第九話「鬼と金棒、バカとレンチ-後編」
自動販売機の前で、アスカとマナはしばらく向かい合っていた。
遠くでは、非公式サーキットの実況がまだ響いている。
準備エリアの方からは、整備用工具の音や、発電機の低い唸りが聞こえてきた。
けれど、二人の間だけは少し静かだった。
次の決勝戦でぶつかる相手。
サンデイのパイロットと、天邪鬼のパイロット。
アスカはなぜか張り詰めた空気を感じて、ごくりと唾を飲み込んだ。
先に口を開いたのは、マナだった。
「……あ、アンタ」
「うん?」
マナは少し言いにくそうに視線を逸らす。
「あの……線の細い……男とは、付き合ってンの?」
「えっ? 男?」
「だから!」
マナは顔を赤くしながら、半分怒鳴るように言った。
「あの、優しい、オペレーターの男だよッ!」
「あ、キョウ?」
アスカはきょとんとしたあと、すぐに目を丸くした。
「キョウとあたしが付き合ってるって!?」
そして、思いきり手を振る。
「ないない! 全然そんなんじゃないよ!」
「ほんとに?」
マナがぎろりと睨む。
「ほんとほんと!」
アスカは大きく頷いた。
「キョウは幼なじみだよ。小さい頃からずっと一緒にいるから、近いだけ」
「……ふん。どうだかね」
マナはそっぽを向き、自動販売機へ硬貨を入れた。
ボタンを乱暴に押すと、炭酸飲料の缶が音を立てて落ちてくる。
マナはそれを片手で取り出し、アスカに背を向けた。
「アンタたちのM.R.Vは、あーしがペシャンコにすっから、覚悟すんだね!」
そう言い残して、マナはずんずんと歩いていった。
アスカはその背中を見送ったまま、少しだけたじろいだ。
「え、えー? どゆことー……」
「みーちゃった♪」
「げっ」
物陰から、レイが顔を出した。
「レイさん……」
「どうやら面白いことになってるねぇ」
レイはにやにやしながら、カメラを構える素振りをする。
「いや、撮らない撮らない。さすがに今のは記事にしないから安心して」
「絶対にしないでよ!」
「しないしない。たぶん」
「たぶんって言った!」
アスカは抗議したが、レイは楽しそうに笑うだけだった。
それから、二人は準備エリアへ戻った。
サンデイはすでに決勝に向けて調整を終えていた。
右腕のジャンクアームは冷却を済ませ、左腕のレンチユニットには簡易補強が加えられている。
脚部の車輪機構も、ファイアが再診断を終えていた。
『各部診断完了。戦闘継続可能です』
「よし」
キョウが端末を閉じる。
「ただし、無理はできない」
「無理しないで勝つ!」
アスカは胸を張った。
「それができたら苦労しないんだよなぁ」
センジは工具を片付けながら苦笑する。
少し離れた準備エリアでは、天邪鬼も決勝に向けて待機していた。
マゼンタの装甲。
黒鉄の角。
右腕の面盾。
左腕の金棒。
アスカはその機体を見つめた。
さっきの自動販売機前でのやり取りは、まだ少しよく分からない。
けれど、これだけははっきりしている。
次の相手は、強い。
そして、たぶん面白い。
決勝戦の時間が近づくと、会場の熱気はさらに上がった。
観客たちはフェンスの周囲に集まり、出店の店主たちまで手を止めてフィールドを見ている。
仮設スピーカーからは、実況の声が響いた。
『さぁ、本日の非公式サーキットもいよいよ決勝戦だ!』
歓声が上がる。
『勝ち上がってきた二者は、どちらも現役中学生! そして、どちらも目下話題沸騰中のサマータイム地区予選を突破している!』
サンデイがフィールドへ進み出る。
傷だらけの赤いジャンクM.R.V。
右腕のジャンクアームを軽く開閉し、左腕のレンチユニットを低く構える。
反対側からは、天邪鬼が歩み出た。
マゼンタの鬼は、金棒を肩に担ぐように構え、右腕の面盾を前へ出す。
『こんなすさまじい中学生がいるだろうか! 未来のエースパイロット同士の激突を目撃せよ!』
