33,あの子に負けないように
私がまだ優里だった頃も、レイーラの過去の記憶を辿っても、私達が個人から花束をもらったことなどなかった。
家族からもらったり、式のような行事でもらったりすることはあっても、他に生花など贈られた記憶はない。
そう素直に口にしただけなのに、何故か張り詰めたような空気になってしまった。目の前の令嬢が私を通り越して、ずいとフィルミーノ様に迫る。
「ちょっと、お兄様?これはどういうことかしら?」
「兄上まさか、まだプレゼントを贈ったことがないのですか……?」
「い、いや、それはない!この間、ドレスや髪飾りは贈ったんだよ?ほら、今彼女が付けている髪飾りだよ。それにそもそも建前上、私達には昨日まで別の婚約者がいたから」
「言い訳は結構」
ピシャリとフィルミーノ様の言葉に割り込み、セヴェーラ様はパシンと扇で軽く手を打った。
(笑顔なのに顔に影が差している感じが、にこやかに怒っている時のフィルミーノ様そっくり……)
なんて思いつつ、私は口を噤んで成り行きを見守る。
「ごめんなさい、わたくしの教育が甘かったようね。まさか花束の一つも贈っていないだなんて」
「……それについては何も言い返せないですね。ごめん、レイーラ嬢。私としたことが……」
セヴェーラ様の言葉に、フィルミーノ様も頭に手を当てて申し訳なさそうにし始めたため、私は慌てふためいた。
「そ、そんな……!フィルミーノ様には沢山のものをいただいています。皆様にこうしてお会い出来るのも、全てフィルミーノ様が助けてくださったおかげです。出会ってたったひと月だというのに、こんなに良くしていただいて……これは夢なんじゃないかと不安になるくらい、フィルミーノ様がくださった今が幸せなんです」
私がそう言うと、セヴェーラ様は少し眉を下げ、さっきとは違いゆっくりと私を優しく包み込む。そこに「わたくしも!」と言い、令嬢もしがみついてくる。
令息の方は、どうすればいいのかと悩んでいる様子でフィルミーノ様を見て、彼に引かれて私の近くに寄ってきた。いつの間にか私は、セヴェーラ様と小さな令嬢に抱き締められ、その側に二人も寄り添ってくれていた。
こんなふうに、何の打算もなく迎えられたことなど一度もなかった。あまりの温かさに涙が出そうになる。
「貴女がそう言うならいいわ。フィルへのお説教はやめて差し上げます。お腹が空いたでしょう?食事にしましょうか。花束は一旦使用人に下げさせるわね」
セヴェーラ様が目で指示をしたのだろう、使用人がすぐ手を差し出してくれた。いただいた花束を渡すと、フィルミーノ様に手を引かれ、席へと案内される。
「どうぞ、レイーラ嬢」
フィルミーノ様は流れるように椅子を引いてくれた。
当然のようにエスコートをして、椅子を引いてくれる。こんなふうに丁寧に接してくれるフィルミーノ様に、胸が温かくなる。
「ありがとうございます、フィルミーノ様」
そんな私達を三人が優しい顔をして眺めていた。
食事の席はとても和やかだった。
フィルミーノ様の妹はトスカーナ様で、弟はリベラート様。二人は私達の馴れ初めに興味津々で、色々と質問をされた。
そうなると、どうしてもセズデスやデリツィラを語らないわけにはいかない。二人の所業を軽く言うと、トスカーナ様は憤慨し、リベラート様は辟易した表情を浮かべた。
どうやらトスカーナ様は溌剌とした令嬢のようで、リベラート様は物静かな令息らしい。それぞれの違った反応を示す三人の兄妹を見ながら、私は晩餐を楽しんだのだった。
食事が終わり、部屋を移して応接室に案内された。
トスカーナ様とリベラート様は自室に戻られ、セヴェーラ様とフィルミーノ様、そして私の三人で話すことになった。
私はフィルミーノ様と並んで座り、正面にセヴェーラ様が腰かける。
「さて、あの子達も部屋に帰ったことだし、これからの話をしましょうか」
私は「やっぱり、簡単には終わらないわよね……」とごくりと唾を飲み込む。
急に現れた伯爵家の娘――それも、評判がよかったとは言い難い令嬢だ。それが、由緒ある公爵家の嫡男と婚約しようなんて言うのだ。そう易々とはいかないだろう。
レイーラが淑女教育で学んできた記憶があるからまだいいものの、前世の私は、大学受験の面接練習すらしていない年齢だった。
(それなのに、急にこんなことになるなんて……!)
