第一話「夏の始まり」
夏休みが始まる日の空は、いつだって少しだけ嘘くさい。
青すぎる空。白すぎる雲。やけにうるさい蝉の声。
校舎の窓から見えるトーキョーM市の景色は、どこか色あせた絵葉書みたいだった。
古いビル。使われなくなった高架。雨水で錆びた標識。
そして、遠くに見える放棄エリア。
かつて東京と呼ばれた場所の外れ。
ここには、取り残されたものばかりが残っている。
トーキョーが壊れてから、もう三十年近くが経つ。
異常気象という言葉が、まだ“異常”だった頃。
世界各地で、突発的な豪雨や局所的な台風、都市機能を停止させる熱波が頻発した。
日本も例外ではなかった。
もともと災害の多い国だったこの場所は、世界が変わる速度に追いつけなかった。
地下は水に沈み、高層ビルは風に削られ、交通網は何度も寸断された。
一度は、壊れた首都を作り直すための計画もあった。
首都再生計画。
無数の汎用型搭乗機動機――M.R.Vがトーキョーに導入され、瓦礫を退かし、道をつなぎ、街をもう一度組み上げようとした。
けれど、その計画は数度の政権交代などを経て次第に止まった。
政府機能は日本各地へ分散され、トーキョーは“戻す場所”ではなく、“残された場所”になった。
開発途中の区画。
使われなくなった工事現場。
そして、放棄されたM.R.Vと無数のパーツ。
この街には、壊れたものが多すぎる。
けれど、壊れたものは、いつだって誰かに拾われる。
「――夏休みだぁぁぁっ!」
終業式を終えた校門前で、”昨日アスカ”は両腕を空に突き上げた。
首にかけたゴーグルギアが、跳ねた拍子に胸元で揺れる。
黒髪のポニーテールが、夏風に大きく流れた。
「声でかいよ、アスカ」
隣で"明日キョウが、少しだけ眉をひそめる。
薄いクリーム色の髪。大きめの黒いカーディガン。表情は涼しげで、夏の熱気から一人だけ切り離されているみたいだった。
「いいじゃん! 夏休みだよ? 叫ばない方が失礼でしょ!」
「誰に?」
「夏に!」
「夏に礼儀を求めるなよ」
その後ろで、”今日センジ”が笑った。
作業用ベストのポケットには、いつものように小型工具がいくつも差さっている。
「まあまあ。アスカが静かだったら、それはそれで心配だしな」
「でしょ! センジはわかってる!」
「わかってるっていうか、諦めてるっていうか」
「何それ!」
三人は笑いながら歩き出した。
この三人でこうして帰るのは、何度目だろう。
小学生の頃から、放課後も休みの日も、気づけばいつも一緒だった。
校門を出て、駅前へ続く坂道を下る。
M市の駅前には、ひび割れた広場と、古びた大型ビジョンがある。
普段は地元商店街の安売り情報か、プロリーグの試合結果くらいしか流さない画面が、今日は派手な赤と黄色で染まっていた。
映っているのは、M.R.V同士の戦闘だった。
赤い装甲の機体が、瓦礫の上を跳ぶ。
青い機体が、腕部のシールドでそれを受け止める。
上空を飛ぶ観戦ドローンが、その一瞬を追いかけ、画面の中で火花が散った。
『トーキョーエリアリーグ、来季開幕戦まであと――』
プロサーキットの告知映像。
サーキット。
M.R.V同士を戦わせる戦闘競技。
もともとは、首都再生計画が白紙になったあと、放棄された機体やパーツを拾った者たちが、誰にも管理されない放棄エリアで始めた遊びだった。
壊れた機械を直し、壊れた街で戦わせる。
危険で、無秩序で、無茶苦茶。
けれど、その映像は派手で、熱くて、観る者を夢中にさせた。
やがて、サーキットはM.R.V四大メーカーと呼ばれる大企業たちの目に留まる。
M.R.Vの性能を見せるには、これ以上ない舞台だった。
パーツの実戦テストにもなる。
観客も集まる。金も動く。
地下の遊びは、いつしかプロスポーツになった。
