第十一話「レーススタート」
枯れ果てた水路に、十機のM.R.Vが並んでいた。
かつては大量の水を受け止めるために作られた人工の川だった。だが、度重なる災害と、その後に続いた行政の方針転換によって、この水路は本来の役目をほとんど失っていた。底には乾いた泥と砂がこびりつき、ひび割れたコンクリートの隙間から、細い草が伸びている。
両岸には古い補修足場が残っていた。傾いた標識、途中で途切れた仮設階段、錆びたフェンス。水路の上を横切る橋の下には、サマータイムの中継ドローンが何機も浮かんでいる。
ここが、サマータイム本戦第一戦の会場だ。
サバイバルレース。
アスカは、サンデイのコックピットで大きく息を吐く。
『機体温度、正常。ホイールへの動力伝達率、規定値内です』
ファイアの声が、コックピット内に落ち着いて響いた。
「ふぅ……いよいよ始まるね」
『周囲のM.R.Vをスキャンしています。確認できる範囲では、ほとんどの機体が脚部を車輪型など高速走行用の複合脚部に換装しています』
「そりゃそうでしょ」
アスカはモニター越しに、左右へ並ぶ機体を見た。
低く構えた四輪型。両脚の側面に大径ホイールを備えた二脚型。キャタピラとローラーを組み合わせた重装型。どの機体も武装は最低限に絞り、いつものバトルロワイアルとは違う姿をしていた。
「なんてったって、第一戦はレースなんだから」
『ただし、通常の競走とは異なります。戦闘、妨害、進路封鎖が許可されています』
「わかってるって」
アスカは操縦桿を握り直した。
「いつもどおり、走って、殴って、抜けばいいんでしょ」
『表現は粗雑ですが、概ね正しいです』
「でしょ?」
アスカは少し笑った。
その笑い声は、思ったより軽く出た。
緊張はしている。けれど、怖くはなかった。
この場所まで来た。
地区予選を勝ち抜き、非公式サーキットで天邪鬼に勝ち、ボロボロのサンデイを何度も直して、ようやく本戦のスタートラインに立っている。
目まぐるしく回る日々を思い出し、胸の奥が熱くなる。
数日前のことを、アスカは思い出していた。
*
「さて」
いつものガレージで、センジが端末を片手に腕を組んでいた。
サンデイは整備台の上に固定されている。左腕のレンチアームは外され、床の上に横たわっていた。前回の戦いで受けた損傷は大きく、アームの根元には応急処置の跡が残っている。
「ついに、サマータイム本戦の詳細が来たわけだが」
センジがそう言うと、隣でキョウが別の端末を操作した。
「第一戦は、枯れた水路を使ったサバイバルレース。出走は三十機。三つのスタート地点に十機ずつ分けられて、途中の合流ポイントから同じコースに入る。突破できるのは、先着十機だけ」
「つまり、三分の一しか残れないってことか」
「そういうこと」
キョウは画面にコース図を表示した。
水路の底を走る長い直線。その先に急カーブがあり、さらに崩落した護岸を利用した段差区間が続いている。途中には、橋脚の密集地帯や砂が溜まった低速区間もあった。
アスカは、近くの工具箱に座ってそれを見ていた。首から下げたW-GEARの中で、ファイアの表示が小さく点滅している。
「で、どうするの?」
アスカが聞くと、センジはレンチアームのほうを見た。
「無難にいくなら、足回りを少し柔らかめにする。路面が荒れてるから、硬すぎると跳ねる。あと、壊れたレンチアームは外して、こないだの優勝賞品と換装だな」
「シザーユニット-T3?」
「そう。それ」
センジは床に置かれた箱を親指で指した。
コメータ製のハサミ型腕部パーツ、シザーユニット-T3。非公式サーキットの優勝賞品として手に入れたものだった。
「レンチアームよりは軽いし、右腕のジャンクアームとの重量差も少なくなる。サンデイの変な揺れは、かなり減るはずだ」
「ま、そこは僕も賛成」
キョウが頷いた。
「レースで一番怖いのは、敵より自滅だからね。今のサンデイで全力加速すると、左右の重さが違いすぎて旋回時に暴れる。そこを少しでも抑えたい」
「でも、シザーユニットってハサミでしょ? レースで使えるの?」
「使える」
センジは即答した。
「むしろ掴むか殴るかのレンチアームよりは使いやすいはずだ、挟んで、切って、閉じた状態で突き刺せるように研いである、最悪壁に突き刺して強引に曲がったりしな」
「おお」
アスカの目が輝いた。
「それ、楽しそう」
「楽しくはない。壊れるよ」
キョウがすぐに言った。
「壊れない範囲でやってね」