私は内心冷や汗だらけだった。批判を受ける覚悟を胸に、隣に座るフィルミーノ様をちらりと窺い見る。
「婚約証書にヴァレンティ伯爵の署名はいただいてきました。あとは父上に署名をいただいて提出すれば、すぐにでも婚約は成立します」
「あら、そうなの?なら今日には署名をもらって、明日提出してきなさい。二人とも明日は学園を休んで、一緒に行ってきたらどう?」
「ありがとうございます。ではレイーラ嬢、そうしましょうか」
…………え?待って。話が進むの、早くないですか?
覚悟が一瞬にして霧散する。それどころか、こちらの心の準備など誰も待ってはくれないらしい。
「あ、あの……そんなにあっさり認めて宜しいのですか?私にとってはとても光栄な話ですが、私は伯爵家の娘ですよ?公爵家と婚約出来るギリギリの身分だという自覚はあるのです」
「あら、あっさりじゃないわよ?フィルに話を聞いてから、貴女のことは調べさせてもらっていたの。特に貴女は自ら『自分には悪評がある』と言っていたと聞いたから、何が真実なのか見極める必要があったもの」
セヴェーラ様は、隠すことなく私を調査していたことを打ち明けた。その堂々とした言葉の後、お茶を一口飲んでから柔らかく笑った。
「貴女は努力家で忍耐力もあるわ。自分に自信がないところは欠点だけれど、今までを思えば致し方ないものね。自信はこれからフィルの隣で付けていけばいいわ」
「君を調べれば調べるほど、ずっと我慢してきた君の日々が見えた。もっと早く出会って、早く助けたかったくらいだよ」
フィルミーノ様はそう言うと、まるで自分のことのように苦しそうに顔を歪めた。私は言葉に詰まって、ふるふると顔を横に振るしか出来ない。
「けれど、君も言っていただろう?『目が覚めた』って。あの一件が君を変えて、心のままに生きたいと願った先で私と出会ってくれた。だから全て無駄じゃなかったんだと、私は君に知ってもらいたいんだ」
「侯爵家で執務が出来るなんて、フィルの顔や家格に群がるだけの令嬢より、余程有用な逸材よ?それに、人柄も申し分ないもの。貴女を見縊るような有象無象がいれば、フィルもわたくしも容赦しません。貴女はもう、このアルジェント公爵家の家族も同然なのですから」
私はその言葉に驚いた。目を見開いたまま固まってしまう。
挨拶したばかりだというのに、こんなにも受け入れてもらえている。それは間違いなく私の力だけではなく、レイーラが必死に耐えて繋いできた今があるからに他ならない。
(これは……レイーラの努力があってこその評価よね。これからは、私があの子に負けないように頑張らなくちゃ)
私は膝の上でぎゅっと手を握り、まっすぐセヴェーラ様を見た。
「身に余るお言葉をありがとうございます。今後もより一層務めてまいります」
「とてもいい表情ね。貴女を義娘として迎え入れるのが楽しみだわ。……ランディーニ家は、本当にいい子を逃したわねぇ」
ぽつりとそうこぼすセヴェーラ様の言葉に、侯爵の顔がうかんだ。
確かに、子供や妻に対しての監督不行き届きはあったかもしれない。けれど、侯爵自身はとても誠実で厳格な方だった。
「侯爵様……」
私が心苦しげな言葉を漏らすと、フィルミーノ様が背に手を添えてくれた。
「大丈夫。レイーラ嬢が言っていたように、侯爵への責任を追及しないよう、父が陛下にも取り計らってくれているから」
「公爵様が……国王陛下に!?」
まさか陛下にまで話が回っているとは思わず、私の体は思わず震えてしまう。
「レイーラ、先に言っておくけれど、多分貴女、陛下からお褒めの言葉が届くわよ」
「へっ!?」
更に意味が分からない。何がどうしたらそんなことになるのか。
「ランディーニ侯爵令息の私室から出てきた証拠から、侯爵が違法な奴隷商人の拠点を割り出してね。騎士達を潜入させ摘発したらしいんだ。それを支援していた貴族達の名前も芋ずる式に出てきたんだって」
「その中にはアッバティーニ侯爵の名前もあったらしいわよ。これから更に調査が進められると夫も言っていたから、他にも色々な貴族達が左遷や降爵になって、最悪は爵位の剥奪もあるんじゃないかしら」
「は、ははは……」
どうやら事態は、私が想像していたよりも一大事件と進化していたらしい。
(優里、助けて!私、陛下への返事や対応なんて分からないわよ!?)
祈るようにぎゅっと手を握り、かつての自分の名でもあり、今や親友となった名を呼ぶ。けれど、答えてくれるはずもなく。
もし仮に答えが返ってきても、「私だって分からないわよ……」と困ったような微笑を浮かべられるのだろうなと、私は眉を下げるしかなかった。




