第五話「メンテナンス&チューンアップ」
M市の外れにある古い倉庫は、昼間でも少しだけ薄暗い。
屋根の隙間から差し込む光が、床に長い線を作っている。
積み上げられた工具箱。古びた作業台。使いかけのケーブル。壁際に置かれた予備バッテリー。
そして、その中央に鎮座する赤いM.R.V。
サンデイ。
トーキョー西部第一エリア代表となったその機体は、地区予選決勝から数日経った今も、まだ痛々しい姿をしていた。
左腕のレンチユニットは分解され、脚部のカバーは外され、右腕のジャンクアームには仮止めの補強材が巻かれている。
あちこちに付いた傷と焦げ跡が、あの戦いが夢ではなかったことを教えていた。
そのガレージの隅で、和形レイはノートパソコンに向かっていた。
膝の横には取材用バッグ。
その隣には、丸めた寝袋と、コンビニで買った歯ブラシ。
密着取材という名目で出入りしているうちに、気づけば半分ほど住み着いている。
「……なし崩しって、こういうことを言うんだろうなぁ」
レイは小さくつぶやき、コンピューターの画面へ視線を戻した。
画面には、ここ数日の取材メモが並んでいる。
サンデイが格納されているこの倉庫は、センジの父親が所有している郊外の古い倉庫。
現在はほとんど使われておらず、いつしかアスカ、キョウ、センジの三人が入り浸るようになった。
小学生の頃からの秘密基地。
センジが廃棄パーツを持ち込み、キョウが端末を広げ、アスカが意味もなく走り回る場所。
その延長線上に、サンデイは生まれた。
レイは指を止め、サンデイを見上げる。
ジャンクの塊。
そう呼ぶしかない機体だ。
けれど、あの機体は勝った。
プロのフルカスタムM.R.Vを相手に、真正面から勝った。
「チームサンデイ……か」
レイは再びメモを打ち込む。
昨日アスカ。
明日キョウ。
今日センジ。
三人の苗字に共通する“日”から付けられたチーム名。
パイロットのアスカは、運動神経抜群。向こう見ずで、無茶で、はっきり言うとおバカ。
けれど、先日の地区予選で見せた操縦は、才能と呼ぶしかないものだった。
機体を壊すことを恐れない。
姿勢を崩すことを怖がらない。
予測不能な重量移動さえ、感覚でねじ伏せてしまう。
あれは、普通の訓練で身につくものではない。
レイはそこで、少しだけ指を止めた。
アスカは、祖母と二人暮らしだという。
災害と異常気象が増え、各地で紛争や戦争まで起きているこの時代、片親や親のいない子供は珍しくない。
だから、それ自体は特別な話ではない。
けれど。
レイの胸には、まだ小さな引っかかりが残っていた。
アスカの横顔。
笑う前に一瞬だけ鋭くなる目元。
面白いものを見つけた時の、危ういほど楽しそうな表情。
どこかで見たことがある。
思い出せない。
思い出さない方がいい気もする。
「……考えすぎかな」
レイは首を振り、次のメモへ移った。
明日キョウ。
サポート役。オペレーター。ソフトウェア担当。
成績優秀で、有名な電子工学系の高専への進学を目指している。
冷静で、観察力があり、アスカの無茶を戦術に変換する役目を担っている。
今日センジ。
メカニック。
サンデイをジャンクから組み上げた張本人。
この数日、機体のメンテナンスに四苦八苦している。
キョウとは学科違いで、同じ高専を目指しているらしい。
そして、ファイア。
ナガヒラタマムシ型AIOS。
業務用AIOSであることは間違いない。
ただし、その出所について三人は毎回もごもごと口を濁す。
「……まあ、ここは追及しすぎない方がいいか」
レイは苦笑した。
イレギュラーでイリーガルすれすれ。
そう言ったのは自分だが、実際に掘れば本当にイリーガルが出てきそうで怖い。
けれど、今はそれよりも書くべきものがある。
三人にとって、この夏がどれほど特別なのか。
来年には別々の道へ進むかもしれない三人が、壊れかけの機体と未完成のAIOSを連れて、無制限のサーキットに飛び込んだ。
それはただの無茶ではない。
彼らにとって、これは一生に一度の夏なのだ。
レイはそっと、コンピューターに書き留める。
――三人と一機は、壊れた街で、終わらせたくない夏を走り出した。
その時だった。
ガラガラガラ、とガレージのシャッターが鳴った。
強い日差しが一気に入り込み、ガレージの床に三つの影が伸びる。
「レイさーん、おはよー!」
アスカが手提げ袋を掲げて入ってきた。
「おばあちゃんがサンドイッチ作ってくれたから、食べていいよー」
