第十二話「サバイバルレース-前編」
最後のシグナルが、青に変わった。
三十機のM.R.Vが、一斉に水路の底を蹴った。
車輪が乾いたコンクリートを切りつける音が、枯れた水路の中で反響する。金属の軋み、タイヤの悲鳴、駆動系の唸り、ブースターの短い噴射音が重なり、空気そのものが震えた。
サンデイも、その中へ飛び出した。
アスカはフットペダルを踏み込み、操縦桿を前へ倒す。サンデイの脚部ホイールが一瞬だけ空転し、すぐに路面を掴んだ。機体が前へ押し出され、コックピットの中に強い加速がかかる。
左右には、同じスタート地点から出走した十機のM.R.Vが並んでいた。
だが、その隊列は十秒も持たなかった。
右側の四輪型M.R.Vが、隣の機体へ体当たりを仕掛けた。押された機体はバランスを崩しながら、腕部に装備した軽機関砲を乱射する。弾丸が水路の壁を削り、破片がサンデイの前方へ散った。
さらに別の機体が、前へ出ようとして急加速した。その瞬間、後方から撃たれて右脚部のローラーが弾け飛ぶ。機体は火花を散らして横滑りし、すぐ後ろの二機を巻き込みかけた。
『接触予測。回避を推奨します』
ファイアの声が響いた。
「おけおけー!」
アスカのゴーグルに、前方でバランスを崩した二機が強調表示された。赤い輪郭線が揺れ、衝突予測ラインが短く点滅する。
サンデイは右へ振った。
崩れた二機の間ではなく、その外側を選ぶ。左腕のシザーユニットを畳んだまま、右腕のジャンクアームを路面近くに下げ、機体を低く保った。弾丸が肩の上をかすめたが、アスカは怯まなかった。
サンデイは二機を迂回し、前へ出る。
『残り、前方に七機です』
「おっけー。ガンガン抜いてこう!」
アスカは操縦桿を握り直し、フットペダルをさらに踏み込む。
サンデイの機体が、少しだけ前へ沈む。
以前なら、ここで左右へ大きく振られていた。だが、今は違う。換装された左腕と、交換された関節部がうまく働いている。機体の揺れは消えないが、暴れ方が読める。
読めるなら、使える。
「いいじゃん、今日のサンデイ!」
『速度上昇。姿勢制御、許容範囲内です』
「その調子!」
サンデイは、戦闘の混乱の中を前へ進んでいった。
*
先頭集団は、すでに激しくぶつかり合っていた。
水路の底は広い。だが、十機が横に広がって全速で走りながら撃ち合うには、決して十分ではなかった。前に出たい機体が横へ寄る。寄られた機体が押し返す。そこへ別の機体が銃撃を浴びせる。
レースという名前がついているが、実際には高速で行われる乱戦だった。
サンデイはその後方につけていた。
アスカは前方の状況を見ながら、唇を噛む。
スタートしてから、まだ一分ほどしか経っていない。だが、その一分でわかったことがある。
本戦の機体は、速い。
そして、遠くから攻撃できる。
サンデイには、遠距離攻撃ができるパーツがない。右腕のジャンクアームも、左腕のシザーユニットも、近づかなければ使えない。だから不用意に先頭集団へ飛び込めば、近づく前に撃たれる。
かといって、このまま後ろで様子を見ていても意味がない。
水路は基本的に直線が多い。追い抜くには、どこかで他の機体と接触するしかない。相手が隊列を組み直してしまえば、前へ出た機体は後方から集中砲火を受ける。
抜くなら、混乱している今しかない。
『この先、前方15メートルでカーブです』
ファイアが告げた。
コース図がゴーグルに浮かぶ。直線の先で、水路は大きく右へ曲がっていた。ハーフパイプのように傾斜した側面が、カーブの内側へ向けてなだらかに立ち上がっている。
アスカは目を細めた。
「抜くなら、ここでインを攻めるしかない」
『推奨速度を超過する可能性があります』
「知ってる」
『接触および転倒の危険があります』
「それも知ってる」
アスカは息を吸った。
前方の先頭集団が、カーブへ向けてわずかに速度を落とす。隊列が崩れた。銃口が内側へ向き、外側の機体が押し出される。
穴ができた。
ほんの一瞬だけ、サンデイが入れる隙間が見えた。
「ファイア!」
『最大加速。高速機動に移行します』
アスカはフットペダルを踏み抜いた。
サンデイが吠えるように加速した。
