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30/31

30,期待してもいいの?


 私はフィルミーノ様と共に職員室へと向かい、授業を欠席する旨と事情を伝え、自主学習の許可をもらった。

 

 授業中のため、図書室には受付の司書以外、誰一人いない。貸切のような空間に私は一息吐く。


「奥に陽の当たる、いい場所があるよ」

「そうなのですね」

「うん。行こう」


 フィルミーノ様は私の手を取って歩き始めた。エスコートのように手を持ち上げるでもなく、腕を差し出すでもない。

 

 ぎゅっと握られた大きく温かな手に、胸の鼓動が鳴り続けていた。



 

「綺麗……」


 私は素直にそうこぼす。窓辺には猫脚のカウチソファが置かれている。

 

 落ち着いた雰囲気の図書室に、金糸でダマスク柄の刺繍が施された深緑色のソファは、とても優美で目を引いた。窓から射す光は、窓の外にある大きな木によって丁度いい木漏れ日になっている。

 

 勉強をするというよりも、ゆったりと読書をするためのスペースのようだ。


「あの、フィルミーノ様。お勉強は……?」

「昨日の今日なんだ。本当は数日休んだっていいくらいなんだから、少しくらい好きに読書をしたって誰にも怒られないよ」


 そう言ってフィルミーノ様は近くの本棚を見始めた。手近な本を手にして、パラパラと(めく)っている。


「これまで君は自分の時間なんてなかったんだろう? 今日はここでゆっくり過ごしたらどうかな?」

「……ありがとうございます。では、そうします」


 フィルミーノ様の計らいに礼を言って、私も本棚を見て回り始めた。

 

 学年やクラスは違えど、何処でセズデスに見られるか分からない恐れもあって、レイーラはあまり教室の外を出歩かないようにしていた。この図書室の記憶もほとんどない。

 

 様々なジャンルの本が取り揃えられていて、どうやら令嬢達が好みそうな詩集や恋愛小説の類も置かれているようだ。

 

 そんな本が並ぶ一番奥に、ひっそりと料理の本が置かれていた。ほとんど手をつけられていない、あまり読まれた様子のないそれは新品のように綺麗だった。

 

 私はそれを手に取り、フィルミーノ様の元へと戻る。既に座って本を読み始めていた彼の隣に腰かけ、本を開いた。

 

 しんと静まり返った空間。聞こえるのはお互いに本を(めく)る音と、時折外で小鳥が(さえず)る鳴き声くらい。

 

 けれど息が詰まることもなく、ただ落ち着いて側にいられる安心感があった。


(他の令息とだったら、とても気まずくなりそうだけれど……。フィルミーノ様だからかしら)


 ふと顔を上げると、私の動きに釣られたのかフィルミーノ様も顔を上げた。きょとりと顔を見合わせる。

 

 すると、フィルミーノ様が私の本に興味を示した。


「何を読んでいるの?」

「あ〜〜……えっと、その」


 私は視線を泳がせた。貴族令嬢の嗜みとして人気なものは、刺繍や音楽といった気品のあるものだ。

 

 料理というものは貴族社会において、「料理人が雇えないほど貧乏なのか」と思われてしまい、趣味嗜好と公言するにはあまり適しないものである。


 しかし私は、その本を差し出した。表紙を見てからぱらぱらと(めく)った後、フィルミーノ様は目をぱちぱちさせる。


「レイーラ嬢は料理に興味が?」

「……えぇ。この間は自分でお菓子を作りましたの」

「えっ!?」


 フィルミーノ様は声を上げてから口を覆った。生徒はいないから迷惑にはならないだろうが、図書室での大声は厳禁だろう。

 

 これくらいでは注意しに来ないだろうが、(うるさ)くしすぎると司書に追い出されてしまうかもしれない。彼は口を覆ったまま左右に視線を送り、その後ペロッと舌を出した。

 

(……ちょっと待って。どうしてそんなあざと可愛いことをするのよ。ドキドキするから止めてくれませんか……?)

