34,勢いも程々に
次の日、私達は婚約証書を提出し、晴れて婚約者となった。
それから私は、学園に登校しながらも教室には向かわず、フィルミーノ様と一緒に自主学習をすることに。
婚約者になったとはいえ、未婚の二人。むやみに二人きりでいるわけにもいかない。セヴェーラ様が学園に許可を取り付けてくれて、狙われる可能性のある私に、護衛を付けてくれた。
セズデスやデリツィラは学園を欠席している。一部の生徒達も欠席しているらしいが……そのどれも、レイーラや私に酷いことをしてきた令息令嬢達のような気がする。
(確かにフィルミーノ様には『処すノート』は見せたけれど、まさかそんなに早く裏取りをしたの……?)
一体何処にそんな時間があったのだろうか――と遠い目になりながら、今日も図書室へ向かった。
またカウチソファーで並んで座り、二人で本を捲る。何処に行くにも護衛が付いてきてくれるので、二人きりではない。ないのだが……。
「レイーラ、私はこれが食べてみたいのだけれど」
「……フィルミーノ様、そんな近くなくても見えますよ?」
フィルミーノ様との距離が、前よりも一層近くなっている。あまりの近さと、後ろから護衛に見られている羞恥で、私はいたたまれず頬が染まっていく。
そういえば昨日の帰り、フィルミーノ様から「レイーラと呼んでもいい?私のことは呼び捨てでもフィルでもいいよ」と言われた。それからフィルミーノ様は、嬉しそうに私を「レイーラ」と呼び捨てにしている。
私はというと、「……恥ずかしいので、少しだけ待ってください」と遠慮させてもらった。
優里の時にも友人なんていなくて、こちらでの友人も令嬢がたった二人だけ。
(すぐに呼び捨てや愛称呼びなんて無理よ!ハードルが高すぎるわ……っ!)
そんな私を見て、「可愛い」とフィルミーノ様は満足そうに目を細めていて……私は思わず、乙女のように顔を覆ってしまった。
(まさか私がこんなふうに扱われて、こんな骨抜きにされてしまう日が来るなんて……。想定外にもほどがあるわ)
そしてどうやらフィルミーノ様は、私の手料理が食べてみたいらしい。スイートポテトも作ってほしいと、次の週末、わざわざアルジェント公爵家のキッチンを借りて作ることが決まっている。
(公爵家のキッチンで、芋のお菓子を作るなんて。きっと優秀なシェフ達ばかりでしょうに、食への冒涜だと怒られないかしら……)
脳内では、ガタイのいい強面のシェフが腕組みして佇んでいる姿が浮かぶ。その前で小さくなりながら芋を剥く私――なんて滑稽な絵面だろうか。
ちなみにフィルミーノ様が指さしていたのは、具だくさんのシチューだった。
公爵家の料理は、それこそ一流シェフが作る食事。見た目も華やかで美しく、前世で言うところのコースメニューのようなお皿が運ばれてくる。
(昨日の食事も、凄く綺麗で美味しかったものね。逆に、こういった庶民的な料理が珍しいのでしょうけれど……)
「これなら簡単に作れますよ。煮込むのに、少し時間はかかると思います……が」
フィルミーノ様が差し出ていたレシピを覗き込んだ私は、それに目を通して歯切れを悪くする。
「ん?どうかした?」
「……こちら、もう少し見せていただいても?」
「勿論」
手渡された料理本のページを読み、私は眉を寄せた。料理の手順で、肉や野菜を煮込んだ茹で汁を全て捨てるよう書かれていたのだ。
(アクを取ればいいだけなのに、この世界では煮汁を全部捨ててしまうのよね。栄養も旨味も沢山入っているのに)
「思ったよりも難しいの?」
「いいえ。その……このレシピ通りの作り方が、ちょっと私には合わないのです」
「合わない?」
フィルミーノ様が首を傾げながら、本を覗き込んでくる。私はその項目を指さした。
「ここです。肉や野菜を炒めて、水を入れて柔らかくするために煮込んだ後、その茹で汁を全て捨てると書かれているでしょう?」
「そう書かれているね」
「ですがこの茹で汁には、肉や野菜の旨味が沢山溶け出しているんです。確かにアクは浮きますし、野菜のクズを落とす意味もあるのでしょうけれど……。それなら布やガーゼで濾してこの汁を使った方が、もっと美味しくなるのに。勿体ない……」
「…………」
そう説明したものの、フィルミーノ様から何の言葉も返って来ず、私はハッとした。
(私ったら、何を力説しているの……。そんなのフィルミーノ様が知るわけないでしょう)
恐る恐る、目だけをフィルミーノ様へ向ける。すると、あまりに至近距離で目をぱちぱちと瞬いていて、驚いた私は勢いよく身を引いた。
「!?」
「あぁ、ごめん。ほら、本を見ないとレシピが分からなかったから、ね?」
フィルミーノ様はふふっと笑う。
この方、分かってやっているでしょう!またしても私の顔はみるみる赤く染まっていく。
「それにしても……さっきの言い方だと、この本に書かれているレシピより、レイーラの方が美味しく作れるって言ったように聞こえたのだけれど……」
本をまじまじと見つめるフィルミーノ様に、私は覚悟を決める。だって、美味しいものを捨てるなんて勿体ないこと、してほしくないんだもの。
「……そう、言ったつもりです。スープの味の深さや甘みは確実に変わると……自信があります」
――決して私が考えたわけではない。あちらの世界での知識ではあるけれど、せっかくなら美味しいものを食べて生きていきたい。
(お米や和食、和菓子だって……いつか機会があったら探してみたいもの!)
