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カレーは醤油 ~インドの記憶~   作者: そらら
醤油はカレー

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1884/1899

2023年6月10日(土) 祐介!

6月10日(土)


 明日、私はインドへと戻る。


 つまり、今日は日本で過ごせる最後の日となった。


 昨日、日本でやるべきことをやったが、実は最も大事なことを今日にとっておいた。


 それは、私の記憶に関して最も重要なことを握っていただろう、祐介さんのお墓参りをすること。


 今週の初め、綾子さんの家にお邪魔した際、一緒に行こうと約束を取り付けていたのです。


 お墓のあるグリーンパーク葛飾には、柴又駅から京成線に乗ってお花茶屋駅で下車し、そこから徒歩10分ほどの場所にある。


 綾子さんとは現地で待ち合わせをしているが、立石駅で下車し、たまたま目にした花屋ふらわぁかないでお供えする花を買い、そこから徒歩で向かった。


「ごめんね~人身事故があって、電車が遅れるってなんの」


 約束時間に20分ほど遅れて到着した綾子さんは、いつものカジュアルな装いではなく、て黒いシックなワンピースに身を包んでいた。


「お墓に来る時くらいは、ちょっとまともな恰好しないとね。でも、今日って暑いね~」


 今日の東京は6月だというのに気温が30℃を超える真夏日になっている。


 インド翡翠で出来た祐介さんのお墓も、灼熱の日差しを浴びで熱々になっているのが見ただけで分かる。


 早速、私が手桶に井戸水を汲み、柄杓で水をかけると、ジューっという音と共に水蒸気が生まれた。


 お墓の中にある骨壺に祐介さんの骨が入っているのかどうか、綾子さんはその事実を確かめようとしていないが、きっといるんだと信じている。


 だって、カバンの中から保温水筒を出したかと思うと、氷が入った水をかけたのですから。


「祐介って、暑がりだったから、これくらい冷たくしないとダメだと思ってね。ここにいないかもしれないのに、あたしってバカみたいでしょ~」


 そう言いながら、優しい視線を墓石に送る。


 その後、お花を供え、線香を焚き、いよいよ祈りを捧げるタイミングとなった。


 綾子さんが墓前に跪き、目をつぶりながら合掌する。


 そして言葉に出しはしないが、なにかを口で呟いた。


 でも、なんと呟いたか、私には一瞬で分かった。


 - 祐介 -


 たったその一言に、どれだけの想いが詰まっているのかと思うと、思わず涙が溢れ出てしまった。


 そして、一粒の涙が、私の左手薬指に填められたルビーの指輪にちょうど落下したのです。


 すると、ルビーの指輪が真紅の光を放ち、私の周りを包み込んだ。


 そして、いつも私の中で聞こえる私だけの声が、今は声だけじゃなく、目の前にそのシーンがはっきりと映し出されていたのです……


 ☆


「グスン、グスン……」


「ねぇ。もう泣くの、止めてくんねぇかな? 俺だって泣きたいの、分かるよね? お前さんは自分の名前がプリヤンカ・オベロイだって覚えてるけど、俺は自分の名前が分からないんだぜ。名前っていつから人類が付け始めたのか分からないけど、間違いなく自身を表現するアイデンティティだよ。それが分からない、自分の名前を呼んでもらえないって、こんなに辛いとは思わなかった」


