24,見て見ぬフリをしてきたもの
食堂を後にした私達は馬車に揺られていた。
フィルミーノ様は晴れやかな表情で、私を見つめて微笑んだ。
「昼食を食べ損ねてしまったから街で食事をとろうか」
デリツィラから解放されたのだから、すっきりしたのかもしれない。声がいつもより少し高く感じた。
食事に誘われて嬉しい――はずなのに。
上手く言葉が出てこなかった。「はい」と、ただ返事をすればいいだけのことが出来ず、結局私は首を横に振ってしまった。
「すみません。少し疲れてしまったみたいで、今日は……」
「大丈夫かい?それなら早く帰ろう」
フィルミーノ様はとても心配そうに私を気遣い、急いで屋敷に送り届けてくれた。馬車を降りてからも、その手は握られたまま。
「心配だから、屋敷まで一緒に行かせて」
そんなふうに言われて拒めるはずもない。私が屋敷に入る瞬間まで、彼はエスコートを申し出てくれた。
そうして屋敷に入り、フィルミーノ様はイラリオとビーチェから感謝の言葉を受けていた。
しかし、その間も彼はチラチラと私の様子を窺っていた。
「今日のことで相当疲れてしまったみたいです。彼女を早く休ませてあげてください」
と、フィルミーノ様は不安な表情で言う。すぐにエッダが飛んできて、私は部屋で休むことになった。
エッダと階段を上りながら、ちらりと振り返る。こちらを案じるように見つめる瞳に、胸が掴まれたような痛みを抱きながら、私は自室へ向かった。
お風呂に入り、甲斐甲斐しく世話をしてくれるエッダも、部屋から出ていってもらった。
顔を伏せて「少し一人になりたくて」と言うと、エッダは飲み物と軽食を置いて「何かあればすぐお呼びください」と退室した。
フィルミーノ様からまだ昼食を食べていないと聞いたのだろう。ドレッサーの前から動くことが出来ないまま、サンドイッチに手を伸ばし、一口齧る。
「……美味しい」
そう口にすると、思わず涙がこぼれた。
この涙は、決してレイーラの心が傷んでいるわけではない。目標としてきたセズデスの罪を暴き、婚約破棄までやり遂げてみせた。その満足感は確かにある。
しかし――それらが終わってしまった今。
これから自分はどうしていけばいいのか、それが分からなくなり、途端に不安になってしまった。
――なにせ私は、レイーラであって、レイーラではないのだ。
今では記憶が馴染み、私がもうレイーラなのだという自覚はある。
しかし、私がそれまで生きてきたのは、優里としての人生だ。
あのビジョンで見た、自分とよく似た不幸な少女を何とか救わなければ。彼女を蔑ろにしてきた愚かな連中に罪を償わせねば――と、そんな闘志を燃やしてここまできた。
けれど、全てが達成されて……恐らく私の代わりに優里になった本物のレイーラがどうなってしまったのか。もう会えなくなってしまった家族や友人がどうしているのか。
そして、これからどうなってしまうのか――そう考えてしまったのだ。
異世界転生だとか、入れ替わりだとか、前の世界にはそんな物語が溢れていた。けれどそれはあくまで物語上の話で、自分の身に降りかかるだなんて思ってもみなかった。
それに、そういった物語に登場する人達の未来は様々ではないか。
そのままその世界で生き続ける者もいれば、元の世界に戻る者だっている。もし全てをやり遂げた先に、戻らなければならない未来が待っているのであれば……。
(もう、フィルミーノ様に会えなくなってしまうのよ)
私は俯き、唇を引き結んだ。
この世界に魔法はない。何故入れ替わりのようなことが起きたのかも分からないし、いつまで私がレイーラとしてここにいられるのかも分からない。
魂が入れ替わってレイーラになってから、私は孤独を感じていたのだと……今なら分かる。
エッダが優しくしてくれるのも、これまでのレイーラを想ってのこと。家族だってそう。当然だが、私に向けられるものは過去のレイーラへの評価ばかり。
私はレイーラではなく優里なのだと、そんなことを言えば、間違いなく頭を打ったせいでおかしくなったと思われてしまう。
