いかかってくる鬼へ向け、俺は叫んだ。
「うおおおお!」
リュックをフルスイングする。
走馬灯のように、大学野球に熱中した日々が思い出された。
リュックは鬼のこめかみに直撃した。
鬼は横へ弾き飛ばされ、倒れ込む。
そして俺は、ここでまた閃きを得た。
先日の接待ゴルフが頭をよぎる。
軽くステップし、構える。
今度はゴルフスイングのようにリュックをすくい上げた。
眉間にノートPCの角が綺麗にヒットしたらしい。
部品が壊れる音とともに、鬼の顔が曲がってはいけない角度へひん曲がる。
ここで逃げようとした俺だったが、なぜか中学時代のサッカー部でのセンタリング練習を思い出した。
鬼の頭をボールに見立て、蹴り上げる。
鬼は光の渦に包まれた。
そして、コロンと黒い石が転がり出る。
俺は咄嗟にそれを掴み取った。
そのまま全力で出口へ向かう。
洞窟から転がり出ると、先ほどまでいた地下街の一角へ出た。
洞窟はそこにあった。
岩の通路の入口も依然として存在している。
曲がり角まで見ても、鬼の姿は見当たらない。
「なんだったんだ、いったい・・・」
俺は膝をついたまま呆然としていた。
チラリと商談のことが頭をよぎる。
もう間に合わないだろう。
だが、それどころではない。
鬼を蹴り上げた足が痛む。
まるで石でも蹴ったようだった。
なんとか立ち上がる。
さっきまで何度も訪れた意味不明な走馬灯。
そして、「こうしろ」と告げてくるような直感。
あれは一体なんだったのか。
「大丈夫ですか?」
さっきの女性が駆け寄ってきた。
「あ、はい。大丈夫みたいです。
あなたも大丈夫ですか?」
「擦りむいただけみたい。
ありがとう」
俺は安心して息を吐いた。
「あ、ごめん。
もしかしたら壊れたかも」
リュックからノートPCをケースごと取り出し、彼女へ渡す。
「ありがとう。・・・ん、大丈夫みたい」
「え?」
ぐちゃぐちゃになっていたのは、俺のタブレットの方だった。
人様に迷惑を掛けずに済んだ。
だが、始末書が確定した瞬間でもあった。
俺たちはなぜか笑い出した。
目尻から少し涙がこぼれる。
その後、彼女とは名刺交換をし、その場で別れた。
遠くから救急車の音やパトカーのサイレンが響いている。
なぜか俺は、
警察と話しておくべきだ。
商談が遅れた理由の証拠を残すべきだ。
そう思った。
新人の頃、遅延証明書をもらい損ねて当時の上司にいびられた記憶が頭をよぎったからだ。
・・・てか、なんだこれ?
⸻
今回のリザルト
「直感(神託?)」
警察からの聴取。
その後、世界中で起こるダンジョンを巡る騒動。
そして死傷者や行方不明者のニュース。
それらを知り、背筋が凍る思いがした。
それでも、なんとなくまたダンジョンへ向かう気がした。
あの緊張感。
あの高揚感。
あれは特別な体験だった。
とはいえ、取引先や会社への謝罪や調整に奔走したのは言うまでもない。
ついでに、ちょっとしたヒーロー扱いになったことも言うまでもない。




