28,これからも、この世界で
「貴女の想い人はアルジェント様なんでしょう?あの方の話をしている時、凄く優しそうな顔をしてたもの」
私は優里に言い当てられ、顔に熱が集まっていく。優里はニマニマとした表情で笑っている。
「私は優里として生きていきたい。お父様やお母様、ベニートやエッダと会えないのは……とても悲しいけれど。でも、私はこちらに来られてよかったと思っているの。自分が我慢すればいいと諦めて生きてきた私が、やっと自分自身と向き合うことが出来たんだもの。それに……諒一さんにも会えたから。私は許されるなら、彼の側で生きていきたい」
意思のない人形のように生きていた彼女は、優里の姿で力強くそう言った。それに触発されるように、私も想いを曝け出す。
「私も、お父さんやお母さん、それに清花とこんなに早く会えなくなるなんて思わなかった。これまでキツい言葉ばかりでごめんねって、もう謝ることも出来ない……。でも、私も……こっちの世界で生きていきたい。ずっと優しい人間になれなくて苦しかった。でも、フィルミーノ様は、ありのままの私を認めてくださったの。だから私も、あの人と一緒に生きていきたい」
私達は鏡越しに、それぞれの想いを語り合った。誰にも信じてもらえないであろう、この不可思議な現象によって得たもの、失ったものを打ち明けていく。
「みんなは元気?私、ずっと暗い顔ばかりだったから……何も親孝行出来なくて」
「うん、お父様もお母様も元気よ。ベニートはこれまでのことを聞いて『あんな人を義兄と慕うなんて絶対に嫌だ!』って怒っていたわよ。あと、エッダの忠誠心は本当に素敵ね。いつだってレイーラを優先して大切にしてくれているわ」
「そう……。そうなのね」
優里は安心したように胸を撫で下ろした。対して、私は眉を下げた。
「私の家族は……私がいなくなって、貴女のような穏やかな人間になって喜んでいるでしょう?」
「ううん、そんなことないのよ。みんな、私が変わってしまったと言って、『これまで気付けなくてごめんね』って、沢山泣いていたわ。貴女をちゃんと見てあげられなかったって、後悔していたの」
ふるふると首を横に振る優里に、私は言葉を失った。
かつてのレイーラは、自分の気持ちや状況が上手く伝えられなかっただけで、家族からは愛されていた。
けれど私は、いつも喧嘩腰で接してしまっていたから、まさかそんなふうに思われていたなんて考えもしなかった。
「貴女の言い方は厳しかったのかもしれないけれど、その言葉に間違いはなかったんだもの。特に清花は、『お姉ちゃん、もっと怒っていいんだよ』って、私以上に蓮弥や周りの人達に怒っていたのよ」
「あの子が……?」
いつも言い争ってばかりだった妹が、私のためにそんなふうに憤ってくれるとは思わず、思わず視界が歪む。
私達はこれまでのこと、これからのこと、家族のこと、そして好きになった人のこと……。多くを打ち明けていった。
しかも、互いに「彼と生きていきたい」なんてお口では言っておきながら、どちらもまだ相手と付き合えてさえいないのだから。そう思うとおかしくて笑ってしまう。
「だって、相手は公爵令息よ!?しかも、いずれアルジェント公爵家を継ぐ嫡男なのよ?いくらフィルミーノ様も婚約破棄をなさったからって、次の相手に私が選んでもらえるなんて自信、普通は持てないわよっ」
「それはそうね……。そもそも私だったら恐縮し過ぎて、話すことさえ無理だったと思うもの。貴女は凄いと思うわ」
優里はそう言って感心している。
予想通り、仮に優里がレイーラのままだったとしたら、フィルミーノ様と出会っていてもまともに話せず、私のように交渉など出来なかったようだ。
「でも何よりも、優里に戻されるかもしれない不安が強くて……。それなら恋をしたって悲しくなるだけだもの。頭では先の見えない状況を理解していて、気持ちに気付かないようにしていたのかもしれないわ」