「お、ほんとに?」
レイは顔を上げた。
「ありがとう、アスカちゃん。助かるー」
「いっぱいあるよ。センジの分もあるって」
「俺はもう食った!」
センジが工具箱の上に荷物を置きながら言う。
「でも食うけどね!」
「食べるんじゃん」
キョウが横からつっこむ。
いつもの三人。
いつもの朝。
けれど、ガレージの中央にあるサンデイだけは、いつもとは違って見えた。
勝った機体の傷。
それは、次の戦いへ進むための傷。
数時間後。
ガレージには金属音と工具の音が響いていた。
センジはサンデイの脚部カバーを取り付け直し、油の付いた手袋を外す。
「うしっ。これで一通り直った感じだな」
彼は少し離れて、サンデイを見上げた。
「地区予選で取れたデータから、脚部バランサーのセッティングも当たりがついた。前よりは足回りを中心に動きが良くなってるはずだぜ、アスカ」
「おおー!」
アスカが目を輝かせる。
「速くなった?」
「速くしたんじゃなくて、転びにくくした」
「じゃあ速く走れるね!」
「あのなぁ……」
センジが呆れた声をあげる。
キョウは作業台に置いたタブレットを見ながら、淡々と言った。
「でも、姿勢制御の補正幅は前より広がってる。ファイアが地区予選で取ったデータも反映できたし、危険姿勢に入る前の予測は多少改善してるはず」
ガレージの端に置かれた小型コンピューターから、ファイアの声が響く。
『訂正。多少ではなく、前回比で姿勢崩壊予測精度が十八パーセント向上しています』
「お、数字で言うようになった」
センジが笑う。
「成長してるな、ファイア」
『評価。私は学習しています』
「あとはファイアに、もっといろいろ蓄積させられれば……だいぶ良くなる」
キョウがタブレットを見たまま言う。
「それなら、練習あるのみだ!」
アスカが拳を上げた。
「午後は乗り回すぞーっと!」
「その前に一旦休憩しなー」
レイが椅子から立ち上がった。
「お姉さんがアイス買ってきたげよー」
「レイさん、大好き!」
アスカが笑顔で振り向く。
「はいはい、知ってる」
しばらくして、ガレージの前に四人と一機分の休憩時間が訪れた。
アスカは棒付きのアイスを手に、満面の笑みを浮かべている。
バニラアイスにカラースプレーが大量に付いていて、中にはチョコがぎっしり入っているらしい。
「アスカ、ほんとそのアイス好きだね」
キョウが言った。
「バニラにカラースプレーいっぱいついてて、中はチョコのてんこもりアイス」
「なにー、食べたいの?」
アスカがにやにや笑う。
「違う。てんこもりで子供っぽいなって思ったんだよ」
「な、なんですと……」
アスカは少しだけ落ち込んだ顔になる。
「めっちゃおいしいのに……」
『質問』
小型コンピューターのスピーカーから、ファイアの声がした。
『冷却された食品に、色付き粒子を付着させる目的は何ですか』
「甘くて美味しいから!」
アスカが即答する。
『質問。すでに甘いアイスクリームに甘い物を付着させても味は変わらないのでは?』
「わかってないねぇ、足し算なんだよ甘くて美味しい+甘くて美味しい=すごく甘くて美味しいになるんだよ」
『不明です』
レイが笑う。
「いいねえ。ファイアちゃん、順調にアスカちゃん語を学んでる」
「アスカ語を学ばせるの、不安しかないんだけど...(主に夏休みのあと、学校に戻すことを考えると)」
キョウが言いかけた言葉を飲み込む。
アイスを食べ終わった頃、センジが作業台の上から小さな端末を持ってきた。
腕時計のような形をしている。
やや古いデザインで、厚みのあるディスプレイに、いくつかのダイヤルとボタンが付いていた。
「さて」
センジがそれをアスカに見せる。
「ファイアの成長のために、俺とキョウで考えた秘策がある」
「秘策?」
アスカが身を乗り出す。
「その時計みたいなの、なに?」
「W-GEAR」
キョウが説明する。
「ひと昔前のウェアラブル端末だよ。捨ててあったジャンクをセンジが直した」
「直したっていうか、ほぼ中身は組み直しだな」
センジは少し得意げに言った。
「このW-GEARには、サンデイからファイアを一時的に移動させられる」
「ほうほう」
「サンデイに乗ってない間も、アスカがこいつを身に着けて過ごす」
「ほうほう!」
「W-GEARを通じて、ファイアはアスカの行動傾向とか、思考パターンとか、言葉の使い方とか、そういうデータを蓄積する」
キョウが続ける。