機体が左右に大きく揺れる。だが、アスカは揺れを止めようとはしなかった。右へ流れる重さを、さらに右へ送り込む。水路の側面へ向けて斜めに突っ込み、機体を半ば寝かせる。
『機体角度、危険域に接近』
「まだいける!」
サンデイは水路の側面に乗り上げた。
右膝が路面に触れる。金属がコンクリートを削り、火花が尾を引いた。右腕のジャンクアームがバランサーのように外側へ開き、左腕のシザーユニットが車体の前方へ伸びる。
先頭集団の一機が、サンデイの接近に気づいて銃口を向けた。
遅い。
アスカはさらに機体を倒した。
弾丸がサンデイの背中側をかすめる。火花が散る。その下を、サンデイは滑るように抜けた。
右膝を擦りながら、内側を切り込む。
サンデイは先頭集団の内側を、まるで壁を走るように駆け抜けた。
コックピットの中で、アスカの身体が横へ引っ張られる。シートの固定具が肩に食い込んだ。視界が傾き、ゴーグルに表示された補正ラインが何本も走る。
アスカはペダルを細かく踏み替えた。
強く踏めば滑る。弱めれば落ちる。右膝の接地圧が少しでも増えすぎれば、関節が負ける。少しでも抜ければ、機体は外側へ飛ばされる。
ファイアの補正が、機体の姿勢を支える。
アスカの入力が、その補正の先を行く。
サンデイは倒れかけながら、倒れなかった。
カーブの出口が見えた。
「ここ!」
アスカは操縦桿を引き、フットペダルを踏み替えた。
サンデイの右膝が路面から離れる。機体が跳ね、足裏のホイールが再びコンクリートを掴んだ。シザーユニットを前に振り、右腕を後ろへ流してバランスを取る。
サンデイはカーブを抜けた。
先頭集団の前に出ていた。
「よし!」
アスカが叫んだ。
次の瞬間、通信にレイの声が飛び込んできた。
『今ので3位だよ、アスカちゃん!』
「3位!?」
『一気に抜いた! すごい絵、撮れてるよ!』
通信の向こうで、キョウが息を呑む気配がした。
『アスカには、いつも驚かされるね……』
『いや、マジでどうなってんだよ』
センジの声が重なる。
『あの速度で、あんな細かい荷重移動できるのかよ』
アスカは笑った。
「へへ。キョウが調整したファイアの姿勢制御と、センジのカスタマイズのおかげだよ」
『それであの動きになるのは、アスカだけだよ』
キョウが呆れたように言った。
「褒めてる?」
『半分。』
サンデイはカーブを抜けると同時に、姿勢を深く前へ倒した。空気抵抗を減らすように上体を低くし、脚部ホイールを最大回転へ持っていく。
「とりあえず、このまま合流地点まで最大加速で突っ切る感じでいいよね?」
『うん。合流地点までは、後ろの集団の射程から逃げ続ける。』
「おけー」
アスカは正面を見た。
長い直線が続いている。
だが、その先には障害物エリアが見えた。崩落した護岸の一部が水路の底に落ち、コンクリート片や鉄筋、工事用の残骸が散乱している。
普通なら、減速する場所だ。
だが、後ろを見れば、先頭集団はまだ撃ち合いながら迫ってくる。ここで速度を落とせば、すぐに射程へ入る。
アスカは舌を出すように笑った。
「ところで、マナちゃんと天邪鬼は? 見てないけど」
『別のスタート地点みたいだよ』
キョウが答えた。
『事前情報だと、今回の天邪鬼は脚部を二脚から三輪型に変更してる。両腕も、いつもの面盾と金棒じゃなくて、トゲ付きの盾パーツに換装してるね』
『完全にレース仕様だな』
センジが言う。
『金棒を捨ててまで速度と防御に寄せてる。意外と合理的な子だな。』
「ふーん。じゃあ、会うとしたら合流地点か」
『可能性は高いです』
ファイアが告げた。
『合流地点まで約四百メートル。後方グループに動きがあります。二つに分かれています』
「目まぐるしいね、まったく!」
サンデイはさらに加速した。
崩落した護岸の残骸が迫る。
大きなコンクリート片が、コース中央を塞いでいた。アスカは減速しない。右へ切ると見せかけて、左へ機体を振った。サンデイの脚部が地面を蹴り、斜めに跳ねる。
コンクリート片を飛び越えた。
着地と同時に、今度は鉄骨が視界へ入る。
『前方障害物。高度不足』
「なら、低くするまで!」
アスカは機体を沈めた。
サンデイが上体を畳み、鉄骨の下をくぐり抜ける。背面アンテナの先端が金属をかすめ、短い火花が散った。
