14,敵が不在の一週間
風呂から上がり、私は私室で寛いでいた。
椅子に腰かけ、エッダに髪を拭いてもらいながら、今日の話し合いをゆっくりと思い返す。
――ランディーニ侯爵は、実に真率で謹厳な方だった。
私の話を聞いた後、申し訳なさそうに「忙しさを理由に、妻の言葉を鵜呑みにしていた自分にも間違いなく落ち度がある」と言って頭を下げられた。
そして私がレイーラのこれまでのことを一つずつ伝えると、侯爵は先程までの疲労はどこに行ってしまったのかと思うほどに嚇怒され、落ち着いてもらうのに苦労した。しかし、レイーラがどれほど苦しめられてきたか、存分に伝えられただろう。
(貴女の恨みは、少しは晴れたかしら)
私は鏡に映る、今となっては自分のようで未だそうではないような、その容姿を眺める。
レイーラになってから、もう二週間ほどが経った。
もう“レイーラ”として生きているのは間違いないのに、中身が私であることには変わりなくて――。どうしても、自分の輪郭が少しずれているような違和感が残っている。
それでも、曲がったことが嫌いで、そのせいで怒りっぽかった私だからこそ、あの時ビジョンに映っていたレイーラを悲しませたセズデスに仕返してやりたいと思ったのだ。
(貴女はそんなことを望むような子じゃないでしょうけれど。だって許せないじゃない!それに、貴女のためだけじゃないわよ?他にも被害者が沢山いるんだから。……でも、私が貴女の中に入ってしまっているから、どんな表情で言葉を発しているのか客観視出来ないけれど……間違いなく人が変わったようでしょうね)
私は項垂れながら溜息を吐いた。話し合いが終わってから、イラリオには「一体どうしてしまったんだ!?」と泣き付かれたのだ。
晩餐ではそれをイラリオがペラペラと話すものだから、ビーチェやベニートも信じられないといった顔でこちらを見てくるし、控えていた使用人達もザワついていた。
やり過ぎたかもしれない――と、今更になって後悔したが、もう後の祭りである。
にこやかに「これまでずっと我慢していたんです」と笑みを向けてみたら、家族も使用人達も凍り付いていた。
(レイーラの見た目をしていても、私の人間性が滲み出てしまうのね……。笑顔を向けただけで、人を凍り付かせてしまうなんて)
伏せていた顔を持ち上げて、映るそれを見る。どう見てもレイーラではあるのだが、むすっとしたその顔はどう考えても彼女がしそうな表情ではない。
その間、エッダはずっと空気に徹していたが、鏡に向かって百面相をする私は、ただただ気味が悪かったに違いない。……こういうところも気を付けないとね。
次の週、セズデスは学園に来なかった。
話し合いで聞いた通り、現在セズデスは侯爵によって軟禁されている。
土曜日、私が侯爵家を立ち去った後。帰宅したセズデスに「婚約者に執務を任せ、何をしていた?」と侯爵が問い詰めたらしい。
帰宅早々、あれほど威圧感のある侯爵直々に出迎えられ、令息らしからぬ甘い香りを漂わせて帰ってきて、セズデスが上手く言い逃れ出来るはずもなく。
どうやら適当な言い訳を捻り出したそうだが、侯爵は
「そんな些末な要件に時間を割き、まだ嫁いでもいない令嬢一人に執務を任せて家を空けるなど許し難い!」
と雷を落としたそうだ。そのままセズデスは自身の書斎に閉じ込められているという。
寝る時は書斎に隣接している仮眠室を利用させられ、食事も全て書斎に運ばれてくる。唯一部屋から出られるのは入浴時のみらしく、私室に戻ることさえ許されない生活を強いられているらしい。
(それでも仮眠室があって、きちんと食事や入浴も出来ているんだから十分よ。クズデスには耐え難いでしょうけれど。ざまぁみなさい)
セズデスの側には侯爵付きの騎士を一人置いて、常に見張らせていると聞いている。絶対に逃げられないはずだ。