今では、世界規模のワールドリーグと、地域単位のエリアリーグがある。
プロリーグでは、機体重量、パーツ出力、武装カテゴリ、AIOS補助規格、安全機構まで、細かいレギュレーションが存在する。
試合で機体が壊れることはあっても、パイロットを壊すための競技ではない。
それが、現在のサーキットだった。
画面の中で、勝利した機体が片腕を上げる。
観客の歓声が流れる。
「やっぱ、プロの機体って動きが綺麗だよなあ」
センジが、少しだけ羨ましそうに言った。
「パーツの応答が揃ってる。無駄なブレがない。整備も制御も段違いだ」
「ふーん」
アスカはビジョンを見上げたまま、あまり聞いていない。
キョウが横目で見る。
「授業中にこっそり観てるくせに、そういうところは聞かないんだ」
「観るのと難しい話は別!」
「堂々と言うなよ」
プロリーグの映像が終わる。
その瞬間、大型ビジョンが一気に夏色へ切り替わった。
青空。
廃墟。
飛び交うドローン。
そして、画面いっぱいに踊る文字。
『今年も開幕! トーキョー夏季無制限サーキット――サマータイム!』
アスカの足が止まった。
派手な音楽とともに、見たこともないM.R.Vが画面を横切る。
旧式重機のような機体。
妙に派手な塗装の軽量機。
明らかにプロリーグでは見ない形の試作機。
片腕だけが異様に大きいジャンク機。
どれもバラバラで、どれも無茶苦茶で、どれも楽しそうだった。
画面の下に、文字が流れる。
年齢経歴不問。
ライセンス不問。
パーツレギュレーション無制限。
エントリー後のパーツ換装自由。
各地区代表、決勝リーグ進出。
「……サマータイム」
アスカの目が、ぱっと輝いた。
キョウはその表情を見て、嫌な予感がした。
「アスカ」
「キョウ」
「やめよう」
「まだ何も言ってない!」
「顔に出てる」
センジがうなずく。
「出てるな」
「出てないし!」
アスカは制服のポケットから、折りたたまれた一枚のチラシを取り出した。
「じゃーん!」
勢いよく広げる。
そこには、大型ビジョンと同じ赤い文字が躍っていた。
――サマータイム。
トーキョー夏季無制限サーキットトーナメント。
「今年の夏は、最高にする」
アスカは笑った。
「あたしたちで出る! サンデイで!」
センジが固まった。
「いやいやいやいや、待て待て待て」
「待たない!」
「サンデイ、まだまともに動かないぞ」
「動くよ!」
「歩くと転ぶ」
「転ぶけど動く!」
「それを動くって言うのか……?」
キョウはチラシを受け取り、内容に目を通した。
「……本当に無制限だ。地区予選は複数ブロック制。突破者は決勝リーグ進出。エントリー後のパーツ換装自由。チーム参加も可能。ただし談合禁止。同一チームは原則別ブロック配置……」
「なにそれ、つまり出られるってこと?」
「理屈の上ではね」
「やった!」
「ただし、プロも出る」
アスカの笑顔が一瞬だけ止まった。
「……プロ?」
「エリアリーグ所属のチームが毎年何組も参加する。新パーツのテスト、若手パイロットの実戦経験、スポンサー向けの宣伝。理由はいろいろ」
センジが頭を抱えた。
「つまり俺たちのジャンク機が、プロのフルカスタムのM.R.Vと当たる可能性もあるってことか」
「ある」
「最高じゃん!」
「最悪だよ」
キョウは即答した。
「サマータイムは普通のサーキットとは違う。通常リーグならパーツ規格も重量も出力も細かく決められてる。でもサマータイムは、最低限の安全基準さえ満たしていれば、旧式でも、試作機でも、ジャンクでも出られる」
「じゃあサンデイも!」
「だから理屈の上ではね」
「そこ大事?」
「大事」
キョウはチラシの下部を指で叩いた。
「無制限って言っても、完全な無法じゃない。操縦席への意図的な攻撃は禁止。敵パイロットを負傷させる目的の攻撃も禁止。パイロット保護基準を満たしていない機体は弾かれる」