「わかってるって」
「アスカの“わかってる”は、だいたい信用できないんだよ」
キョウがため息をつくと、W-GEARの画面が明滅した。
『同意します』
「ファイア君、キミもかい」
『過去の操縦記録から判断しました』
アスカは頬を膨らませた。
「二人とも、ひどくない?」
「二人じゃなくて、二人と一機だ」
センジが笑いながら言った。
その時、W-GEARからファイアの声が続いた。
『スタート地点は三か所に分散されています。それぞれ十機ずつ配置され、コース中盤の合流地点で全機が同一ルートへ進入します』
「ということは?」
アスカが身を乗り出す。
『合流直後に密集状態が発生します。レース序盤から中盤にかけて、接触および戦闘が高確率で発生すると予想されます』
「なるほど!」
「ちゃんとわかった?」
キョウが横目で見る。
「わかったよ。つまり、みんなが一か所に集まって、ごちゃごちゃになるってことでしょ」
「雑だけど合ってる」
「だったら、そのごちゃごちゃに紛れて前に出ればいいんだよ」
アスカは当然のように言った。
キョウとセンジは、少しだけ顔を見合わせた。
「……まあ、アスカならそう言うよね」
「だな」
その時だった。
ガレージの外から、軽いクラクションの音が聞こえた。
続いて、大型トレーラーがゆっくりと敷地内へ入ってきた。見慣れた車体が、砂埃を巻き上げながらサンデイのガレージ前で止まる。
運転席の窓が開き、和形レイが顔を出した。
「はーい。みんな、朗報だよ」
「レイさん、おはようございます」
センジが軽く頭を下げる。
「おっはー!」
アスカは手を振った。
キョウは端末から顔を上げる。
「朗報ってなんですか。サマータイムの情報なら、もう一通り確認しましたけど」
「ふっふっふ。キョウくん、甘いね」
レイは得意げに笑うと、エンジンを止めてトレーラーから降りた。
「情報じゃなくて、物資の話」
「物資?」
センジが反応した。
レイはトレーラーの後部へ回り、キャリアの扉を開けた。
中には、箱が積まれていた。
M.R.V用の中古パーツ。電子機器。未開封のケーブル。古い関節ユニット。緩衝材に包まれたセンサー。ラッピングされた小さな箱まである。
アスカは思わず立ち上がった。
「なにこれ!」
「サマータイム本戦参加者の情報が公開されたでしょ。それに合わせて、私が書いたチームサンデイの特集記事第一弾も出したの」
レイは胸を張った。
「そしたら、思ったより反響があってね。読者さんとか、古いサーキット好きとか、ハードデック系の中古屋さんとか、いろんな人が“これ使え”って送ってくれたわけ」
「マジすか!」
センジは端末を放り出しそうな勢いでトレーラーへ駆け寄った。
「うわ、これ関節ユニットじゃん。しかも左右セット……いや、片方だけ型番違うけど、サンデイならむしろいけるな。こっちは古いけどセンサー生きてる。おいキョウ、これ見ろ!」
「見てるよ」
キョウも近づき、箱のラベルを確認した。
「思ったよりちゃんとしてる。ジャンクっていうより、保管状態のいい中古品だね」
「でしょ?」
レイは嬉しそうに笑った。
「サンデイ、すっごい人気出てるんだよ。ボロいのに頑張ってる子って、応援したくなるじゃない」
「ボロいは余計だけどね」
アスカが口をとんがらせて言うと、レイは肩をすくめた。
「褒めてる褒めてる」
センジはすでに箱を一つ開けていた。
「うおー、これは掘り出し物多いぞ。保持力のある小型アクチュエータもある。これ脚部に入れられたらだいぶ変わるぞ」
「第一戦まで、あまり時間はないよ」
キョウが言った。
「全部は無理だ、使うものを絞ろう」
「わかってる。足回りと腕の接続部を優先だな。あとは反応速度を上げられるところだけ」
「ファイアの補正設定も変える必要がある。アスカ、あとで高速走行の再学習やるよ」
「えー、また?」
『必要です。パーツ構成が変化した場合、補正精度が低下します』
「ファイアまで真面目だなぁ」
「真面目じゃないと、勝てないよ」
キョウが淡々と言った。
アスカは一瞬だけ黙り、それから笑った。
「じゃあ、やる」
センジが工具を手に取った。
「よし。やるぞ。サンデイを本戦仕様にしてやる」
レイはその様子をカメラで撮りながら、少しだけ目を細めた。
「いいね、これまた青春な光景ですな」
*
時間は、再び本戦当日へ戻る。
サンデイは、スタートラインで待機していた。