アスカはコックピットの中で操縦桿を握った。
ゴーグルの端では、ファイアの小さなタマムシ型アイコンが点滅している。
『対戦相手、天邪鬼。右腕面盾、左腕金棒、脚部パイルおよびアンカー搭載。正面防御能力が高いと推定します』
「うん。分かってる」
『正面からの単純な突撃は非推奨です』
「うん。それも分かってる」
アスカは笑った。
「でも、最初は行くよ」
『不明です』
「まず、どれくらい受け止められるか見ないと」
通信の向こうで、キョウがため息をついた。
『アスカ、無茶はするなよ』
「見るだけ見るだけ」
『その言い方で本当に見るだけだったこと、一度もないよ』
センジの声も混じる。
『レンチアームは補強してるけど、金棒をまともに受けたら保たねぇぞ』
「了解!」
その返事を聞いて、キョウとセンジは同時に不安そうな顔をした。
反対側の天邪鬼のコックピットでは、マナが目を細めていた。
「来るよ、クロウズ」
『そりゃ来るだろうなァ』
クロウズが低く笑う。
『あの赤いムシ野郎、全試合速攻だ。今回もバカの一つ覚えみてぇに突っ込んでくるぜ』
「バカって言うな」
『お前、相手の肩持つのか?』
「違う。あーしが言うのはいいけど、アンタが言うとムカつく」
『へいへい』
マナは操縦桿を握り、天邪鬼の面盾をわずかに上げた。
「受けて、潰す。それだけだよ」
ブザーが鳴った。
『さぁ、サーキット開始だーっ!』
観客が沸き立つ。
向き合ったサンデイと天邪鬼が、同時に動いた。
「行くよ、ファイア! 全速前進!」
『脚部、車輪モードへ移行します』
サンデイの脚部が変形し、ホイールが地面を噛む。
白煙が巻き上がった。
アスファルトを削りながら、サンデイは一気に天邪鬼へ接近する。
『おいおい、やっぱりバカの一つ覚えか?』
クロウズの声が外部スピーカーから響いた。
『全試合、速攻で勝とうってのカァ?』
「思い切りはいいね」
マナは半身に構え、天邪鬼の動きを止めた。
逃げない。
下がらない。
受けるつもりだ。
アスカはそれを見て、口元を引き上げた。
「じゃあ、まず一発!」
サンデイが右腕を大きく振りかぶる。
ジャンクアームの歪な四本指が握られ、鉄塊のような拳になる。
車輪モードの加速を乗せた一撃が、天邪鬼へ叩き込まれた。
激しい金属音が鳴り響く。
しかし、拳は天邪鬼の右腕パーツ「面盾」に阻まれていた。
天邪鬼は衝撃を受けた瞬間、脚部からパイルをアスファルトへ打ち込む。
地面に固定された機体は、わずかに沈んだだけで動かなかった。
「フン……この程度じゃ、かすり傷にもなんないよ」
マナが低く言う。
『ぶっ潰れろ、ムシ野郎!』
クロウズが叫ぶ。
天邪鬼の左腕が動いた。
巨大な金棒が振り上げられ、サンデイへ向けて振り下ろされる。
「レンチ展開!」
アスカは操縦桿を引き、左腕を突き出した。
レンチアームが開き、振り下ろされる金棒を挟み込む。
金属が噛み合う音が響いた。
『おおーっと!?』
実況が叫ぶ。
『サンデイ、レンチアームで天邪鬼の金棒を掴んだぞー!?』
観客がどよめく。
だが、止めたわけではなかった。
『警告。レンチアーム各関節に負荷増大。押し負けます』
ファイアの声が冷静に告げる。
「それがなんだっての」
マナは操縦桿を押し込む。
「掴んだところで、パワーが……」
天邪鬼の左腕が軋む。
「段違いなんだよッ!」
金棒がじりじりと押し込まれる。
レンチアームは火花を散らしながら、それでも必死に食らいつく。
「くっ……やっぱ止めきれないか」
アスカは歯を食いしばる。
『オラ、離せ、ムシ野郎!』
クロウズが吠えた。
次の瞬間、天邪鬼の面盾がサンデイの胴体を打った。
衝撃でコックピットが揺れる。
その一瞬で、レンチアームの力が抜けた。
金棒がさらに押し下げられる。