「じゃあ安全じゃん」
「安全じゃない」
キョウの声が少し低くなる。
「人を殺さないための最低限があるだけだ」
アスカは口を尖らせた。
「でも、サンデイならいけるでしょ?」
センジが腕を組む。
「サンデイは……まあ、一応動く」
「ほら!」
「一応だ。一応」
センジは念を押すように言った。
「コックピットの保護材も足した。緊急停止系も動く。右腕と左腕の応答差も、まあ、死なない程度には合わせた」
「死なない程度」
キョウが眉をひそめる。
「言い方」
「実際そうなんだからしょうがないだろ」
センジは苦い顔で続ける。
「でも、サマータイムの審査を通すには足りない。緊急停止機構、コックピット保護、それからAIOS補助制御。最低限そこは見られる」
「AIOS補助制御?」
アスカが聞き返す。
「パイロットが気絶した時とか、機体が危険姿勢に入った時に、AIOSが強制停止や姿勢制御を入れる仕組みだよ」
「そんなのなくても、あたし気絶しないし」
「そういう問題じゃない」
キョウが即座に言った。
「それがないと、エントリーで弾かれる」
その言葉に、アスカは黙った。
AIOS。
疑似人格積層電脳。
M.R.Vに搭載され、操縦者の補助を行うもう一つの頭脳。
M.R.Vは、胴体を中心に、左右の腕部と脚部を換装できる機械だ。
不整地ではキャタピラ脚部。
倒壊寸前の建物では、重量を分散する多脚型。
腕部を換えれば、瓦礫の撤去、精密作業、建設、救助、そして競技戦闘にまで対応する。
その汎用性は圧倒的だった。
けれど、だからこそ操縦は複雑になる。
左右で違う腕。
状況で変わる脚。
現場ごとの重心、負荷、姿勢制御。
人間一人で、そのすべてを瞬時に扱うのは難しい。
そこでM.R.Vには、AIOSが組み込まれる。
動物や昆虫など、生物の行動モデルを基に構築された疑似人格電脳。
作業経験を蓄積し、状況を判断し、時には自律的に機体制御へ介入する。
M.R.Vは、操る機械ではない。
AIOSと共に動く機械なのだ。
アスカたちが廃棄パーツから組み上げたサンデイには、そのAIOSがなかった。
「……わかってるよ」
アスカは少しだけ口を尖らせた。
「でも、サンデイはもうある。センジが組んでくれた。キョウが制御も作った。あとはAIOSだけ」
「その“だけ”が一番高いんだよ」
センジが肩を落とす。
「家庭用AIOSじゃ容量が足りない。競技用なんて論外。中古でも俺らの貯金じゃ無理だ」
「じゃあ、どっかから借りよう」
「借りるあてがない」
「拾う!」
「落ちてない」
「じゃあ――」
「盗むのはダメ」
キョウが先に言った。
アスカはぴたりと止まる。
「……まだ何も言ってないじゃん」
「顔に出てた」
「出てないし」
「出てた」
センジもうなずいた。
「出てたな」
「二人してひどくない?」
アスカは笑った。
でも、キョウは笑わなかった。
「アスカ。これは遊びじゃない」
「遊びだよ」
アスカは即答した。
「一夏の、最高の遊び」
キョウは言葉に詰まる。
「来年は、キョウもセンジも受験で忙しいでしょ。高校に行ったら、たぶん三人とも別々になる。毎日こうやって帰ることも、きっとなくなる」
蝉の声が、一瞬だけ遠くなった。
アスカはチラシを握りしめる。
「だから、今年なんだよ」
笑っているのに、少しだけ泣きそうに見えた。
「この夏じゃなきゃ、ダメなんだよ」
センジは何も言えなかった。
キョウも、しばらく黙っていた。
やがて、キョウが小さく息を吐く。
「……一つ、心当たりがある」
「え?」
アスカの目が輝いた。
「あるの!?」
「ある。でも、最悪の心当たりだ」
キョウは校舎を振り返った。
「うちの中学校に、業務用AIOSがある」