「そうすれば、アスカのサポートに特化したAIOSへ成長するはずだ」
アスカはW-GEARを受け取り、目を輝かせた。
「つまり、ファイアとずっと一緒にいられるってこと?」
『確認。私がこの端末へ移動するということですか』
「そう」
キョウが頷く。
「常時接続ではなく、必要な時にサンデイへ戻せるようにする。W-GEAR自体が簡易端末兼、起動キーになる」
「ふーん、面白い考えだねぇ」
少し離れた位置から、レイが会話に入ってくる。
「プロシーンでのAIOSは、積極的に戦闘経験を積ませることで、パーツの扱い方や戦略を学んでいく。より効率的な攻撃や、より無駄のない動作を身に着けさせるわけだけど」
レイはアスカとW-GEARを交互に見る。
「君たちは、ファイアちゃんをアスカちゃんの操縦サポートに特化させようってわけだ」
「そういうことです」
センジが頷く。
「どのみち、これから戦うライバルたちの今までの戦闘時間と経験値に、真っ向から張り合っても勝てないっスからね」
キョウも続ける。
「ファイアは根っからの戦闘用AIOSじゃない。でも、アスカを理解することならできる。そこを伸ばした方が、勝ち筋がある」
『質問。昨日アスカを理解することは、戦闘に有効ですか』
「めちゃくちゃ有効」
センジが即答した。
「むしろ俺たち、そこだけで戦ってるようなもんだし」
「どういう意味よ」
アスカが頬を膨らませる。
「褒めてる」
「ほんとに?」
「半分くらい」
「半分!」
レイは楽しそうに笑った。
「なるほど。とりあえず、ファイアちゃんと四六時中一緒に過ごすってわけね」
「よし!」
アスカはW-GEARを左腕に装着した。
少しごつい端末が、細い手首に固定される。
「似合う?」
「似合う似合う」
センジが適当に言う。
「適当!」
「いや、実際ちょっとそれっぽいよ、なんかパイロットっぽい」
キョウが言った。
『確認。移動準備完了』
ファイアの声が、小型コンピューターからW-GEARへ移る。
ディスプレイに、赤い小さなタマムシのアイコンが表示された。
『環境が変化しました。現在、携帯端末内です』
「よろしく、ファイア」
『確認。よろしくお願いします、アスカ』
「あ、ちょっと近くなった感じする」
「それと」
キョウが真面目な顔で言う。
「そのW-GEAR自体がサンデイの起動キーにもなってる。なくしちゃダメだよ」
「なくさないって」
「アスカ」
キョウとセンジが同時に言った。
「なくしちゃダメだよ」
「二回言わなくていい!」
午後。
ガレージの外にある広い空き地で、サンデイの機動テストが始まった。
周囲にはひび割れた舗装路と、雑草の生えた空き地。
遠くには使われなくなった倉庫と、傾いた電柱が見える。
サンデイがゆっくりと一歩を踏み出す。
重い駆動音。
脚部の軋み。
それでも、以前より動きは安定していた。
「たしかに……前よりは遠心力でよろけたり、足元がぐらついたりするの、多少は収まってるけど……!」
コックピットの中で、アスカは操縦桿を握りながら声を上げる。
それでも揺れる。
左右非対称の機体は、歩くだけで身体を大きく揺さぶってくる。
『重量バランス不安定。接地性に問題あり。機動予測と実機動に誤差あり』
ファイアは冷静に告げた。
『データ蓄積中。修正します』
「よろしく!」
アスカは笑う。
「順調に学習してるみたいだし、とりあえず本選まではひたすらデータ収集と調整かな」
ガレージ前で、キョウがヘッドセット越しに通信する。
片耳ヘッドホンから伸びたマイクが、口元まで届いている。
隣ではセンジが、サンデイの動きを見ながらメモを取っていた。
「消耗品はレイさんのコネと取材料で買うとして、他のパーツも欲しいとこだよなぁ」
「はいはーい!あたし、武器ほしー!」
アスカが通信越しに呑気に言う。
「まず足回り!」
センジが即答した。
『同意します。脚部姿勢制御のため、各種モーターの強化を推奨します』
「ファイアまで!」
アスカが叫ぶ。
「言うようになったなぁ、ファイアも……」
センジが苦笑する。
『学習しています』
「じゃあ、武器は?」
『現状の戦闘記録では、武装追加よりも姿勢制御改善が勝率向上に寄与すると推定します』
「真面目か!」
アスカが不満げに言う。
サンデイは歩行から軽い走行へ移る。
以前よりも転びにくい。
だが、まだ危うい。
急制動のたびに機体が傾き、旋回のたびに脚部が悲鳴を上げる。