「やばい……けどっ!」
アスカは操縦桿とペダルを素早く操作した。
サンデイの右腕が面盾の上部を掴む。
同時に、片脚の車輪を収納し、天邪鬼の膝へ足をかけた。
天邪鬼は低く重心を落とし、各部をロックしている。
サンデイの重量が多少かかっても、簡単には崩れない。
だが、アスカの狙いは押し倒すことではなかった。
ジャンクアームで面盾を掴み、脚で膝を踏み込む。
その力を使って、サンデイ自身を浮かせる。
赤い機体が、天邪鬼へ飛びついた。
『おい、離れろコラ、ムシ野郎!』
クロウズの声が一瞬だけ乱れる。
天邪鬼が振り下ろしていた金棒の力も、わずかに緩んだ。
『愛称を検知』
ファイアが淡々と言う。
「サンデイの全体重をかければ……!」
サンデイは天邪鬼の正面装甲を踏みつけ、そのまま背後へ跳ぶ。
機体が宙に浮いた一瞬、サンデイの全重量がレンチで掴んだ金棒の関節部一点にかかった。
「なっ!?」
マナが目を見開く。
次の瞬間、天邪鬼の左腕関節が砕けた。
金棒が根元から引きちぎられ、黒鉄の塊が火花を散らしながら宙へ飛ぶ。
レンチアームにも大きな衝撃が伝わった。
関節部から煙が噴き出し、外装の一部が弾け飛ぶ。
『おおおお!?』
実況の声が裏返る。
『サンデイ、まさかの飛びつき! 自機の全重量をかけて、天邪鬼の金棒を引きちぎったぁ!』
歓声が上がる。
「片腕くらいで、あーしたちに勝ったと思うなよッ!」
マナはすぐに立て直した。
天邪鬼がパイルを引き抜き、背後に回ったサンデイへ面盾を振りかぶる。
「そうこなくっちゃね……!」
アスカはサンデイを反転させ、破損したレンチアームを構えた。
面盾とレンチアームが激突する。
激しい金属音が鳴った。
レンチアームの関節が悲鳴を上げる。
『警告。レンチアーム損傷拡大』
「まだ動く!」
アスカはペダルを踏み込み、サンデイを天邪鬼の左側へ滑り込ませた。
そこには、金棒を失った破損部分がある。
内部フレームと配線がむき出しになっていた。
「……ちょっとエグいけどっ!」
アスカは操縦桿を大きく突き出す。
レンチアームが破損箇所へ叩き込まれた。
間髪入れず、右腕のジャンクアームがむき出しの内部パーツへ指をねじ込む。
「まだまだぁ!」
ジャンクアームの指が、配線とフレームを引きちぎった。
火花が激しく散る。
大小さまざまなパーツが宙を舞う。
天邪鬼の制御システムが、一斉に警告を吐き出した。
マナのコックピットは、赤い警告表示で埋め尽くされる。
「クソッ!」
マナは操縦桿を押し込むが、天邪鬼の反応が遅れる。
サンデイはその隙を逃さない。
天邪鬼の背後へ回り込むと、赤い機体は残った脚でマゼンタの背中を蹴り込んだ。
天邪鬼が前のめりに崩れる。
マナは姿勢を戻そうとするが、左腕を失った重量バランスと内部破損が響いた。
天邪鬼は踏ん張り切れず、アスファルトへ叩きつけられる。
『おおっと、息もつかせぬ猛攻! 天邪鬼、ついにダウン!』
観客の歓声が巻き起こる。
マナはすぐに起き上がろうとした。
クロウズも姿勢制御を走らせる。
『立て、マナ! まだ終わってねぇぞ!』
「分かってる!」
だが、次の瞬間、ブザーが鳴り響いた。
天邪鬼の戦闘不能判定が表示される。
『ここで試合終了!』
実況が叫ぶ。
『優勝は、サンデイ&アスカだー!!!』
会場が一気に沸いた。
アスカはコックピットの中で、大きく息を吐いた。
「よし……やったね、ファイア!」
『各部損耗率、六十パーセント。レンチアームに甚大な破損を確認』
「あはは……ちょっと無茶したかな?」
『評価。かなり無茶です』
「でも勝ったよ」
『はい。勝利しました』
ファイアの声はいつも通り平坦だった。
けれど、アスカには少しだけ誇らしそうに聞こえた。
決勝戦のあと、簡易表彰が行われた。