放課後の校舎は、いつもより静かだった。
夏休みに入ったばかりの校内には、部活の声すらほとんどない。
廊下には西日が差し込み、床に長い影を落としている。
「本当にあるのか?」
センジが小声で聞いた。
「たぶんね。前に改築業者が酔って話してたのを聞いた。火災報知システムに、非公式でAIOSを組み込んだって」
「なんでそんなことを?」
「改築時に火災報知系統の接続を忘れたらしい。それを隠すために、火災報知システム自体にAIOSを入れて、校内設備と自動同調させた」
「うわ……最低だな」
「教師も知らないはずだ」
キョウは淡々と言った。
「でも、設備管理用なら業務用AIOSだ。容量はある。MRV用の機動プログラムも積めるかもしれない。安全審査用の補助制御も、組み方次第では通せる可能性がある」
「でもさ」
センジは顔をしかめる。
「それ、学校の設備だろ。盗むのは……さすがにまずい」
「だから言いたくなかった」
キョウが言う。
「他に方法がなければ考える。でも、今すぐ決める話じゃ――」
「借りればいいんでしょ?」
アスカが言った。
キョウとセンジが同時に振り向く。
「夏休みの間だけ。ちゃんと返す。つまり借りる」
「それは盗むって言うんだよ」
「言い方の問題!」
「法律の問題!」
キョウが止めようとした時には、もう遅かった。
アスカは走り出していた。
「ちょ、アスカ!」
「先に行ってる!」
「どこに!?」
「火災報知機!」
「ざっくりしすぎだ!」
階段を駆け上がるアスカの背中を、二人は追いかける。
校舎の奥。
普段は誰も気にしない管理室の扉の前で、アスカは立ち止まった。
「鍵」
センジが言う。
「任せて」
アスカはポケットからヘアピンを取り出し、それを器用に折り曲げ、古い扉の隙間に差し込む。
「お前、それどこで覚えた」
「おばあちゃん家の物置で」
「何してたの、お前の小学生時代」
かちゃり、と音がした。
扉が開く。
「ほら」
「ほらじゃない」
管理室の中は薄暗かった。
壁一面に並ぶ古い配線盤。
点滅する小さなランプ。
埃と熱の匂い。
その中央に、赤い警告ラベルの貼られた制御ボックスがあった。
センジが端末を接続する。
「……いた」
小さな画面に、識別情報が表示される。
M市立I中学校 火災報知機組込運用AIOS。
個体名、FIRE。
モデル、ナガヒラタマムシ型。
「ファイア……」
アスカがつぶやいた。
「……ナガヒラタマムシ? ムシ? どゆこと?」
その瞬間、スピーカーから無機質な音声が流れた。
『AIOSは、動物や昆虫など、生物の行動モデルをもとに構築される疑似人格電脳です』
「うおっ……喋った!?」
センジがたじろぐ。
『ナガヒラタマムシは、赤外線を探知し、山火事を利用する昆虫です。火災報知器に組み込まれた私に相応しい型です』
「……そんな虫いるのか」
キョウが感心したようにつぶやく。
『警告。許可されていないアクセスを検知。設備管理者へ通報します』
「やば」
センジが青ざめる。
「通報を止める!」
つかさずキョウが端末を操作する。
『警告。私は火災報知システムの安全維持を目的として稼働しています。取り外しは推奨されません』
「だって」
キョウがアスカを見る。
「やっぱりやめよう」
アスカは制御ボックスに手を伸ばした。
「ねえ、ファイア」
『応答。私はファイアです』
「夏休みの間だけ、あたしたちに付き合って」
『質問。目的は何ですか』
「思い出作り」
『不明な目的です』
「うん。たぶん、今のあんたにはわかんない」
アスカは笑った。
「だから見に行こうよ。あたしたちと」
『警告。私は校内火災の早期発見を――』
「火事が起きたら戻す」
「いや戻すとかそういう問題じゃ」
キョウの声を無視して、アスカはボックスを開けた。