『アンテナ接触。損傷軽微』
「ごめん、あとで直す!」
『記録しました』
「記録しなくていい!」
サンデイは障害物エリアを、速度を落とさずに抜けていった。
少し遅れて、後方集団が同じエリアへ突入する。
彼らはまだ戦闘を続けていた。
横から撃たれた機体が、避けようとしてコンクリート片へ激突する。脚部を取られた重装型がスピンし、後続を塞ぐ。障害物に集中しすぎた機体が、背後から撃ち抜かれて左腕を失う。
後方は大きく乱れた。
サンデイとの差は、さらに開いた。
『後方集団、速度低下。射程外を維持しています』
「よし!」
アスカは小さく拳を握りかけ、すぐに操縦桿へ戻した。
油断はできない。
まだ第一戦は始まったばかりだ。
『まもなく合流地点です。トラフィック更新』
ファイアの声が少し硬くなった。
『他三機が、ほぼ同時に合流します』
「三機ね……ま、アタシたちが最速なんて、うぬぼれちゃいないけどっ」
『合流地点まで100メートル』
ゴーグルに残距離が表示される。
『60メートル』
前方で、水路が広がっていた。
三つの水路が交わる地点だ。左右から別ルートが合流し、中央に広い交差エリアが生まれている。コンクリートの色が変わり、古い誘導ラインが床面にうっすら残っていた。
『20メートル』
左右の水路から、機体が現れた。
左から飛び出してきたのは、マゼンタピンクのM.R.Vだった。
厳つい角を持つ胴体。全体を派手なピンクに塗られた装甲。だが、以前の姿とは違っていた。左腕の金棒はなく、両腕にはトゲ付きの盾パーツが装着されている。脚部も二脚ではなく、前方一輪、後方二輪の三輪型に換装されていた。
鬼塚マナとカラス型AIOSクロウズが操る、天邪鬼だった。
右から現れたのは、まるで別種の機械だった。
極端に低い全高。水路の底を舐めるような低重心。M.R.Vというより、フォーミュラカーに近い流線形のシルエット。青い装甲に、黄色い稲妻のパターンが走っている。
T-イナズマが開発したコンセプトM.R.V、ライトニング。
高速走行時には空力性能を極限まで高めたフォーミュラモードへ変形し、必要に応じてM.R.Vらしい可動域を持つマニューバモードへ切り替える。車両メーカーが、自社技術の宣伝も兼ねて投入したワンオフ機だった。
『ライトニング……?』
通信の向こうで、センジが声を漏らした。
『マジかよ。ワンオフのコンセプト機で参加してるのか』
『サマータイムは技術力の宣伝にはうってつけだからね』
レイが言った。
『レギュレーションなしって、そういう機体も出てくるってことだよ』
ライトニングが一気に加速した。
サンデイと天邪鬼は、ほぼ同時に合流地点へ飛び込む。二機の肩が当たり、金属音が響いた。
『ギャハハハ! よう、ムシ野郎!』
クロウズの声が通信に割り込んだ。
『愛称を検知。こんにちは』
ファイアが律儀に答える。
「マナちゃん!」
『フン』
マナの声が聞こえた。
『あーしらに一度は勝ってるわけだし? 三位くらい、当然なんじゃない?』
「むっ。すぐ二位になっちゃうよ!」
『訂正します』
ファイアが冷静に言った。
『現在、私たちは三位ではありません。三位と四位です』
「え?」
『合流地点に侵入したのは、他3機です』
アスカは前方を見た。
「さっきの青いのと、マナちゃんたちと……もう1機ってこと?」
だが、見えない。
合流地点に入った機体は、ライトニングと天邪鬼だけに見えた。背後のグループは、まだ障害物エリアを抜けきっていない。前方にいるはずのもう一機の姿は、どこにもなかった。
通信越しに、マナが低く呟いた。
『ファントムか……』
その直後だった。
前方を走っていたライトニングが、不自然に蛇行した。
青白い閃光が、何度か弾けた。
ライトニングの左側面が裂ける。次に右後方のホイールユニットが爆ぜた。高速走行中だった機体は姿勢を保てず、路面へ叩きつけられる。流線形のボディが火花を散らして跳ね、最後に内部から爆発した。
青い装甲の破片が、水路の中へ散った。
「やばっ!」
アスカは操縦桿を切った。
サンデイは飛んできた外装片を避ける。天邪鬼も盾を前へ出し、破片を弾きながら横へ逃げた。ライトニングの残骸が二機のすぐ後ろを滑っていく。
