第11話 別離 1
旦那様の様子に違和感をもつようになったのは、祝賀会に出席されてからの事。
この日に何かあった事は明白だった。
けれど私は旦那様に問い詰める事はしなかった。
真実を知る事が怖かったから……
そんな不安な日々を過ごす中で、招待されたとある伯爵家の晩餐会に出席した私たち。
主催者の伯爵様にご挨拶した後、私は知人のご令嬢と出会い、旦那様もお知り合いの方と歓談されていた。
知人が席を外すと、入れ違いのようにエルジョン様に声を掛けられた。
「ごきげんよう、キュリア夫人」
胸に右手を当て、恭しく一礼するエルジョン様。
「まあ、エルジョン様、ごきげんよう。あ、旦那様は今、お知り合いの方のところに…」
「ああ、いいよ。そのうち君のところに戻ってくるだろう。その間、俺の相手をしてもらえるかな?」
給仕係からワイングラスを一つ取ると、私に向かってグラスを掲げて口にした。
「ふふふ」
子供の頃に会っていたという共通の記憶があるせいか、エルジョン様といると心易い。
「あ、先日はありがとうございました」
「うん? 何が?」
「祝賀会の日。結局、エルジョン様のところに泊まらせて頂いて…お二人で朝まで飲み明かしたんですか?」
「…そうなんだ。つい飲みすぎてね」
私は一瞬の間を見逃さなかった。
「…エルジョン、来てたのか」
私は旦那様の声にハッとし、振り返る。
「ああ、今、夫人にお礼を言われていたんだ。祝賀会の後、俺のところに泊まったからさ」
「あ、の日は…ありがとう」
「…どういたしまして。じゃあ失礼します、子爵夫人」
「あ、はい…」
そういうとエルジョン様は行ってしまった。
旦那様とろくに会話もせずに…
この時、二人の間に不穏な空気を感じた。
旦那様は思いつめた顔をされている。
その後エルジョン様は、全くお越しにならなくなった…
私の知らないところで何かが起きている事は分かった。
それでも私は…
知らないふりをした。
気づかないふりをした。
いつも通りに振舞っていた。
そうしなければ全てが壊れてしまう…そう感じていたから。
だけど…
そんなごまかしは、長くは続かなかった。
少しずつ増えていく、鬱屈した思いを抱きながら過ごす日々。
そんなある日、一人の女性が訪ねてきた。
旦那様とエントランスにいたのは、長い黒髪の美しい方。
(あの女性だ…音楽教師の…物置小屋で見た…)
私はすぐに気が付いた。
「キュリア…」
旦那様が苦しそうな顔をしながら、私の名を呼ぶ。
「……実は…彼女………妊娠しているんだ…」
ドクン
激しい鼓動が胸を打つ。
まさか…
旦那様の言葉は、私の不安を確定させた。
「僕の子だ」
この時全て合点がいった。
旦那様の様子がおかしかった理由。
エルジョン様が来なくなった理由。
全てが祝賀会へとつながっていた。
心のどこかで納得する自分がいる。
この瞬間、私の幸せが終わった…
そして
あなたの本当の幸せが、これから始まるのね ―――――…
ならば私はあなたが心おきなく幸せになれるように後押しするわ。
私は両手をドレスの影に隠し、強く握り締めた。
「……祝賀会の時から…ですよね?」
「…すまない…」
やっぱり…
伯爵家の晩餐会で、エルジョン様が私との会話で見せた一瞬の間。
旦那様はエルジョン様のところに泊まってはいなかったんだわ。
「…あなたがそんな恥知らずな人間だったなんてっ あきれてものも言えませんわ!」
私は表情を殺し、旦那様を責めた。
「……ッ!! キュリア、悪いのは全て僕だ」
旦那様は一瞬目を見開いた。
私が声を上げるとは思っていなかったのでしょう。
「いい人ぶらないで! 悪いのはあなたたち二人に決まっているでしょう?! それにあなた、仮にも昔は教壇に立ち、生徒を指導していた教師だったのではないの!?」
「きゃ!」
「キュリア! や、やめてくれっ」
私は彼女の肩を掴み、罵声を浴びせた。
「そんな人が、既婚者である元教え子を寝取るなんてどこに倫理を置き忘れたのかしら! 一体生徒に何を教えていたの!?」
「やめろ!」
パン!!
彼女の肩を掴んでいた私の腕を払う勢いで、旦那様は私の頬を打った。
瞬時に冷える空気。
息遣いだけが聞こえた。
「す、すまないっ で、でも彼女のお腹には子供が…っ」
震えながら私に手を伸ばす旦那様。
「触らないで!」
私はその手を思い切り払いのけた。
「キュリア…」
私からの強い拒絶に、驚きを隠せない旦那様。
「心からあなたを軽蔑するわ! 私はこのまますぐに実家へ帰ります、残りの荷物は後日送って下さい。離婚に関しては今後、弁護士が対応しますので、二度とその顔を私の前に見せないで!」
「…っ! 君が…そんな言い方をするなんて…っ」
旦那様の言葉に構わず、私は部屋を出た。
自室に戻り簡単に私物を鞄に詰め込むと、それを持って馬車へと乗り込んだ。
パタ…パタパタ……
膝に置いた手の上に、あとからあとから涙がこぼれ落ちる。
「…これで…いい…これで…っ ば、罵倒する……って……結構難し……っ」
あんな乱暴を働く女だったのかと…
口汚く人を罵る女だったのかと…そう思ってくれたらいい。
だって、あなたが最初から愛していたのはあの人だから。
それを私は知っていたから。
それでもいいとあなたの傍にいた。
いつかあなたの気持ちが私に向いて下さる事を願って……
「…でも…やっぱり想い出には勝てないのね…」
もう見て見ぬふりをしなくていい。
もう無理にいつも通りに振舞わなくていい。
「…さようなら」
心から愛した人……