中に収まっていた小型データボードが、赤いランプを点滅させている。
アスカはそれを引き抜いた。
校内のどこかで、短い警告音が鳴った。
「あ、バカ!」
センジが叫ぶ。
三人は管理室を飛び出した。
夏の夕方、無人の廊下を全力で走る。
窓の外では、沈みかけた太陽が街の廃ビル群を赤く染めていた。
アスカは胸にデータボードを抱えたまま、笑っていた。
その笑顔は、悪いことをしている子供の顔で、世界で一番楽しいことを見つけた子供の顔でもあった。
翌日。
M市の外れにある古い整備倉庫に、三人は集まっていた。
そこに立っていたのは、寄せ集めのM.R.Vだった。
胴体は八機電子製の旧式パーツ「コンダクト」。
角ばった赤い外装に、大型の一眼カメラアイ。下部にはエンジングリル。背面からは二本の長い通信アンテナが斜めに伸びている。
右腕は、複数メーカーのジャンクを組み合わせた歪な四本指のロボットアーム「ジャンクアーム」。
左腕は、AS.ind製の旧式大型レンチユニット。ほとんどフレームむき出しの無骨な腕。
脚部は左右で規格も重量も違う。
しかし踵の変形機構によって、歩行モードと車輪モードを切り替えられる。
機体名――サンデイ。
型式――RGB-123。
「……相変わらず、ひどい見た目だな」
キョウが言った。
「かっこいいだろ?」
センジは胸を張る。
「いや、褒めてない」
「わかってる。でも、かっこいいだろ?」
キョウは少し黙った。
「……まあ、ちょっとだけ」
「でしょ!」
アスカが機体の足元に駆け寄る。
「おはよ、サンデイ!」
返事はない。
まだ、ただの機械だ。
センジはファイアのデータボードを専用アダプタに差し込み、配線をつなげていく。
「ファイア、聞こえるか?」
『応答。環境が変化しました』
倉庫のスピーカーから声が響く。
『ここは校内ではありません。火災報知ネットワークへの接続が失われています。復旧を要求します』
「ごめん、それはあと」
『不適切です』
「だよな。俺もそう思う」
センジが苦笑する。
キョウは端末を開いた。
「これからMRV機動用の基本モジュールを積層する。最初は負荷が高い。異常があったらすぐ停止して」
『質問。私は火災報知AIOSです。MRV機動、操縦サポートは登録目的に含まれません』
「今日から含める」
アスカが言った。
『不明です』
「大丈夫。すぐわかるって」
「ファイア、まずは安全補助系から組む」
キョウが言った。
「緊急停止、転倒時姿勢制御、コックピット保護優先、関節負荷上限。サマータイムの審査を通すなら、ここを先に動かす」
『確認。安全維持目的の機能ですか』
「そう」
『それは、私の登録目的と一部一致します』
アスカがにやっと笑った。
「ほら、ファイアもやる気じゃん」
『訂正。私は安全維持機能の実装に同意したのみです。競技参加には同意していません』
「細かいなあ」
「細かいのは大事だよ」
キョウが端末を操作する。
センジがメイン電源を入れた。
サンデイの一眼カメラに、青白い光が灯る。
低い駆動音。
関節部の油圧が目覚める。左右非対称の脚が、ぎしりと音を立てた。
「起動シーケンス、通った!」
センジが叫ぶ。
「AIOS接続確認。ファイア、機体認識は?」
『認識。構造的非対称多数。重量偏差、危険域。関節応答、規定外。走行変形機構、不安定』
「すごい言われよう」
アスカが笑う。
『評価。危険です』
「最高じゃん」
『不明です』
「これからわかるよ」
アスカはゴーグルギアを装着し、コックピットへ乗り込んだ。
狭い操縦席。
左右の操縦桿。フットペダル。最低限のモニター。
古い機体の匂いと、センジが組み込んだ新しい配線の匂いが混ざっている。
ゴーグルに、ファイアの表示が浮かぶ。
『搭乗者を確認。昨日アスカ』
「よろしく、ファイア」
