第21話 鷺ノ宮螢 ―― 足で探る者――静かなる蒼
午前八時半。
すれ違う人は、駅に向かって眠そうな目をこすりながら歩いていく。
商店街の喧騒の中、螢は張り紙や路地裏の影を見逃さない。
ある掲示板の前で足を止めた。
――やたらと同じポスターが貼られている。
《オーケストラ・コンサート 無料ご招待!》
……オーケストラ・コンサート?
目を細めていると、不意に声を掛けられた。
「あれ~?どこのいい男かと思ったら、螢くんじゃないか!」
サングラスをずらしながら声の主を確認する。
「……サリュさん?」
声を掛けてきたのは、カフェ&バーのマスターをしている、サリュだった。
警察官だった螢と乙の母・凪の友人だった彼女は、螢や乙の第二の母親だ。
彼らの面倒をよく見ていた。
それに彼女は、この街の裏事情にも通じているし、勘の鋭さを持つ人物でもある。
「おはよう……早いな。まさか、会えるなんて、思ってなかった」
「それはこっちのセリフ。まあ、年をとるとさ、早起きになるんでね」
「はは、なるほどな。……って、サリュさんに年齢なんて概念あったのか」
「……ははは、もっと言ってくれていいよ。元気になれる」
そう言ってウインクするサリュを見て、螢は、世辞抜きで綺麗だと思ってしまう。
年齢不詳。
男勝りな母・凪も綺麗で凛とした女性ではあったが、その母とは違う魅力をもつ。
――妖艶さを放つ女性だ。
だから、裏路地でファンも多く、今も多くの客の心を離さない。
「……一つ聞くが、駅近くの文化会館でコンサートをやるのか?」
螢は何気なく、貼り巡らされているポスターについて聞いてみた。
尋常じゃないポスター量が気になったから。
螢が切り出すと、サリュは眉をひそめ、ため息をつきながら話し出した。
「そうなのよ。区役所の人間が山ほど持ってきてね。
うちの店にまで『配ってくれ』だってさ。
でも、無料招待ってのが気味悪いわ。二十代から六十代まで誰でも来い、なんて」
「それだけ力を……入れてるってことか」
「そうみたいね。なんでも、
普段、なかなかお目にかかれない有名な指揮者とか
楽団を呼んでるらしいわよ」
「へ~」
「まあ、あたしは、必ず行けるんだけど……気乗りしなくって……」
「え?何で必ず行けるんだ?」
「さっき言ったけど、ポスター掲示とかチラシ配布とか、うちの店、
商店街の実行委員会の事務局として、
コンサートの宣伝に協力してるわけ。
だからお礼にチケットをもらってるのよ」
「そうなのか」
「だけど……ほら、あたし、鷺ノ宮家と違って、
そういう教養とか全く無いし~寝ちゃうわ~」
サリュは腰に手を当てながら、自分の学のなさを笑い飛ばしている。
「…………
……つまり、興味ないってことだろ……」
螢は、大きくため息をついた。
「螢くんと、ここで久々に会ったのも何かの縁だし、
彼女でも連れて、観てきたら?」
「……彼女とって……二枚あるのか?」
「あるある!もらってくれる?
私の息子ってことにしたら、大丈夫だと思うし!
ね?」
「………適当」
「だって、螢くん、私の息子みたいなものじゃない!」
「………はぁ。まあ、確かにお世話にはなった」
「それに……ちょっと気になるのよね、このコンサート……」
サリュは思案するような表情をしてから、螢の顔の前に長い綺麗な指を三本、
示す。
「ん?」
「その①このコンサートを行う行政側の意図が見えないこと。
その②曲目が不自然に変更され、特定の楽曲へ集中していること。
まあ、これは、音楽に詳しいお客さんが、セトリっていうの?
それを見て言ってるんだけど、“特定の曲目”ばかり強調されているなって、
何かそこにも意図を感じるっていうのよ」
「……ドラマの見過ぎじゃないか?」
「はは、それ言っちゃう?」
ただ、サリュも裏路地のカフェ&バーを女手で切り盛りしてきた凄腕だ。
それなりの修羅場もくぐってきている。
間接的とはいえ、この奇妙なコンサートに関わる中で、長年の勘が、
その違和感に警鐘を鳴らしているのかもしれない。
「あ!こんな時間!じゃ、そろそろ私もお店の準備があるから行くわね。
今度は、乙ちゃんと一緒に来て、ご馳走するから!
それと、あとで、コンサート会場に入るための二次元コード送っておくわ。
アドレス変わってないわよね」
「ああ、ありがとう」
サリュは路地裏の店に帰ろうと向きを変える。
その背中を見つめながら、螢はふと疑問が浮かんだ。
――先程、示された指は三本だった。
「あれ……?サリュさん、最後の違和感って何だったんだ?」
サリュは、螢に背中を向けたまま「あ~そうそう~」と言いながら
くるりと顔だけこちらを振り返る。
それは、まさに夜の――裏の顔をしていた。
螢は、背筋がゾクッとするほど綺麗で魅力的な女の――サリュの真の顔を見た。
「……このコンサートの出資者の一つに、
謎多きトップ企業『砂鉄刺』の名があるわ。
それが何を意味するか……分かる?」
「!」
螢のジャケットのポケットが僅かに震える。
「ふふ、メール送信完了。これはただの慈善コンサートじゃない……
気を付けてね、いってらっしゃい。息子くん」
彼女はそう言うと、楽しそうに裏路地の薄闇に消えていった。
街を渡る初夏の風が、彼の頬を撫でる。
螢は深く息を吸い込み、ポスターがはためく文化会館の方へ視線を向けた。
目的地は決まった。
(……これは確かめるしかないな。
もし……繋がっているなら
そこに――『いち』や『エル』、『キーア』も現れるかもしれない)
決意と共に、螢は人混みの中へと足を踏み出した。