左腕には、かつてのレンチアームではなく、シザーユニット-T3が装着されている。ハサミ状の装甲は折りたたまれ、腕部に沿うように収まっていた。右腕のジャンクアームとの重量差は以前より少なく、操縦席に伝わる揺れも小さい。
脚部の関節も、いくつか交換されていた。見た目は相変わらず不揃いだが、反応は前よりも素直になっている。
通信が入った。
『アスカ、聞こえる?』
「はいはい、聞こえてますよー」
『よし。じゃあ、改めて今のサンデイのカスタマイズを確認する』
「はい、キョウ先生」
『ふざけてない?』
「ふざけてないよ!」
通信の向こうで、キョウが小さく息を吐いた。
『左腕は、故障したレンチアームからシザーユニット-T3に換装済み。レンチアームより軽いし、右腕との重量差も小さい。前みたいに、急旋回のたびに機体が大きく振られることは減ってるよ』
「うん。さっきから、だいぶ素直に動いてくれるよ」
『ただし、切断力は高いけど、無理に噛ませたまま引っ張ると根元に負担が来る。掴んだらすぐ離す。刺しても同様。』
「はいはい。掴んだらすぐ離す」
『本当にわかってる?』
「わかってるってば」
『ファイア、監視して』
『了解しました。シザーユニット過負荷時にはアラートを出します』
「アタシ、信用されてない!」
『実績に基づく判断です』
アスカは少しだけ笑った。
キョウの声が続く。
『それと、プレゼントでもらったパーツを使って、脚部と腕部の関節を一部交換してある。全体で7から8パーセントくらい、保持力と反応速度が上がってる』
「7とか8って、けっこう上がってるの?」
『かなり大きいよ。少なくとも、今までより踏ん張れるし、入力への遅れも減る』
「おお。じゃあ、今日のサンデイは速くて軽いってことだ」
『たしかに速くなった。でも、他の機体も速い』
「そこは気合いと根性で...」
『気合いと根性で補っても、本戦まで上がってるくるM.R.Vのカスタマイズはバカに出来ないよ。』
『精神論による機体性能の向上は確認されていません』
「もー、キョウもファイアも堅いなぁ」
アスカは肩を揺らして笑った。
通信の向こうで、今度はセンジの声が入る。
『アスカ、無茶するなとは言わねえけど、異音や違和感があったらすぐ言えよ。今日のサンデイは、かなり突貫で仕上げてる』
「了解。変な感じしたら、センジに文句言う」
『文句の前に報告しろ』
続いて、キョウが言った。
『アスカとファイアが操って、僕とセンジで仕上げたサンデイだ。』
少し間が空いた。
『だから、勝てるはずだよ』
アスカは操縦桿を握ったまま、にっと笑った。
「へへ。任せてちょーだいよ」
準備エリアの通信ブースでは、キョウとセンジが並んでモニターを見ていた。少し後ろでは、レイがカメラを肩に提げて立っている。
センジは、出走機体の一覧を見ながら顔をしかめた。
「やっぱり、どのM.R.Vも車輪型と銃火器の組み合わせで来たか」
「この試合なら、まあベタな選択だねぇ」
レイが言った。
「走りながら撃てる機体が強い。止まったら負け。近づけない機体も負け。わかりやすくて、嫌なルールだよ」
キョウはサンデイの機体データを確認しながら言った。
「サンデイの粗は、前よりだいぶ削れてます。バランスも反応も改善してる。問題は、遠距離攻撃の手段がないことです」
「そこなんだよな」
センジが腕を組む。
「近づけばやれる。でも、近づくまでに削られる」
「まあ、そこはアスカちゃん次第かな」
レイはモニターの中のサンデイを見た。
「彼女、そういう不利な状況のほうが変なことするし」
「そこが一番怖いんですけど」
キョウが静かに言った。
その時、会場全体に低いアナウンスが響いた。
『サマータイム本戦、第一戦。サバイバルレース、スタート準備に入ります』
水路の上に浮かぶシグナルドローンが、ゆっくりと赤く点灯した。
アスカは正面を見た。
乾いた水路の先に、長いコースが続いている。
その先には、十機分の枠しかない。
『アスカ』
ファイアが言った。
『最終確認です。機体温度正常。駆動系正常。AIOS補正、同期率安定。サンデイver1.3、機動可能です』
「うん」
アスカは短く答えた。
シグナルが、一つ消えた。
隣のM.R.Vたちもエンジンを唸らせる。反対側の機体がホイールを空転させ、砂を巻き上げる。水路の底に、駆動音が重なっていった。
アスカは笑った。
「行こう、ファイア」
『了解しました』
最後のシグナルが、青に変わった。