「……凄い。ねぇ、それを是非作ってみてよ。この本を書いたヒューイットという料理人は、元王宮料理長を務めて、引退後は我が家でシェフをしているんだ」
「!?」
「元々片田舎の子爵家出身……だったかな。だから多分、こういう郷土料理を載せた本を出したんだと思うけれど……。ヒューイットよりも美味しく作れると言うなんてね」
最早、断れる状況ではない。私は顔を青くしながら、口をはくはくさせるばかりで、何も言葉にならなかった。
(料理本の著者が元王宮料理長で、今はアルジェント公爵家でシェフをしているって……嘘でしょう!?)
「この間、レイーラのお菓子の話をしたら、『芋が菓子になるのですか……?』って凄く興味深そうな顔をしていたから。その時、一緒に晩餐も作ってくれないかな?そのシチューを」
「は、はい……」
私は、なんて人を相手に喧嘩を売ってしまったのかと頭を抱えたくなった。ガタイのいい強面のシェフが、更に腕組みして迫ってくる。勘弁してください……!
「ちなみに、近くでレイーラが料理しているところを見ていてもいい?」
「ど、どうしてですか!?」
「えっ。だって、好きな人が私や家族のために料理してくれるなんて。せっかくだから見ていたいじゃないか」
「〜〜っ!?」
(そんな面と向かって好きな人だなんて言わないでっ!それに、フィルミーノ様に料理しているところを見られるって……)
正面には、輝かんばかりの笑顔で私を見つめるフィルミーノ様が。背後には、こちらを睨み付けるガタイのいい強面が。
その中央に立たされ、恐怖と緊張から引き攣った顔で料理をする私――って、本当にどんな状況よ!?
「あの……フィルミーノ様がキッチンに立ち入るのは流石に……」
「大丈夫、ちゃんと許可をもらうから」
「……はい」
公爵令息から頼まれて、断れるシェフなどいなかろう。確定された未来に、私は諦めの了承を呟いた。
――来たる週末、私の心は無事でいられるのだろうか。
(優里、どうしてかな。なんだか私、どんどん別の沼に落ちていってる気がするんだけど……)
フッと力ない笑みを浮かべて、天井を見つめる。昔よりも柔らかな顔付きになった優里が、空の向こうでサムズアップしている気がした。
そうして週末。
フィルミーノ様たっての希望で、私はスイートポテトとシチューを作ることになった。事前に伝えていたため、食材はこれでもかというほど準備されていた。
「貴女様がヴァレンティ伯爵令嬢ですか。本日を楽しみにしておりました。アルジェント公爵家のシェフ、ヒューイットと申します」
「レイーラ・ヴァレンティと申します。本日は場所をお貸しいただき、ありがとうございます」
ガタイのいい強面――ではなく、すらりと背の高いスマートなシェフが、わざわざコック帽を取って挨拶をしてくれた。
しかし、私の心境はそれどころではない。なにせこの人の料理本に、私はケチを付けたことになるのだから。
(楽しみにしてたって……それは、どういう意味なの?ねぇ、どういう意味なの……っ!?)
心から楽しみにしてくれているのか、それとも私をけちょんけちょんに負かすつもりなのか。
今すぐ逃げ出したいと思いながらも、フィルミーノ様からの「こっちだよ」という無情な言葉に、私はキッチンへ足を踏み入れた。