 

 この人、そういうのを分かっていてやっているのだろうかと、目を見開いてしまった。


「うっかり声が出ちゃったよ。それで?お菓子を作ったの?レイーラ嬢が?」

「えぇ。……淑女らしくないでしょう?」


 貴族令嬢が厨房に立つなど、本来は「家の格を疑われる」行為だ。伯爵家で許されていただけでも特別なことだというのに、公爵家出身のフィルミーノ様に受け入れてもらえるのだろうか。


 私がそう苦笑混じりに言うと、フィルミーノ様は目を瞬いた後、私の片側の頬をむにっと摘んだ。今度は私が声を上げそうになり、口をはくはくとさせる。


「私がそんなことで、君を毛嫌いするとでも?」

「えっ!?あ、あの……っ!」

「…………ふふっ。こういうことをされたら、きちんと拒否しなくてはいけないよ」


 フィルミーノ様は楽しげにくすくすと笑う。

 

「〜〜〜〜っ!!」


 私は声にならぬ叫びを押し止めつつ、けれど確実に顔に熱が集まっていくのが分かる。ぷいっと顔を背けると、頬からフィルミーノ様の手が離れた。


「ふふふっ。それで?料理をするのが好きなの?」

「はい。時々キッチンを使わせてもらって」

「へぇ!この間は何を作ったんだい?」

「…………」


 芋を使ったお菓子ですと言えば、流石に引かれるだろうか。私が躊躇(ためら)って口を(つぐ)むと、再びフィルミーノ様の手がそろりと伸びてきた。


「す、スイートポテトです!!」

「……すいーとぽてと、ってなんだい?」


 また摘まれる!と思って慌てて口にしたのは、優里のいた世界では当たり前に存在していた、けれどこちらの世界にはないお菓子の名前。

 

 初めて聞いた言葉に、フィルミーノ様は不思議そうな顔をしている。


「その……驚かれるかもしれませんが、お芋で作ったお菓子なんです。でも甘くて濃厚で、私はとても好きなのですが……」

「芋が……お菓子になるの?」

「はい。家族も我が家のシェフも驚いておりましたが、美味しいと好評でした」

「……芋が、お菓子に……」


 説明しても目を丸くしているフィルミーノ様に焦り、私はソファの上でずいと身を乗り出すように言い募る。

 

 フィルミーノ様は押されるように体勢を崩し、後ろの腕置きに(もた)れかかった。

 

「決してヴァレンティ家が貧しいのではなくて、本当に、本当に美味しいんですっ!実は、フィルミーノ様と街に行くお約束の前日に作って、沢山お世話になったからと、そのお菓子を包もうかとも考えたのです。でも……」

「……でも、なぁに?」


 言葉の続きを分かっているのか、フィルミーノ様は仕方なさそうに眉を下げた。それでも私に最後まで言わせようとしているらしく、首を傾げて待っている。


「お芋のお菓子なんて、公爵令息であるフィルミーノ様に食べてもらうものではないなと、途端に自信をなくしてしまったんです。そんなお菓子を作る私も、それで喜ぶ私も、フィルミーノ様に卑しいと思われて嫌われてしまうのではないかと……そう思ってしまっ」


 私は言葉の続きが言えなかった。決して言葉が詰まったからではない。

 

 ぐいとフィルミーノ様に腕を引かれた私は、前のめりになって、そのままフィルミーノ様の胸に飛び込んでしまったのだ。反射的に起き上がろうとするが、それより先に私の頭を抱え込むように、彼が優しく抱き締めていた。


「休みの日に私のことを考えてくれたの?しかもレイーラ嬢のお手製なんて、是非食べてみたかったのに」

「ふ、ふぃ、フィルミーノ様……っ!?」

「私はね、レイーラ嬢。お菓子を作って喜ぶ君も、お菓子を嬉しそうに食べる君も、いつだって見ていたいと思うだろうし、そこに私もいられたらって思う。そんな私が、君を貶すようなことを口にして、嫌うとでも思うのかな?」


 私の頭は抱え込まれているため、フィルミーノ様の顔は分からない。けれど、いつもよりも近い声に頭がクラクラした。

 

 彼は、あの愚かな男二人のような軽率な行動はしないはず。それなら、この状況は――?

 

 私はこれまでの、そして今のフィルミーノ様の言葉と行動を思い返しながら、彼の胸元を掴み、羞恥と歓喜で震えた。

 

 期待してもいいのだろうか――。

 

 押し殺してきた想いが、胸の奥で暴れ出す。その高鳴りに息を詰まらせながら、じわりと視界が滲んでいった。

 



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