『クソ! やっぱりか!』
マナが叫んだ。
次の瞬間、サンデイのコックピットに激しいノイズが走った。
「え、ちょ、なにこれ!」
通信音が歪む。集音マイクの波形が乱れ、警告表示がいくつも浮かんだ。外の音が急に遠ざかったようになり、代わりに耳の奥を引っかくような雑音が響く。
『通信設備と集音センサーに異常発生。通信距離を極短距離へ制限します』
ファイアの声も、わずかに揺らいでいた。
『ジャミングの可能性があります』
天邪鬼が、サンデイへ肩をぶつけた。
物理的に距離を詰めたことで、ノイズ混じりの通信が入る。
『アスカ、聞こえるね!?』
「うん、ノイズ酷いけど!」
『ライトニングをやった機体は、ファントムだ!』
「ファントム……?」
『アンタ、他の参加者の情報見てないの!?』
アスカは一瞬、固まった。
*
数日前。
ガレージの隅で、レイが端末を片手にアスカを呼び止めていた。
「アスカちゃーん。他の本戦参加者のざっくりプロフィール、まとめといたから目を通しときなー」
「はーい」
アスカはサンデイの脚部を覗き込んだまま返事をした。
「キョウくんとセンジくんはカスタマイズで忙しいし、アスカちゃんは少しでも情報を入れておいたほうがいいよ。誰が何に乗ってるかだけでも違うから」
「あとで見るー」
「あと、ファイアにも読み込ませとくんだよ!」
「わかってるってー」
その時のアスカは、完全にわかっていない声をしていた。
*
現在。
アスカは操縦席で、乾いた笑いを漏らした。
「あはは。見とけばよかったー!」
『試合後、怒られることを予測します』
「ごめーん、レイさーん!」
通信の向こうで、マナが低く唸った。
『あーし、アンタに負けたのショックだよ……』
「今それ言う!?」
その時、青白い閃光が再び走った。
サンデイと天邪鬼の間を、何かが抜けた。
衝撃が遅れて来る。サンデイの右肩装甲が弾け、天邪鬼の盾にも鋭い傷が走った。二機は同時に揺れ、速度をわずかに落とす。
「射撃攻撃!? どこから!?」
アスカはゴーグル越しに周囲を見回した。
何も見えない。
水路の前方にも、左右にも、背後にも、攻撃した機体の姿はない。けれど、確かに攻撃は来ている。
『奴はファントム』
マナが言った。
『ここまで、光学迷彩とジャミングで姿も音も隠したまま勝ち上がってきたM.R.Vだよ!』
「光学迷彩とジャミング!? そんなM.R.Vがあるの!?」
『まともじゃねェ』
クロウズが低く笑った。
『軍用崩れか、もっとヤベェやつだろうな』
アスカは前方を睨んだ。
ファントム。
見えない機体。
音も消し、通信も乱し、姿を隠したままライトニングを撃破した相手。
その見えない敵が、今、自分たちの近くにいる。
『アスカ』
マナの声が、ノイズの奥から聞こえた。
『一時休戦だよ』
「うん」
『あーしらは、後ろの連中に追いつかれないようにしながら、ファントムともやり合わなきゃいけない。ここで潰し合ってる場合じゃない』
「わかった」
アスカは笑った。
怖さはあった。
だが、それ以上に、胸の奥が熱くなっていた。
「組もう、マナちゃん」
『ちゃん付けすんな!』
「そこ!?」
天邪鬼がサンデイの横に並ぶ。
マゼンタピンクの盾が、サンデイの左側へ出た。サンデイは右腕のジャンクアームを開き、左腕のシザーユニットを展開する。
見えない敵へ向けて、二機は並んだ。
サバイバルレースは、さらに激しさを増していく。
*
ファントムのコックピットは、静かだった。
外では三十機のM.R.Vが走り、撃ち合い、ぶつかり合っている。水路の中には爆発音と金属音が満ちているはずだった。
だが、ナルミの耳に届く音は少ない。
必要な音だけが、アイスによって選別されている。
モニターには、サンデイと天邪鬼の情報が表示されていた。
赤いジャンク機。
マゼンタピンクの中量機。
どちらも、予測よりしぶとい。
「サンデイ、アスカ」
ナルミは静かに呟いた。
「天邪鬼、鬼塚マナ」
白いヘッドホンの奥で、アイスが短く電子音を鳴らした。
ピ。
ナルミは視線を落とさずに言った。
「アイス。ターゲット、ロックオン」
再び、冷たい電子音が鳴った。




