後日談:1 繰り返す後悔(side:ディオン)
「…キュリアとエルジョンが…結婚……」
それはエルジョンから届いた封書だった。
『ディオン・ヴィアンテ殿
私、エルジョン・ハーヴェイは、キュリア・カルオと婚姻いたしましたことをご報告申し上げます。
追伸
おまえが自ら手放したんだ。
エルジョン・ハーヴェイ』
ただ事実だけを伝えるだけの簡単な手紙。
内容を見た時、とても信じられなかった。
そして、添えられた追伸…
どさりとソファに腰を掛けると、両手で顔を覆った。
キュリアと…エルジョンが……結婚……
まるで鉛を飲み込んだように心が重くなる。
出口を求めて、胸の中で嫉妬の嵐が渦巻いた。
どうしてこんな事になったんだ。
僕は確かに幸せだったのに…
祝賀会に出席した時点で、すべてが崩壊する道へと導かれていたのだろうか?
ロアンヌと再会し、当時の純粋な恋心を思い出した。
学生時代に夢中になった初めての恋。
口づけだけを残して去ってしまった愛しい人。
最後まで関係を持つ事はなかった。
そんな…中途半端になっていた気持ちが溢れ出した。
そして、一度溢れ出した気持ちを止める事はできなかった…
僕は報われなかった過去の恋に拘っていただけだった。
ただ、ロアンヌを思い続ける自分に酔っていただけだ!
しかし……
彼女を抱いた事で、一気に現実が押し寄せた。
妊娠したと聞き、足元から何かが崩れ落ちた。
何をしたんだ、僕は。
一時の感情に流されて、妻を裏切った。
今ある幸せを当たり前のように思い、キュリアとの時間がどれほど大切だったのかを失ってから気づくなんて…僕はどこまで愚かなのだ。
僕の中でロアンヌへの想いはとっくに過去のものになっていたというのに……
あの日…
ロアンヌが突然邸にやってきた時は、もう隠しようがなかった。
キュリアに全てを話した。
ロアンヌを罵倒し、彼女の肩に掴みかかるキュリア。
怒りの感情を露わにし、乱暴に振舞う彼女に驚いた。
けど、僕が彼女をここまで傷つけた。
その現実が、僕の胸を抉った。
だが子供の事があったので、僕はとっさにロアンヌを庇った。
そのはずみでキュリアを殴ってしまった。
キュリアは一瞬目を見開いたが、泣く事もせず、実家へと帰って行った。
その後キュリアに会うことなく、離縁が成立した。
心の中にぽっかりと穴が空いたようだった。
世界は色あせ、惰性で当主としての仕事をする毎日。
それでも確実にロアンヌのお腹の中で命が育っている。
僕は父親になる。
家族を守らなければ…
その想いだけで、立ち続けた。
そう思いながらも、心はいつまでも揺れ動いていた。
だが…神は、そんな僕をあざ笑うかのように、更なる絶望を与えた。
「想像妊娠!?」
聞いた事もない言葉に、僕は驚きを隠せなかった。
朝方妻が出血したと侍女長から報告があり、慌てて医者を呼んだ。
そして医者が告げたのが『想像妊娠』
「…はい、強い妊娠願望により稀に起きる現象です。これは今の医学ではすぐには確認する事はできません。ましてや町医者の知識で判断する事は難しいです。先程の出血は月のものが始まった印です」
医師は淡々と説明を続けた。
「そ…んな…そんな事が…っ」
「それと…大変申し上げにくいのですが…奥方様はお子を授かりにくいお身体で…」
「!!」
妊娠していなかった?!
僕はロアンヌ妻が妊娠したというから、だから責任を取ろうとキュリアと別れて…
なのに妊娠していなかった!
そしてロアンヌの身体は妊娠が難しい…
「…そ…な…っ 嘘…よ! あ、あなたっ これは何かの間違いよっ 妊娠していなかったなんて! 別の医師に替えて! ここにはあなたの子供がいるのは確かなのよ!」
彼女の必死の形相に、心がどんどん冷えていく。
妊娠の診断書は本物だった。
町医者にも確認した。
彼女が騙していたわけではない。
ただ、誤診だった—————…
…いや…子供がいようといなかろうと、僕がキュリアを裏切った事実は消せやしない。
「……心配しなくていい。子供がいなくてもきちんと君の面倒は見るよ。それが僕に課された責任だ。けれど、今後夫婦として過ごす事はない。時期を見て養子をもらうからそのつもりでいてくれ」
「ま、待ってあなたっ あなた! 絶対に間違っているっ 私はあなたの子供を身籠ったのよ!」
僕は部屋を出た。
必死で現実から目を背けるロアンヌ。
昔の淡い初恋の面影がどんどん色あせていき、今では欠片も残っていない。
当時離縁していたロアンヌには、自分の面倒を見てくれる後釜が必要だったのだろう…
彼女の実家は裕福とはいえない男爵家。
過去に音楽教師として働いていたことからも明らかだ。
そんな時に祝賀会が行われ、僕に再会した事でこれ幸いと思ったのだろうか。
そして僕は不完全燃焼だった想いを遂げたかった。
そんな薄汚い欲望を抱えた二人が出会い、関係を持った。
その結果がこれだ。
「僕にロアンヌを責める資格などない…」
これは僕に科された罰なのだろうか?
一時の感情と欲望で、確かにあった幸せを自ら捨てた。
どれだけ後悔しても、もう元に戻る事はない…
そして悪い事は続く。
その後、僕の不貞による離縁が社交界の知るところとなる。
さらに再婚した相手が元教師であり、僕が教え子と言う事で邪推する人間が好き勝手に噂し始めた。
“どうやら寄宿学校時代から関係があったようですわ”
“他の生徒にも言い寄っていたようよ?”
“いえいえ、子爵様の方が積極的だったとか”
“若い男性と関われるから教師になったのではないの?”
憶測が憶測を呼び、噂はどんどん広まっていった。
夫婦で人前に姿を見せれば、好奇と侮蔑に晒される。
僕たちは、いつしか社交界から遠ざかるようになった。
ロアンヌとは会話もなく、ただ同じ屋敷で暮らしているだけだ。
キュリアがいた時とは見る影もなく、邸内は陰鬱な雰囲気に包まれていた。
彼女の姿を求めても、もうどこにもいない。
これから先、僕は想い出を胸に君の名を呟き続けるだろう。
そしていつまでも、君の姿を追い求めるのだろう。
かつて、ロアンヌを探していた時のように…
キュリアが傍にいた時はロアンヌの姿を求め、今はキュリアを求めている。
同じ事を繰り返すどこまでも浅ましい自分に、嘆く事もできない…
「キュリア…」
僕の声に応えてくれる人はもう…いない…