そのたびにファイアが補正を入れ、キョウが数値を確認し、センジが調整点を叫ぶ。
レイは少し離れた場所で、その様子をカメラに収めていた。
「いいねえ……」
ファインダーの向こうに、夕方の光を浴びてぎこちなく動く赤い機体が見える。
かっこ悪い。
危なっかしい。
けれど、目が離せない。
日が落ちる頃、ようやく練習は終わった。
ガレージ前に戻ったサンデイからアスカが降りてくる。
汗だくで、けれど満足そうな顔をしていた。
「いやー、走った走った!」
「走ったというか、転ばなかっただけだよ」
キョウが言う。
「転ばなかったなら勝ち!」
「アスカの勝利条件、低いなぁ」
センジはサンデイの脚部を確認しながらつぶやく。
レイは手を叩いた。
「はい、集合。ちょっと提案があります」
三人が振り向く。
W-GEARの中で、ファイアのアイコンも点滅した。
「現状、このままだと本選では厳しい」
レイは真面目な顔で言った。
「勝ち負け以前に、機体がもたない。スペアパーツがなければ、一試合戦って終わり。最悪、試合前に何かがあって壊れたりしたら...ね?」
「うっ」
センジが言葉に詰まる。
「それは……まあ、そうっすね」
「そこで」
レイは人差し指を立てた。
「そんな迷える君たちに、提案ですっ!」
アスカの目が輝く。
「なになに?」
「本選開始まで二週間弱。それまでに、トーキョーで開催される非公式サーキットに出場してみないかい?」
キョウの眉がぴくりと動く。
「非公式サーキット?」
「そう。公式戦ほど大きくはないけど、今もあちこちでやってる。サマータイム期間中は特に盛んだね。パーツを賭けたり、賞金が出たり、腕試しに来るパイロットも多い」
レイは楽しそうに続ける。
「戦えばファイアちゃんも、アスカちゃんも、キョウくんも、センジくんも勉強できる。勝てばパーツや賞金も手に入る。地区予選の結果はもう話題になってるし、顔パスで出られる可能性は高いよ。私もいるし!」
「ちょっと待ってください」
キョウが冷静に言う。
「非公式ってことは、安全管理は公式より緩いんですよね」
「うん。そこは正直に言う」
レイは頷いた。
「人を怪我させるための場所じゃない。でも、荒っぽい連中は多い。公式戦みたいに全部が丁寧に管理されてるわけじゃない」
「負けたら?」
センジが聞く。
「パーツ全損で終わりっすよね」
「勝っても壊れる可能性はあるね」
「きっつ……」
センジが頭を抱える。
「でも、何もしなくても詰むよ」
レイはサンデイを見た。
「今のサンデイには、経験もパーツも足りない。足りないなら取りに行くしかない」
「おお……」
アスカが感心したように頷く。
「レイさん、なんか今かっこよかった」
「なんかは余計です」
レイは胸を張る。
「それに、地区予選の勢いはどうしたんだい、少年たち。行きのことしか考えてなかった君たちなら、今さら慎重になりすぎるのも変じゃない?」
「それを言われると弱い……」
キョウが苦笑する。
アスカは拳を握った。
「非公式サーキット、わくわくするねー! あたし、やりたい!」
「パイロットのアスカが乗り気なら仕方ないか……」
キョウが息を吐く。
「ただし、情報収集してから。相手も場所も分からずに突っ込むのはなし」
「僕は脚部と右腕のチェックしてからだな」
センジも立ち上がる。
「出るなら、今度こそ行きと帰り道も考えて出る!」
「偉い!」
レイが拍手した。
「成長してる!」
「行きはレイさんに、運転してもらって!帰りもレイさんに運転してもらう!」
「そうだと思った!」
レイはやっぱりか、といった表情で顔を覆う。
『提案。非公式サーキット参加前に、想定される戦闘パターンの入力を要求します』
ファイアがW-GEARから告げる。
「ファイアも乗り気?」
アスカが腕を上げる。
『訂正。私は危険を低減するための準備を提案しています』
「じゃあ乗り気ってことで!」
『不明です』
レイは満足げに頷いた。
「うんうん、良い心意気だぞっ!」
夕焼けが、ガレージの中に差し込んでいた。
傷だらけのサンデイ。
腕に宿ったファイア。
工具を握るセンジ。
端末を開くキョウ。
そして、目を輝かせるアスカ。
レイはカメラを構える。
パシャッ。
小さなシャッター音が、夏のガレージに響いた。
「では、チームサンデイ」
レイは笑った。
「非公式サーキットに参戦しよう!」
「おーっ!」
アスカの声が、ガレージの天井に弾ける。
三人と一機は、次の戦場へ向かうことになった。




