第8話 揺らぐ数値
人を疑うのは疲れる。
でも、疑うのをやめると死ぬ。
たぶんこのゲームは、そのへんの優しさを最初から切り捨てて作られている。
会議室から人が減ったあと、保科に呼び止められた。
「神代さん、ちょっといい?」
廊下の自販機前。
よりにもよって、普通の残業みたいな場所だ。
保科は温かいカフェオレを買って、プルタブを開けながら言った。
「さっきの顔。あれ、私を黒だと思ったでしょ」
「そこまでは」
「思ったんだ」
逃がしてくれない。
俺が黙ると、保科は苦笑した。
「まあいいや。説明しとく。私の能力、結果を遅らせるって言ったでしょ」
「言ってた」
「あれ、自分の中に溜まるの」
意味が分からない、という顔をしたんだと思う。
保科は自分のこめかみを指で軽く叩いた。
「止めたぶんだけ、あとから来る。痛みとか、吐き気とか、たまに変な映像とか」
そこで、ようやく数字の揺れに納得がいった。
隠していたのは裏切りじゃない。
弱みだ。
「言いたくなかったのか」
「初手から“たぶん副作用で潰れます”って申告したら、仲間にしづらいでしょ」
頭の中の数字は、八八。
高い。
俺は小さく息を吐く。
「悪かった」
「いいよ。こっちも隠したし」
保科はカフェオレを一口飲み、それから少しだけ真顔になった。
「でも、数字だけ見て誰かを切るのは危ないよ」
その言葉、今日は二人目だ。
「黒瀬さんにも言われた」
「あの人、正しいことを遠慮なく言うからしんどいよね」
「分かる」
初めて少しだけ笑えた。
そこへ、スマホが震える。
着信。
差出人不明ではない。
`高槻 蓮`
登録した覚えのない名前だった。
「誰」
「こっちが聞きたい」
出るか迷っていると、すぐにメッセージが追撃してきた。
`君とだけ話したい`
`桜庭真について`
心臓が一段沈む。
保科が俺の顔を見て、表情を変えた。
「嫌なやつ?」
「たぶん、嫌なやつの親玉」
通話ボタンを押す。
『こんばんは、神代ユウくん』
声は、驚くほど穏やかだった。
結城の軽薄さとも、黒瀬の鋭さとも違う。
人に“聞く気”を起こさせる声だ。
『警戒しなくていい。むしろ、私は君を高く評価している』
「そういう前置きする人、だいたい警戒したほうがいい」
『健全だ。やはり賢い』
褒められているのに、まったく嬉しくない。
『単刀直入に言う。桜庭真は、すでに一度こちらへ情報を売っている』
頭の中に数字が浮かぶ。
八四。
高い。
高すぎる。
「証拠は」
『会って渡す。明日十八時、神泉高架下。結城から案内は届いているはずだ』
「あんたが代表か」
『高槻蓮。今はそれでいい』
今は、って何だ。
『君は数字を見る。だからこそ分かるはずだ。半分の善意ほど危険なものはない』
「何が言いたい」
『桜庭は、君たちを売りながら、同時に守ろうとしている』
そこで通話が一度途切れた。
すぐに写真データが届く。
暗い路地。
見覚えのある横顔。
桜庭だ。
誰かに封筒を渡している。
撮影日時は、昨夜。
「……くそ」
保科が画面を覗き込んで、息を呑んだ。
「これ本物?」
「分からない。でも」
でも、数字は高かった。
さらに最後のメッセージが届く。
`次に落ちるのは`
`いちばん真面目な子だ`
成瀬の顔が、嫌でも頭に浮かんだ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
疑っていた相手を疑いきれないまま、もっと大きい敵の言葉のほうが鮮明に見えてしまう。
あの気持ち悪さが残ったなら、たぶん次の一手はちゃんと効きます。
続きを追ってもらえるなら、ブックマークや評価を置いてもらえると嬉しいです。
次は、ひとつの判断が取り返しのつかない形になります。