「ごめんなさない。もう泣くのは止めるわ……さん、っていうか、なんてあなたのことを呼べばいいの?」


「ははははは。そうだよ。確かにその通り! なんて呼ばれたらいんだろうな! これは愉快」


 男は参ったという表情を浮かべたと思ったら、大声を上げながら泣き始めたではないか。


 名前を知らない大の大人が赤子の如くあまりに激しく泣く姿を目の当たりにすると、私は急に冷静になってしまった。


 そして改めて私とこの男がいるこの空間を見渡すと、次々に違和感を覚え始めた。


 まず、今、私が座っているこの茣蓙。


 本来であれば薄い藁は私の体重によってぺったんこになり、お尻に床の感触が伝わってくるはずなのに、まるで雲のカーペットに乗っているみたく、床から数㎝ほど浮いている。


 それに、土を固めただけの床だって本来ならばゴツゴツしてしかるべきなのに、ふんわりしている。


 屋根だってちょっとおかしい。


 泣きじゃくる私たちのように今日の天気は雨模様。


 竹とヤシの葉を編んだだけのシンプルな屋根は所どころ隙間が空いて、鈍く外の光が差し込んでいる。


 なのに、雨が一滴も部屋の中に入ってこないのはなぜだろう。


 中でも私が最大級の違和感を覚えたのは、部屋の中央でメラメラ燃えている焚火。


 燃料としての炭木が囲炉裏の中央に並べられているが、あくまで形式上並べられているだけで、炎は木よりも数㎝上の空間でまるで小さな太陽のように燃え盛っている。


 まるでドラえもんが作り出した世界のように。


「あー、よく泣いたし、泣いても事実はなにも変わらないからな。俺の泣き虫タイムはこれでお終い。どう? 男の大人がぎゃんぎゃん泣いてるのみると、逆に興ざめして、もう泣こうなんて思わなくなったっしょ?」


「え?ひょっとして私を泣き止ませるために、わざわざ泣いてくれたの?」


 男はちょっとはにかむと、照れを隠すように、私に向かって手を伸ばしてきた。


「まぁ、そんなことはどうでもいいじゃん。俺もさっぱりなにが起きてるのか分からないが、運命に導かれ、こうやって今ここにふたりがいる。それは事実。運命の先になにがあるのか、お互い協力して探し出し、一緒にこのセンチネル島から脱出しようぜ、プリヤンカ」


 私が頼れるのは、現実問題として目の前にいるこの男しかいない。


「分かったわ」


 私も手を伸ばしかけた時、至極当然の疑問が湧きあがった。


「でも、あなたのこと、なんと呼べばいいの?」


「お、そうだよな~。人間って名前がないと、困っちゃうよな。じゃあ、逆になんて呼びたい?」


 すると、私の中に、ある名前が突如として浮かび上がったのです。


 そして、その瞬間、私はその名前を叫んでいた。


「祐介!」



「祐介!」


「きゃ! ちょっとプリヤンカ、びっくりさせないでよ! どうしたの、急に祐介なんて叫んで」


 目の前には驚いたまま跪く、先ほどのままの綾子さんがいた。


 私が聞いて見たシーンは、夢の出来事なんだろうか。


「あ、ごめんなさい! なんか名前を呼んであげたいと思ってたら、叫んじゃってて(笑)。それに祐介さんなのに、祐介なんて呼び捨てにしちゃって、すみません」


 思わず頭をペコリを下げる。


「大丈夫よ。ありがとう。女ったらしの祐介だから、きっとプリヤンカに名前呼んでもらって、喜んでると思うわ。でも驚いたわ~。日射病で頭おかしくなったかと思ったわよ」


 その後、綾子さんだけでなく俊介と麗子も合流し、はやし家で最後の晩餐会をしてくれた。


 いつもは苦手な醤油が今日は美味しく感じたのは、生前醤油が大好きだった祐介さんのお墓参りをしたからだろうか。


 そして、あっという間に会もお開きとなり、これから中野まで帰る綾子さんファミリーに最後お別れの挨拶をした。


「綾子さん。大変お世話になりました。今日、お墓参りご一緒させていただきましたけど、私、祐介さんがあそこにいるって信じてます」


「そう。ありがとう。私もそう思ってるから、安心したわ」


 綾子さんは祐介さんのことを今でも大好きなんだろう。


「麗子。またインドにも遊び来てよ。そうそう、アイドルの追っかけもいいけど、ちゃんと勉強して、立派な医者になるのよ」


「あー、そんな小姑みたいなこと言うと、この大女優の麗子様がプリヤンカのユーチューブに出演しなくなるわよ」


 憎たらしいけど、麗子の白さはインドで大人気なのは事実だからね。


 そして、最後は俊介の番となった。


「俊介。今年こそは絶対大学受かってね。そしたら、またタッグ組んで、ユーチューブたくさんプロデュースしてね」


 こう言いながら握手を交わすと、俊介が真面目な顔でこう返答したのです。


「あぁ、もちろんだよ。俺様が次にプロデュースする企画はもう決まってるから」


「えー、どんな内容?」


「今言っちゃうとネタバレしちゃうから、あとでワッツイットにメッセージ送っとく」



 こうして、とても充実した日本での日々を過ごすことができた。


 そしてこの極めて日本的な空間で寝られるのも今晩が最後なのかと、しみじみした気分になる。


「でも、明日は早起きしなきゃだから、もう寝よう」


 その時、ワッツイットのメッセージ着信を告げる音がスマホに鳴った。


 送り主は俊介。


 そして、そこにはシンプルに題名だけがあった。



 - カレーと醤油は共存できるのか -



この作品はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

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