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15,これが勝ち戦なのは


 保健室に到着すると、フィルミーノ様は女性の養護教諭に「肩を見てあげてください」とだけ告げて、部屋から出て行った。

 

 温厚で紳士的なフィルミーノ様の気が立っている様子に、養護教諭の女性は「い、一体何があったのですか?」と焦りを見せた。私はかくかくしかじか事情を説明する。


 肩を見せると、ぶつけられた所は少しだけ赤くなっていた。もしかすると青あざが出来るかもしれないが、「そのくらいならすぐに治りますよ」と言われ、ホッとする。内出血と腫れに効く塗り薬を薄く塗られ、治療は終わった。



 保健室の扉を開くと、フィルミーノ様は正面の壁に(もた)れて待っていた。私に気付くなり、心配そうな表情で駆け寄ってくる。


「肩は?どうだった?」

「大丈夫ですよ。少し赤くなっていたくらいでした」

「本当に?」


 肩に触れるか触れないかまで伸ばされた手は、暫く宙を彷徨った後、ぎゅっと握り拳に変わった。疑うような声色と眉間に寄った皺を見て、私は肩を竦める。


「本当です。もしかしたら青あざが出来るかもしれませんが、すぐに治る程度だって言われましたから」


 そう言って笑ってみせると、フィルミーノ様は「青あざ……」とだけ呟いて、仄暗い表情を浮かべた。


(怖い怖い……!美人のそれは迫力が桁違いなのよ)


「……レイーラ嬢は、これが日常だったのかい?」

「えぇと、そうですねぇ……」


 フィルミーノ様に質問され、私は思い返すようにレイーラの記憶を辿る。


 レイーラが学園に入学して一年ほどは平和だった。それなりに友人もいて、平穏な学園生活を満喫していた記憶がある。

 

 しかしその後、セズデスの婚約者に選ばれてからというもの、学園生活は地獄に変わってしまった。

 

 婚約者本人からはぞんざいに扱われ、友人はどんどんと離れていった。その上、見知らぬ令息令嬢から嘲笑される日々が始まったのだ。

 

 休日は侯爵家に行き、山のような書類を(さば)くだけ。数少ない友人と茶会やショッピングに行くことも出来ず、付き合いが悪いと言われ――一人、また一人と、ただでさえ少ない友人が更に減っていく。

 

 心のない人形のように、レイーラは自分を押し殺して生きているだけだった。


「こんな大っぴらに攻撃されることは滅多にありませんでしたが、全くなかったとは言えませんね。そもそもこうして目に見える怪我よりも、心ない言葉のほうが余程心を(えぐ)られたと思いますが」

「……なんでそんな、他人事みたいに言うんだい?」


 首を傾げるフィルミーノ様に、私は「しまった」と少し肩が跳ねる。私がレイーラの記憶を眺めるように話してしまったせいで、他人のことを話しているような口調になってしまった。

 

 私はコホンとわざとらしく咳払いをして言い直す。


「今となっては、もうどうでもいいのです。頭を打って寝込んで、心底目が覚めました。あんな愚かな人達に私の人生を愚弄される筋合いもなければ、心を蝕まれている時間も勿体ないと、そう気付いたのです。だから、もう引き下がらないと決めました」


 そう言い切り、私はバン!と自分の胸を思い切り叩いた。その音と行動に驚いたのか、フィルミーノ様が目を丸くする。私はぐいっと一歩踏み出し、下からにんまりと見上げた。


「私は、心のままに生きる!誰かの顔色に怯えて自分を殺すのは、もうやめよう。――そう決めたら、フィルミーノ様と出会えたんです。こんな勝ち戦だというのに、過去のことをネチネチ考えて何になるんです?」

「かち……いくさ?」


 私の勢いに押されたのか、フィルミーノ様はたじろぐように一歩後ろへと下がった。私は体を起こし、こちらも距離を取り直す。


「そうでしょう?あまり爵位や家柄で争うのは好きじゃありませんが、相手がそうした考えですから。セズデス様より身分の高いフィルミーノ様が味方になってくれて、しかもフィルミーノ様は公平に判断した上で、私の方に正当性があると思ってくださっているんでしょう?」

「当然じゃないか」

「でしたら、一体どんな心配が?無理して庇ってもらっているのではなく、きちんとこちらが正しいと思ってくれている味方がいる。しかも公爵様や侯爵様まで話を付けて、私を信じて動いてくださっている。……全部、フィルミーノ様と出会えたおかげです」


 そう言って笑いかけると、フィルミーノ様は「私と」とだけ呟いて、ぽかんとした。

 

 どう考えても、あの喫茶店でフィルミーノ様と出会えたからこそ、ヤケっぱちではない丁寧で抜かりのない計画を進められているのだ。


「上位貴族だろうが何だろうが、馬鹿なことをすれば裁かれるってことを知らしめてやりましょう?偉ぶって調子に乗っている人達に、『気を付けなければこうなる』と思わせてやればいいんです」

「それは、そうだろうけれど……」

「私を蔑ろにしていた人達なんて、数え切れないほどいますから。今となっては哀れにさえ思いますよ。フィルミーノ様がそれを糾弾すれば、全員の顔が青を通り越して蒼白になるでしょうからね!」

「クッ……!」


 全員の顔が青白くなるところを想像したのだろうか。フィルミーノ様は堪え切れず吹き出して、肩を震わせた。


「全く、君って子は……。あまり危ないことはしないでくれよ?」

「決して私が望んでいるわけではありませんよ!?」

「でも、ちょっとおいしいとか思っていない?今日のことだって、相手を糾弾するいい材料だと考えているでしょう」

「うっ……」


 じとっとした目を向けられ、私は反射的に視線を泳がせた。

 

 ――勿論、おいしいと思っていた。

 

 あれだけの取り巻きや野次馬もいる中で、しっかりと愚行を披露してくれたのだ。大きい顔した馬鹿な女がいたと、存分に語れる格好の材料ではないか。

 

 胸ポケットに入れているノート――通称『処すノート』に、また事細かに書き付けてやるつもりだ。

 

 なお、表面にはこちらの言語ではなく、漢字で『処す』と書いてある。絵画を描くための筆をわざわざ用意させて、荒々しく迫力のある、一種の芸術作品のような仕上がりになっていた。

 

 恐らく誰にも読めないし、完全に自己満足だが、絶対やってやるという感じがして私は気に入っている。

 

 ――痛々しさこの上ないけれど。


「もう。僕がきちんと見ていないと不安だな」

「ちょっと、人を珍獣みたいに言わないでくださいます?」


 伸ばされた手に、私は自然と手を添えた。

 

 そうして保健室からエスコートされ、馬車乗り場まで談笑しながら向かっていく。その光景を、多くの生徒が目撃していた。

 

 翌週、私はまた別の意味で、学園中から注目を浴びることになるのだが――


 今の私は、その未来をまだ知らない。



 

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