第5話 契約の文面
沈黙って、人数が多いほど重くなるらしい。
たった五人のカフェなのに、今の空気は葬式帰りのエレベーターくらいきつかった。
保科が最初に口を開く。
「ええと。確認なんだけど、今のメッセージって、ほんとに“この中に裏切り者がいる”って意味で受け取っていいの?」
「よくはないわね」
黒瀬は即答した。
「メッセージの出どころが不明。外部干渉の可能性が高い。つまり、あれ自体が揺さぶり」
「でも、揺さぶりが効いてる時点で嫌なんだけど」
「それはそう」
保科が肩をすくめる。
軽いのに、妙に場を前に進める人だ。
成瀬がテーブルの端を握ったまま言った。
「じゃあ……一回、なかったことにするんですか」
「逆」
黒瀬はモニターの黒い画面を見たまま答える。
「“裏切り者がいるかもしれない”前提で、契約を詰める」
桜庭が穏やかに笑った。
「疑ったまま握手するわけですね」
「ビジネスはそういうものでしょう」
「たしかに」
頭の中の数字は、六二。
さっきより少し高い。
でも、気を抜ける数字じゃない。
黒瀬は文面を打ち直しながら、淡々と読み上げていく。
「契約期間は十二時間。ただし、異議がなければ自動更新。互いへの直接的危害に加えて、第三者を介した攻撃誘導も禁止。位置情報の漏洩は故意・過失を問わず報告義務を課す」
「待って」
保科が片手を上げる。
「過失まで入ると、かなり厳しくない?」
「厳しくていいの。死ぬよりは」
「それ言われると弱い」
成瀬が小さく頷く。
その横で、桜庭だけが指先でコーヒーカップを遊ばせていた。
「神代」
黒瀬が俺を見る。
「今、どこで揺れた?」
「……桜庭さんが、“位置情報”って単語のとき少し」
視線が一斉に桜庭へ集まる。
当の本人は驚いた顔を作ってみせた。
「怖いなあ、その能力」
「こっちも好きでやってない」
「失礼。責めてるわけじゃないですよ」
頭の中の数字は、五五。
下がった。
黒瀬が言う。
「弁明は」
「簡単です。経営者って、位置情報も人の動きも商売の種なんですよ。そういう発想に慣れてる」
「本音は?」
「半分本音」
桜庭は笑ったままだった。
腹が立つくらい感じがいい。
保科が俺のほうに身を乗り出す。
「神代さん、その数字って具体的に何パーまで危ないの?」
「知らない。説明書がない」
「不便」
「俺が一番そう思ってる」
場にほんの少しだけ笑いが落ちる。
笑っていい状況じゃないのに、その一瞬だけ全員の肩から力が抜けた。
そのとき、成瀬がぽつりと言った。
「僕、たぶん役に立てます」
全員が見る。
成瀬は緊張で喉を鳴らしながらも、スマホを掲げた。
「観測固定、さっき少し試したんです。今ここで見たものを、数分だけ“その通りだった”ことにできる」
「証拠能力ってこと?」
と保科。
「たぶん。完全じゃないですけど、少なくとも“あとからなかったことにされにくい”」
黒瀬の目がわずかに細くなった。
たぶん、この人が今いちばん嬉しい。
「じゃあ使う。契約締結の瞬間を固定して」
成瀬は小さく息を吸って頷いた。
画面をタップする。すると彼のスマホの縁を、透明な膜みたいな光が一度だけ走った。
「今です。三分くらい」
黒瀬が一気に文面を確定させる。
`灰冠街区相互不可侵契約・暫定改訂版`
`承認者は十二時間、相互の危害、情報漏洩、第三者攻撃誘導を禁ずる`
`異議なき場合、本契約は自動更新される`
`違反の疑いが生じた場合、報告義務を負う`
「最後に異論」
誰も言わない。
言える空気でもない。
俺は承認を押した。
四人も続く。
白い紋様が各自の画面を走り、成瀬が息を吐いた。
「固定、入りました」
その瞬間だった。
カフェの入口で、からん、と小さくベルが鳴った。
全員が振り向く。
誰もいない。
代わりに、半開きだったシャッターの外側、雨に濡れた歩道へ一枚の紙が滑り込んできた。
黒瀬が拾う。
白いメモ用紙。手書きではない。印字だ。
たった一文。
`位置情報の故意漏洩まで塞ぐとは、ずいぶん神経質だ`
店内の空気が、今度こそ凍った。
その文言は、さっき確定した契約の中にしかない。
成瀬が青い顔で呟く。
「……見られてた?」
黒瀬は紙を二つ折りにした。
「いいえ」
声だけは冷静だった。
「聞かれてたのよ」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
味方を作ったはずなのに、疑い方だけが上手くなっていく。
その息苦しさが少しでも残ったなら、この五人はたぶんちゃんと転がり始めています。
続きを追ってもらえるなら、ブックマークや評価を置いてもらえると嬉しいです。
次は、外から来る敵がもっと露骨になります。