「そう……。私はさっきも言った通り、きっと戻らないだろうと思っていたけれど、大学生の諒一さんからしたら高校生の私なんてまだ子供でしょう?想いを伝えてしまったら、この関係が壊れてしまいそうで怖くて……」
優里は、どうやらレイーラの時のような繊細で臆病な面影が残っているらしい。十分大切にされている気がするけれど……と思いながら、私は問いかけた。
「なるほどね。警察署に一緒に行ってもらってから、連絡したり会ったりしていないの?」
「……実は蓮弥が捕まってから学校に通うようになって、その帰りによく迎えに来てくれるの。まだ一人で歩くのは怖いだろうし、心配だからって」
「そんなの、絶対に気があるじゃない!戻る不安がなかったなら、さっさと言っちゃえばよかったのよ!」
向かい合っているのは、過去の自分の姿だ。けれど、今そこにいるのは、魂で苦楽を共有した唯一の存在。
かつての自分に向かって励まし、恋を応援するなんて奇妙な光景だけれど、私達はまるで古くからの親友のように、飽きることなく語り続けた。
そうして話し込んでいると、真っ暗だった世界に、うっすらと光が差し込んできた。私達は明るくなっていく地面へと目を向ける。
「もしかして、夜明け……?」
優里の言葉に鏡の方へと目を向けると、そこはもう透け始めていた。私は慌てて鏡に近付いた。
「ねぇ、これって……っ!?」
「……もうすぐ夢が終わってしまうのね」
そう言っている内に、どんどんと世界は明るくなっていく。視界が白く染まっていく中、私は必死で叫んだ。
「貴女の家族は私が大切にする!必ず親孝行もするわ!だから貴女は、そっちで幸せになって!絶対に、諒一さんと幸せになってね!!」
「私も、今度こそ家族が笑っていられるようにするから。貴女もどうか元気で……ずっと応援しているわ。――あのね、今の私が自分を少し好きになれたのは、諒一さんのおかげでもあるけれど、何よりも貴女のおかげなの。貴女なら、公爵夫人になったってきっと負けないわ。だから必ずアルジェント様と結ばれて、幸せになってね」
最後の方は視界が真っ白で、何も見えなかった。それでも彼女の言葉を聞き逃さないように、耳だけは必死に澄ませた。
きっともう二度と会うことはないだろう、親友の声を――。
ぱちりと目を覚ますと、もう見慣れた天蓋付きのベッドで寝ていた。
きっとエッダが、ドレッサーに突っ伏して眠っていた私を見付けて、ベッドに運んでくれたのだろう。物音に気付いたのか「お嬢様?」とエッダが声をかけてきた。
「おはようございます、お嬢様。――お嬢様、どうかなさいましたか!?」
「……え?」
エッダは、慌てて侍女服のポケットからハンカチを取り出した。それを見て、私は目元を拭う。指は涙で濡れていた。
「……私、泣いていたのね」
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「――エッダ、私ね、また夢を見ていたの。前に言っていた、川に落とされた少女の夢を」
「……そういえば、そんなお話をしていらっしゃいましたね」
エッダはそう言いながら、私の目元を優しくハンカチで拭いていく。
「都合のいい夢かもしれないわ。でも、私が婚約破棄出来たように、彼女も傷付けてきた男と離れることが出来たようなの」
「左様でしたか」
「きっともう、夢に見ることはないと思う。けれど、彼女は私に勇気をくれた人だから……。いつかまた会いたいわ」
ほろりと涙をこぼしながら笑う私に、エッダは優しい表情で「そうでございますね」と微笑み返してくれた。
エッダに朝の支度の用意をするように言うと、学園に向かえるよう、準備を始めてくれる。
私はベッドから起き上がり、窓辺へ近付く。差し込む温かな光に照らされながら、かつて過ごした場所とはまるで違う景色を眺めた。
これから彼女の分まで、この世界で生きていく。
「私も、貴女のおかげで今の私を好きになれたのよ。――さようなら、優里。かつての私のことを、どうかお願いね」
燦々と降り注ぐ太陽を見上げながら、私は遠く離れた親友に、別れと願いを呟いた。