優勝賞品としてチームサンデイに渡されたのは、四大メーカーの一つであるコメータ製のハサミ型腕部パーツだった。
名称は「シザーユニット-T3」。
左右に開閉する大きな刃を持つ腕部パーツで、切断、固定、挟み込みに使える。
派手な攻撃用パーツというより、使い方次第で作業にも戦闘にも転用できるタイプだった。
さらに、賞金の入金証明も渡された。
センジは賞品の説明書を見ながら、渋い顔と嬉しそうな顔の間を行ったり来たりしていた。
「ま、勝ったはいいが……結局派手に壊れたな」
キャリアの上で待機しているサンデイは、決勝前より明らかに痛んでいた。
レンチアームは煙を吐き、ジャンクアームの指も何本か動きが鈍くなっている。
脚部の車輪も片側に歪みが出ていた。
「あはは、ごみん……」
「ごめん、な」
「ごめん……」
アスカが小さく訂正する。
センジはため息をついたが、すぐに笑った。
「気にすんな。新しいパーツもあるし、賞金もある。ちゃんとアップデートするからよ」
「やったー!!」
「喜ぶの早い。まず修理だ」
キョウは端末に保存した戦闘ログを見ながら頷く。
「ファイアも、かなりデータを蓄積できた。参加した意味は大きかったね」
『同意します。対近接カウンター型M.R.Vとの戦闘データを取得しました』
「次は、もっと上手くやれそう?」
『はい。ですが、サンデイの耐久性向上を推奨します』
「それはほんとにそう」
レイはカメラを下ろし、満足げに笑った。
「いい画も撮れたし、記事も書けるし、パーツも賞金も手に入った。非公式サーキット初参戦としては、大成功じゃない?」
「だね!」
アスカは元気よく頷いた。
撤収作業を終え、三人はトレーラーへ乗り込もうとしていた。
その時、背後から声がかかった。
「完敗だったよ、アスカ」
アスカが振り向く。
そこには、マナが立っていた。
マゼンタのジャージは少し汚れていて、頬にも薄く埃がついている。
けれど、その目はまだぎらついていた。
「マナ……ちゃん?」
「ちゃん付けしなくていい」
マナは少し不機嫌そうに言う。
「アンタもサマータイムに出てるなら、そこでリベンジさせてもらうよ」
彼女はまっすぐアスカを見た。
「次は、あーしたちが勝つ。そんだけっ!」
そう言って、マナは踵を返す。
「マナちゃん!」
アスカは思わず駆け寄った。
マナが振り返る前に、アスカは耳元へ顔を寄せ、小さくつぶやいた。
「キョウとはただの幼なじみ。別に付き合ってないよ」
「っ……!」
マナの顔が一瞬で赤くなる。
アスカはにっと笑った。
「じゃあね~。次もあたしが勝っちゃうヨ!」
そう言って、アスカはトレーラーの助手席へ乗り込んだ。
マナはしばらくその場に立ち尽くしていた。
『おいおい、言われてんぞ、マナ』
遠くでクロウズが笑う。
『次も負けるってよォ』
「うっさい!」
マナは真っ赤な顔で怒鳴った。
「次は勝つって言ってんでしょ!」
トレーラーの中では、レイがアスカへ声をかけた。
「マナちゃん、なんだって?」
「リベンジするってさぁ」
「ライバル出現だねー」
「そうだね」
アスカは窓の外を見る。
マナはまだこちらを睨んでいた。
その隣では、傷ついた天邪鬼が整備スタッフに囲まれている。
アスカは笑った。
「わくわくしてきた!」
レイがエンジンをかける。
トレーラーはゆっくりと動き出した。
非公式サーキットの会場は、まだ熱気に包まれている。
出店の匂い、観客の声、油と砂埃の匂いが、開いた窓から流れ込んできた。
サンデイは壊れた。
でも、新しいパーツと新しいデータを手に入れた。
そして、また一人、次に戦いたい相手ができた。
アスカは助手席で、窓の外の空を見上げる。
「次も、勝とうね。ファイア」
『確認。次戦に向け、学習を継続します』
トレーラーの後部で、赤いジャンクM.R.Vの一眼カメラが小さく光った。