(反省しろって侯爵が課題を出したそうだけれど……。今のクズデスにこなせるとは思えないし。ボロが出るのも時間の問題ね)
ここ数年、ほとんどの執務をレイーラに押し付けていたのだ。セズデスは今の領地や領民の状況などあまり分かっていないだろうし、直近でどのような書類が回ってきていたかも把握していないだろう。
きっと一人で頭を抱えているに違いない。
セズデスがそんなフラストレーションの溜まる軟禁生活をさせられている理由は、彼を隔離している間に私室を調査してもらうためだ。
侯爵が直々に伯爵家まで訪ねて来てくれたので、私は手紙の隠し場所に加えて、手帳や封筒の在処を伝えた。そして、その他にも何か出てこないか調べてもらうことになったのだ。
「こちらが裏切る懸念もあるだろうから、私のことも監視してもらえるか」
「……お心遣い、ありがとうございます。では、私の家の騎士を一人、側に置かせてください」
侯爵から自分も見張るようにと頼まれたフィルミーノ様は、アルジェント公爵に相談し、騎士を一人借りたらしい。
セズデスの監視に侯爵様の騎士を一人付けたため、その空いた枠にアルジェント公爵家の騎士をしれっと混ぜて、一緒に行動させているそうだ。
(私が小一時間家探ししただけで、あれだけの物証が出てきたんだもの。侯爵の頭が沸き立つくらいの証拠がゴロゴロと出てきそう……。周りの騎士達が宥めてくれると信じるしかないわよね)
侯爵が怒りのあまり暴走しないように願うしかなかった。
そんなセズデス不在の一週間。私にとって学園生活が静かなものになる――ことはなかった。
ランチや放課後に、セズデスと逢い引きする予定だった令嬢達が、こぞってこちらを睨んでくるわ、時折突っかかってくるわで、平穏とは程遠い日々だった。
極め付けは週の終わり、とある令嬢から「どうしてセズデス様は来ないのよ!婚約者なら知っているでしょう!」と掴みかかられた。
取り巻きや野次馬も多く、私は瞬く間に注目の的になる。
レイーラらしくオドオドしながら「わ、私は何も知らないんです……!」と答えたが、その反応が気に入らなかったのか、「使えないわね!」と吐き捨てられ、令嬢に肩をぶつけられた。
そこで私は――ぷつんとキレた。
(はぁ〜〜?ヤンキーみたいな真似をするくせに、自分の方がレイーラよりも淑女らしいと思ってるんでしょうね!ほんっと笑えるわ!!)
これまでの我慢が水の泡に消えそうなほど、顔に怒りが滲む。私は、令嬢の肩を掴まんと振り返ろうとして――
「今のは、一体何ですか?」
と、背後から聞こえてきたフィルミーノ様の爽やかな声に、歪んでいた怒りの表情がすこんと抜け落ちた。
周りの令嬢達が一斉に黄色い声を上げる中、フィルミーノ様はそれらを無視して私に近寄り「大丈夫?」と心配そうに声をかけてくる。
――校内で接触してくるなんて、聞いていませんよ?
令嬢へと振り返ろうとしていた体を、慌ててぎゅるんと戻し、口には出さず「どうしてここに!?」と伺うような目をフィルミーノ様へと投げる。
しかし彼は、そんな私に手を伸ばし、「痛むだろう、保健室に行こうか」と話を進めてくる。いや、話を聞いてくださいませんか!?
令嬢達はまずいと思ったらしく、フィルミーノ様に擦り寄ると「たまたま当たってしまっただけで……!」と必死で弁明し始めた。
けれど彼は、白けた表情で一通り聞き流すと、
「何を言おうが関係ありません。全部見ていましたし、全部聞こえていましたからね」
と、有無を言わさぬアルカイックスマイルを浮かべ、私をエスコートして保健室の方へと歩き出した。
チラリと振り返ると、令嬢は膝から崩れ落ちて嘆いていた。周囲の野次馬達は早々に噂を広めるべく、蜘蛛の子を散らしたように走っていく。
翌週からの学園生活がどうなるかなんて、見当も付かない。
私は……考えることをそっと放棄した。
レイーラの一言
「もう知らない……。なるようにしかならないわよね……」




