第2話 最初の虚偽
通知を見た瞬間、心臓が嫌な鳴り方をした。
`歓迎する、神代ユウ`
`次に死ぬのは、お前だ`
こういうとき、人間は意外と冷静にならない。
むしろ頭の中だけが無駄に回る。
誰だ。
何のために。
どこから見てる。
それと同時に、もっと情けない思考も浮かぶ。
いや、待て。これ、もし本当に全部いたずらだったらどうする。
駅前でひとりだけ青ざめてる会社員、だいぶ痛いぞ。
「……落ち着け」
自分に言い聞かせる声が、思ったより震えていた。
雑踏の中に、さっき黒いコートの男がいたはずの場所を探す。
もういない。
信号待ちをしていたサラリーマンも、スマホを見ながら笑っていた女子高生も、何事もなかった顔で歩き出している。
止まった世界なんて、最初から存在しなかったみたいに。
でもスマホだけは嘘をついていなかった。
ホーム画面の見慣れない王冠アイコン。
黒背景に白文字のまま閉じない通知。
そして、画面の右上でひっそり点滅している数字。
`近傍候補者:2`
「二人?」
思わず足を止める。
近傍。つまり近くにいる候補者が、俺を入れて二人なのか、それとも俺以外に二人いるのか。
分からない。分からないことだらけなのに、説明書は相変わらず不親切だ。
そのとき、着信が鳴った。
森下だった。
「……もしもし」
『神代さん? 今どこっすか』
いつもの軽い声。
ただ、少しだけ早口だった。
「駅前。おまえは」
『会社の下。いやー、変なアプリ入ってません?』
背中に冷たいものが走る。
「おまえもか」
『やっぱり? なんか王冠のアイコン出てきてて。しかも消せないんすよ、これ』
頭の中の数字は、二七パーセント。
低い。
完全な嘘ではない。だけど、かなり取り繕ってる。
「森下。そこで動くな。俺、戻る」
『え、なんで』
「いいから」
電話を切って、駅前から会社へ引き返す。
雨はまだ降っていた。さっき止まっていたはずの雨だ。
その一粒一粒が、今はやたら現実的に見える。
ふざけた話だ。
ただのアプリなら、アンインストールできない時点でクソだし、世界停止が本当ならそれどころじゃない。
会社のビル前には、退勤途中の社員が何人かいた。
その中に森下の姿がある。傘も差さず、軒下でスマホを握りしめていた。
俺を見るなり、森下は笑おうとした。
失敗していたけど。
「いやー、びっくりしました。神代さんまで同じ反応するんだもんな」
「同じって?」
「だから、王冠アプリ。なんかの広告っすよね、たぶん」
頭の中の数字は、一九パーセント。
さらに下がった。
森下はへらへらしているが、親指の爪を噛みそうな勢いでスマホを握っている。
こいつ、怖がってる。
たぶん俺よりずっと。
「森下」
「はい」
「何を見た」
その一言で、森下の顔から笑いが消えた。
「……神代さんも?」
「質問に質問で返すな」
「ひど」
軽口のわりに、目が笑っていない。
「白いやつ、出ました?」
「出た」
「世界、止まりました?」
「止まった」
森下は小さく息を吐いた。
それだけで、逆に本当に共有してるんだと分かってしまう。
「最悪だな……」
「それは同意する」
「でも、あり得ないでしょ。こんなの。支配者候補? 継承戦? 発言が現実になる? 中二病の寄せ鍋かって」
「俺に言うな」
森下はスマホ画面を俺に突きつけた。
同じ黒い画面。王冠。白文字。
`あなたは世界の支配者候補に選ばれました`
胃が重くなる。
俺だけじゃない。森下もだ。
「なあ神代さん」
「なんだ」
「これ、嘘ですよね?」
質問の形なのに、本人は自分に言い聞かせている。
頭の中の数字は、一二パーセント。
やめろ、と直感が叫んだ。
「森下、その言い方は」
「だっておかしいじゃないですか!」
声が裏返る。
周囲の通行人が一瞬だけこちらを見るが、すぐ興味をなくす。
たぶん彼らには、ただ揉めてる会社員二人にしか見えていない。
「こんなの悪質なアプリですって。世界が止まったとか、白い変なやつとか、疲れてただけでしょ。そうに決まってる」
スマホが震えた。
俺のではなく、森下の手の中で。
画面に赤い文字が走る。
`警告:候補者認識との矛盾を検出`
「……は?」
森下の顔色が変わる。
警告文の下に、さらに一文。
`虚偽の否認は代償を伴います`
まずい。
「森下、黙れ」
「え、いや、待って、俺はそんな、候補者とかじゃ」
「黙れ!」
間に合わなかった。
「俺は候補者なんかじゃない! こんなの全部、嘘だろ!」
その瞬間。
森下の喉元に、細いひびが入った。
最初は、水滴が光っただけに見えた。
次の瞬間には、それが首から頬へ、頬からこめかみへと一気に走っていた。
ガラスだ。
人間の皮膚の下で、ガラスが割れるみたいな音がした。
「……ぁ」
森下が自分の顔に触れる。
指先から、さらさらと白い粒がこぼれた。
俺は反射で腕をつかもうとした。
でも、その手は空を切った。
森下の身体は、崩れた。
粉々に砕けたわけじゃない。
もっと静かに、形だけがほどけるみたいに、雨の中へ溶けて消えた。
そこに残ったのは、濡れたアスファルトと、落ちたスマホだけだった。
息ができなかった。
周囲の通行人は誰も立ち止まらない。
いや、正確には、誰も“ひとり消えた”ことに気づいていない。
森下が最初から存在しなかったみたいに、その場所を避けて歩いていく。
俺だけが立ち尽くしていた。
スマホがまた震える。
黒い画面に、数字が書き換わる。
`現在の生存者:96`
`消去済み:4`
笑えるかよ。
これがゲームだって?
ふざけるな。
膝が少しだけ折れた。
そのとき、落ちた森下のスマホが一度だけ点灯する。
王冠の画面は消え、連絡先一覧だけが表示されていた。
そこにあったはずの「森下透」という名前が、目の前で空白に変わる。
登録そのものが、消えた。
「……おい」
嫌な寒気が走る。
死んだんじゃない。
消された。
その意味を理解しかけたところで、俺のスマホに新しい着信が入った。
非通知。
今度は出ない理由がない。
「誰だ」
『生きてるなら、まずは合格ね』
女の声だった。
落ち着いていて、嫌に冷静で、こちらが取り乱しているのを織り込み済みの声。
『今のを見たなら分かるでしょ。これは脅しじゃない。本番よ』
「おまえ、誰だ」
『名乗るのはあと。時間がないから先に言う。神代ユウ、あなた今から十分以内に自分の領域へ入って』
「領域?」
『死にたくないなら、急いで』
電話はそこで切れた。
数秒遅れて、CROWNの画面が地図に切り替わる。
渋谷の街に、薄い灰色の円が浮かんでいた。
その中心に、俺の会社のビルがある。
画面下に表示された文字は、ひどく簡潔だった。
`初期領域を確認しました`
`灰冠街区`
そしてもう一行。
`近傍候補者:3`
さっきより増えている。
雨の向こう、交差点の雑踏の中で。
誰かがこちらを見ている気がした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
目の前から誰かが消えたのに、世界は何も変わらず回っていく。
その気味の悪さが少しでも残ったなら、この話はたぶん届いています。
続きを追ってもらえるなら、ブックマークや評価を置いてもらえると嬉しいです。
次は、ユウがただ怯えるだけでは終われなくなります。




