32,慣れない歓迎
「まぁ、まぁまぁまぁ!よく来てくれたわね!」
「ぎゅぶっ」
声と共に、私はぎゅうぎゅうと柔らかく温かい胸に包まれ、うっかり変な声が出てしまった。
学園での怒涛の展開から、唐突な婚約の流れ。そのままフィルミーノ様に連れられ、広く美しい庭園を抜け、圧倒されるほどの立派な屋敷に慄き……。
ただでさえ既にキャパオーバーだったところに、想像とは正反対の歓迎を受け、私は直立不動で固まっていた。
「母上、レイーラ嬢が驚いているでしょう。それに潰れていませんか?早く離してあげてください」
「嫌よぅ!いつ連れてくるのかと待ちわびて、もうひと月近く経つのよ?やっと来てくれたのに、沢山歓迎してあげなくちゃ!」
フィルミーノ様の言葉に、私はやはりと胸の中で頷いた。
今私を抱き締めているのはアルジェント公爵夫人――つまり、フィルミーノ様のお母様である。フィルミーノ様の瞳の色や目元は、どうやらお母様譲りのようだ。
フィルミーノ様には姉はおらず、弟妹だけと聞いていたため、似た瞳を持つこの方こそフィルミーノ様のお母様だと察しはしたが……。
その容姿はあまりにも若々しく、本当に母親なのかと驚いてしまったほど。未だ社交界の花のような華やかさを纏っている。未婚のご令嬢と言われても納得してしまう美貌だ。
レイーラの記憶にしろ私自身の経験にしろ、“上位貴族の夫人”のイメージといえばランディーニ侯爵夫人だった。
フィルミーノ様が連れてきた娘が伯爵家程度の娘なんてと、あの人のように蔑み嘲笑されるかと想像していた私にとって、大歓迎とでも言わんばかりの対応に、やはりこれは夢なのでは?と疑ってしまう。
「抱き着かなくても歓迎は出来ます。……私だってまだそんなに抱き締められていないのに」
「あらやだ、この子ったら嫉妬?実の母に向かって妬いているのかしらぁ?」
「……はぁ。もう返してください。この子は私のです」
私はぐいとフィルミーノ様に引き寄せられ、今度はその胸元にしっかりと抱き留められた。しかも、少し子供っぽく「この子は私の」なんていう言葉に、頭から湯気が出そうなほど恥ずかしい。
フィルミーノ様のお母様は、楽しそうに「あらあら」と朗らかに笑っていらして。私はいたたまれなくて、どんどんと小さくなっていった。
フィルミーノ様は我が家でお父様に、「レイーラ嬢と婚約させてください」とド直球に頭を下げた。
婚約破棄をした翌日に婚約なんて、流石に醜聞になるから時間を空けた方がいいのでは?とお父様も私も言ったのだが、
「我がアルジェント家を非難出来る家など、どれほどあるでしょう?それに、今回の婚約破棄の一件で矛先が向くとすれば、私ではなくレイーラ嬢でしょう」
「た、確かにそうですな……」
「その時に私達が婚約していれば、私や公爵家に喧嘩を売ったことになりますから。彼女の身を正式に守れるよう、是非ともその座をいただいておきたいのです」
と、後光を背負ってお父様を説得していた。
お父様は「そこまで娘を思って……!」と言って感涙していたけれど……物は言いようだと思うの。
フィルミーノ様の言葉にあっさり陥落したお父様は、言われるがまま婚約を承諾していた。
(フィルミーノ様の対応力も凄いけれど……いつかお父様が詐欺に遭わないかの方が不安だわ)
その光景を見つめながら、私は乾いた笑みを浮かべた。
そうして婚約証書にお父様から署名をもらったフィルミーノ様は、そのまま私を公爵家の晩餐に招くと言った。
学園を出る際、「今日連れていくかもしれない」と公爵家へ連絡しておいたそうだ。どこまでも根回しが良すぎる。
(優里の時は、あの馬鹿の両親に会って挨拶することなんてなかったもんね。そもそも同じ歳なのに、あっちの世界では婚約とか結婚なんて、もっと遠い未来の話だと思っていたくらいだから……)
そういうわけで、参考になる相手がランディーニ侯爵夫人しかおらず、受け入れてもらえなかったらどうしようと考えていたのだが――拍子抜けもいいところである。
「まぁ、わたくしったら。挨拶より先に嬉しくって、年甲斐もなくはしゃいでしまったわね。初めまして。わたくしはフィルミーノの母、セヴェーラ・アルジェントよ」
「ヴァレンティ伯爵家の娘、レイーラ・ヴァレンティと申します。温かく迎えてくださり、心から感謝申し上げます、アルジェント公爵夫人」
私は深く腰を落とし、淑女としての礼を取る。フィルミーノ様のお母様に悪い印象を与えたくはない――その一心で、磨いてきた礼儀作法を丁寧に示す。
「あらあら、本当にしっかりした子なのね。フィルが自慢げに話すわけだわ。いずれ家族になるのだから、気軽にセヴェーラと呼んで頂戴」
「ありがとうございます、セヴェーラ様。どうぞ私のこともレイーラとお呼びください」
私は顔を上げてフィルミーノ様へと視線を向けると、隠し事を暴かれた時のように顔を赤らめ、私から目を逸らした。
その表情に、私はセヴェーラ様の言葉を思い返した。
(夫人は、ひと月近く経つとおっしゃっていた……ということは、出会ってすぐに私の話をされていたってことよね? それに自慢げにって、一体どんな話をしていたの?)
気まずそうにしているフィルミーノ様に釣られ、私の顔もじわじわと火照っていく。
「フィルから軽く話は聞いているけれど、是非貴女からも話を聞きたいわ。さぁ、中に入って」
そう口にしたセヴェーラ様に案内されたのは、広々とした食堂。使用人達が壁際に控え、静かに整列している。
テーブルの上には既にカトラリーがセッティングされており、惜しみなく置かれたキャンドルと、等間隔に置かれた花々が私の歓迎を表していた。
そして入ってすぐ、可愛らしい天使のような二人が、私に花束を差し出してくれた。
「「ようこそ、アルジェント公爵家へ!」」
その二人は、まるでフィルミーノ様の面影を分け合ったような見た目をしていた。
令嬢はフィルミーノ様と同じ髪色を、令息はフィルミーノ様と同じ瞳の色をしていて、この二人がフィルミーノ様の弟妹だと分かった。
二人は、まだ子供らしいぷっくりした頬をほんのり赤くして、笑顔でこちらを見つめている。こんな歓迎に慣れていない私は、おずおずと差し出された花束を受け取った。
「ありがとうございます。……とても綺麗。それに、いい香り。お花なんて、家族以外からいただいたのは初めてだわ」
「「「「えっ」」」」
私の一言に、目の前の天使達も、セヴェーラ様やフィルミーノ様まで固まってしまった。私の口からも、同じように「えっ」と漏れ出てしまう。
(わ、私、もう何かやらかしちゃったの……!?)
ただ花をもらった感想を述べただけのはずなのに、どうやら早速何か失言をしてしまったらしい。
私は顔を引き攣らせながら、四人と一緒に固まるしかなかった。