『確認。あなたは私を学校から持ち出した人物です』
「まだ根に持ってる?」
『根に持つ、の定義が不明です』
「じゃあ大丈夫」
「大丈夫じゃないだろ」
通信越しにキョウがつっこむ。
「アスカ、最初は歩行だけだ。絶対に走るな」
「わかってる」
「車輪モード禁止」
「わかってる」
「ジャンプも禁止」
「わかってるって!」
センジが不安そうに言う。
「なぁ、キョウ……あのバカ本当にわかってるか?」
「わかってないだろうな。避難しとこう」
「わかってるってば! てか、全部聞こえてるよ!」
サンデイが一歩、踏み出した。
重い音が倉庫に響く。
もう一歩。
左右で重さの違う脚が、ぎこちなく地面をつかむ。
「お……」
センジの目が輝いた。
「歩いた」
キョウも小さく息を飲む。
アスカは操縦桿を握りしめた。
「ファイア、感じる?」
『質問。何をですか』
「サンデイが動いてる」
『認識しています』
「違う違う、そうじゃなくて」
アスカは笑った。
「楽しいってこと!」
『不明です』
次の瞬間、サンデイの足がもつれた。
「わっ」
「アスカ!」
機体が前のめりに倒れかける。
アスカは反射的に左腕のレンチを地面に突き立てた。
金属音が響き、地面から火花を散らす。
サンデイは片膝をつきながら、ぎりぎりで転倒を免れた。
『緊急姿勢制御を実行。転倒を回避しました』
「今のファイア?」
『はい』
「すごいじゃん!」
『評価。危険です』
「褒めてるのに!」
倉庫中に静寂が落ちる。
そして。
「……今の、ちょっとかっこよくなかった?」
「全然!」
キョウとセンジが同時に叫んだ。
『評価。危険です』
「ファイアまで!」
アスカは笑った。
笑いながら、ゴーグル越しに前を見る。
倉庫の扉の隙間から、夕焼けが差し込んでいる。
その向こうに、壊れた街がある。
放棄されたビル。乾いた道路。サーキットの舞台になる廃墟。
そして、その先に夏がある。
キョウの端末が、小さく鳴った。
「……通った」
「え?」
アスカが振り返る。
「何が?」
「エントリー審査。チームサンデイ、トーキョー西部第一エリア予選への参加を承認」
一瞬、倉庫の中が静かになった。
センジが、天井を仰ぐ。
「マジかよ……俺たち、出るのか」
「ほんとに?」
アスカの声が少しだけ震えた。
「ほんとに」
キョウは端末を見たまま言った。
「チーム名、サンデイ。登録パイロット、昨日アスカ。登録サポートチームメンバー、明日キョウ、今日センジ。登録機体、RGB-123。搭載AIOS、ファイア」
『確認。サマータイム参加登録が完了しました』
ファイアの声が、倉庫に響く。
『なお、私はこの登録に同意していません』
「細かいこと言わない!」
アスカは笑った。
それから、通信越しの二人に言う。
「ねえ、キョウ。センジ」
「何?」
「やるからには、絶ッ対勝とうね!」
通信の向こうで、少しだけ沈黙があった。
「……簡単に言うなよ」
キョウが言う。
「簡単じゃないから、面白いんじゃん」
「ま、それはそうかもな」
センジが笑った。
「勝とう。三人で」
『訂正』
ファイアの声が割り込む。
『現在、この機体には私も搭載されています』
アスカは目を丸くした。
それから、声をあげて笑った。
「そっか」
ゴーグルの中で、赤い小さなタマムシのアイコンが点滅している。
「じゃあ、三人と一機で!」
サンデイの一眼カメラが、夕焼けの中で光った。
チーム名は、サンデイ。
昨日。明日。今日。
三人の苗字に共通する“日”から取った名前。
いつか離れていく三人が、同じ夏に立っていた証。
壊れた街で、壊れかけの機体に乗って。
火災報知機だったAIOSを連れて。
誰にも知られない小さな無茶が、やがて大きな熱になる。
忘れられない夏が、始まろうとしていた。




