2023年6月4日(日) 放たれた雷霆
6月4日(日)
「おはようございます」
「おはよう。どう? 昨日はぐっすり寝れた?」
2階から店舗のある1階へ階段を下る。
トントンとなにかを軽快に刻むリズム、そして、柔らかい醤油交じりの湯気が、厨房からはやし家全体へと広がっている。
とても平和な日曜日の朝。
もしこれがインドならば、ピピピーという騒々しく鳴り響くクラクションの音、そして、悪臭に塗れた大気汚染が、私の周囲を包み込む、とでもなるのだろう。
「はい。さち江特製の和定食ですよ。冷めないうちにお食べなさい」
「ありがとうございます。わぁ、美味しそう!」
ハゼの天ぷら、大根サラダ、刻みネギを塗した納豆、わかめの味噌汁、それに白いライスが、まるで飲食店の店頭にディスプレイされている食品サンプルのように私の目の前に並べられた。
インドではまるで想像もしなかったディス・イズ・ジャパニーズ・ブレックファストに、思わず涎が垂れそうになる。
いざ箸を手に取り、それらを口にすると、スパイスたっぷりカレー味がしないことに対する驚きが最初に襲ったが、終いには日本人のおもてなしを感じる優しい味わいに心がほっこりした。
完食。
「プリヤンカのお口に合ったようで、嬉しいわ~」
「合う、なんてもんじゃないですよ。美味しいです! これ、絶対にお金取れますよ」
「あらあら。お金、頂いてるわよ。ここが料亭はやし家だって、忘れちゃったの。ふふふ」
優しく微笑むさち江さんの目が、なんとも美しい。
すると、こんなことを言われてしまったのです。
「前から思ってたけど、プリヤンカの瞳って、右が黒、左が黄で、素敵よね」
あれ?
私の瞳って、両方とも黄になってたんじゃなかったっけ……
その瞬間、ゴーンという鐘の音が聞こえてきた。
そういえば、この正月にルビーの指輪が放つ真紅の光線によってユーチューバーのプリヤンカとして私が目醒めてから、柴又帝釈天を訪れた記憶がない。
「さち江さん。ちょっと帝釈天へ行ってみようと思うんですけど」
「そうね。プリヤンカは昔から帝釈天へ行くのが好きだったからね。ゆっくりしてらっしゃい」
はやし家から歩いてたった5分ほどの距離でしかないが、今日は日曜日で天気も良いこともあり、参道は多くの参拝客で賑わっていた。
映画「フーテンの寅さん」の舞台となり、草団子で有名な高木屋、それにはやし家と同様、江戸川で獲れた川魚料理を提供する川千屋など、老舗飲食店にも既に長い行列が出来ていた。
しかし、人をかき分けて帝釈天の境内をくぐった瞬間、明らかに異質な雰囲気を感じたのです。
それは、単にお寺が古めかしい日本の建造物であるからではない。
聞こえるんです。
「ヨウヤク キタカ……ハヤク オイデ……」
という声が。
「だ、誰?」
でも、周囲の人々にはまるで聞こえていないらしく、スマホで写メを撮ったり、お賽銭を投げてお祈りをしていたりしている。
「オイ コッチダ……」
「だから、誰なのよ!」
そして、怒りに任せて大声を上げたと同時に、本堂から私に目がけて雷霆が放たれたのです。
「きゃーーー」
私はその場で意識を失ってしまった……
☆
「きゃーーー」
ハァハァ、ハァハァと息が上がり、心臓はバクバク音を立てる。おまけに頭はクラクラするし、目はなんだかチカチカする。
「なんか悪夢見てましたって感じの目覚めだな」
「……ん?」
声のする方に目を向けると、まだ焦点が定まらない私の瞳が、膝を抱えながら焚火の炎をじっと見つめる男の姿を捉えた。
ターザンのように上半身裸で、ヒョウ柄のパンツだけを身に纏っている
キョロキョロ自分の姿を見渡すと、白くて優しい獣の皮で出来たビキニ姿で、茣蓙の上に寝かされていた。
「え? あなた誰? っていうか、ここはどこ?」
「おいおい、ひょっとしてもう忘れちまったのかい? ついさっきこの島の村長であるオヂュイセアイオイペペに怪しげな儀式をされ、お互いなんとか今に至る者同士だってのに。その後、よく分からんがお前が急にえんえーんって泣き出してそのまま泣き疲れて寝ちゃったから、俺がここまで背負ってきてあげたんだぞ。ちょっとは感謝の意を示してほしいな」
「泣いたのは覚えてるし、ちょっと思い出してきた。じゃあ、さっき私が夢で出会ったお父さん、お母さん、島の人が言ってた通り、ホントに死んじゃったの?」
「それは俺にも分からんが、おそらく俺たちは飛行機事故に遭って、その後漂流し、唯一の生存者になってる可能性は高いと思う」
「やっぱりそうなんだ」
「グスン、グスン……」
改めてその事実に触れると、再び涙がほほを伝わり始めた……
☆
「グスン、グスン……」
自分が泣いてることに気付き、目を開けると、そこははやし家の2階、私が寝起きしている部屋だった。
「大丈夫? 帝釈天で急に倒れたって聞いた時は、びっくりしたわよ~。幸いにもお寺の住職さんたちが直ぐに気付いてくれて、ここまで運んでくれたのよ。今度会ったら、プリヤンカからもお礼ちゃんと言っといてね。あら? あなた……泣いてるの? ちょっと嫌なことでもあったの? でも、もう大丈夫。ちゃんと私が傍にいるから。大丈夫よ……」
そう言いながら、さち江さんは私の涙を手で拭いがら、そっと抱きしめてくれた。
その温もりは、まるで実の母親のような愛に満ち溢れていた。
この作品はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。