だから、レイーラの記憶を頼りに、私はもうレイーラなのだと言い聞かせて、何とか順応しようと生きてきた。
――でも、本当は怖かった。
何故こんなことになってしまったのか。
これから自分がどうなってしまうのか。
誰にも何も話せない中で、優里が得意とした速記を「よく書けている」と褒めてくれたのは、フィルミーノ様だった。
それは無自覚ながら孤独を感じていた私にとって、とても嬉しい言葉だった。気恥ずかしく、そわそわしてしまうくらいに。
レイーラの中にいる、“私”を見付けてもらえた気がしたのだ。
その後も、フィルミーノ様は何度もレイーラの中の私を見てくれた。ズケズケと厳しく言ってしまう言葉も、負けん気が強い態度も、フィルミーノ様は心配してくれることはあっても否定はしなかった。
それは、元々のレイーラとの接点がなかったからだろうが、令嬢らしからぬ私の言動を認めてくれていた。それにどれほど心が救われていたか。
「そう……。私は、フィルミーノ様のことが……」
その言葉を最後まで形にしてしまえば、きっともう後戻り出来なくなる。胸の奥に渦巻く苦しさと不安を抱えたまま、私は顔を覆って涙を流した。
家族や友人に会いたい気持ちは嘘ではない。
けれど、「愚鈍で陰鬱で、何も出来ない愚かな女」と言われ続けてきたレイーラの人生と、「どうして名前の通りにもっと優しくなれないのか」と言われ続けてきた優里の人生の中で、フィルミーノ様はレイーラの静かな努力も、優里のきつい性格も否定しなかった。
ただ、頑張ってきたねと。そして、心配だと――。
私が助けたいと思った少女のことも、そして私自身のことも、フィルミーノ様が優しく受け入れてくれた気がしたのだ。
彼氏や婚約者には殺されそうになり、その両方の記憶から男への不信感があったはずなのに。
一ヶ月にも満たない間に、私が私のままでいられる相手に出会い、こんなにも誰かに惹かれることになるなんて――あの日の私には想像も付かなかった。
けれど、そんなフィルミーノ様と離れ離れになる未来があるかもしれない。それなら、こんな気持ちは抱かない方がいい。
(そもそも彼は公爵家の嫡男で、私は伯爵令嬢なのよ?フィルミーノ様の隣に並ぶのであれば、デリツィラから変わったとしても上位貴族のご令嬢に決まっているじゃない……)
彼は婚約破棄のために協力してくれたに過ぎないのに、思い上がっては周りの令嬢達と変わらないではないか。
そんなぐちゃぐちゃとした感情に押し潰されて、やり遂げた達成感よりも、終わってしまったという不安と恐怖が、考えないようにしていた未来を思わせることになった。
「……貴女は今、幸せになれているかしら」
私はドレッサーの鏡に手を伸ばす。
そこに映っているのは、入れ替わる際に擦れ違った時よりも幾分大人っぽくなったレイーラの姿だ。
私はこのままレイーラとして生きていくのか、それとも優里に戻ることになるのか――。
「ねぇ。私はこれから、どうすればいいの……?」
私は静かに呟いた後、そのまま声を噛み殺して泣き続けた。
ついに断罪を終えたレイーラ。しかし、これまで見ないように、考えないようにしてきたものと直面する時が。
元いた世界、かつての自分の姿と、入れ替わってしまった魂を思い浮かべながら、彼女はこれから何を選択し、どう生きていくのか……。
本日18:10に更新する25話では、新たな展開に入ります!
どうぞお楽しみに!
また、お知らせをさせてください!
以前にも後書きで紹介しました、
短編:【 不仲と噂の婚約者が、紅茶をかけられた私を見てブチ切れました 】
こちらが有難いことに多くの方にお読みいただけたことと、イラストレーターの方に表紙絵を描いていただけることになり、続編を執筆いたしました!
新作短編(続編):
【 婚約者との不仲を噂された私、隣国の王女殿下の通訳として無礼な令息達を黙らせました 】
イラストレーター・朝霧きか先生に素敵な表紙絵を描いていただきました!
こんな素敵なイラストを描いていただけて感無量です……!
続編では、イーリスの本領が発揮されます。
是非お読みいただけますと幸いです( .ˬ.)"




