#33.旗印を掲げて
ティアマトの遺した水色の石を拾い上げる。
青い石を拾ったあの日の群青のように鮮やかな、優しい水色の光が世界を覆った。
リコの赤と僕の青、それからティアマトの光が眩むほどの虹彩を描き、空も大地も彼方までその色に染め上げる。
隔絶された空間の中でフリージアが笑った。
「最後の英雄ロイ・オックスフォード。貴方はまた一つ……世界を越えましたね」
緑の髪が草原の青のようにパタパタと風に揺れる。
「ティアマトさんはなぜ僕に託したのでしょうか? 僕には何も無いというのに……」
フリージアは伏せるよう胸に手を当てて、その問いに答えた。
「マスターと私は原罪の中でも古株です。跡を継ぐ英雄達が何度も私達を越えていきました。
幾度の英雄達と時にいがみ合い、時に手を取り、長い年月、私達は最後の英雄を待ち望んでいたのです。
そう、ロイ・オックスフォード……アナタがこの牢獄のような気の遠くなる悠久で一縷の蜘蛛の糸だったんです」
彼女の言葉はそよ風のようにたゆたい流れる。
「祝福され概念となり、朽ちてなお、死することも出来ず……人々が諍いを生む度にティアマトは苦しみ、嘆き、自壊していく自制心を必死に繋ぎ止めてきたのです。
慈しむべきこの世界を彼女は愛していました、その身を厭わず無償の愛を我が子に与える母のように……」
「偉大な英雄だったんですね、あの人は」
「ククルカンを止めてください、最後の原罪! 狂った彼を救済することが出来るのはアナタだけなのです!! 私のマスターが最後に望んだのは、愛した男を人に戻すことなのですっ!!」
「絶対にやり遂げてみせます!」
僕の言葉を聞いた彼女は安心するように目を閉じ、言葉を紡いだ。
「私のマスターはティアマト様だけです。彼女の優しい手に縋って、彼女の笑う顔だけを守ってきた……まだ、守っていたかった。
彼女の願いを叶えるまで私も共に戦います!! マスター、ロイ!!」
フリージアがそう言って左手で胸を叩くと、僕の懐にある精霊王の指輪がいっそう強く光を放ち、彼女の薬指にはまる指輪も緑色に輝いて震える。
精霊王の指輪と水色の石が崩れ、輝きは僕の指輪に収束していくと、星降るように煌めく美しい虹彩たちが一つの指輪に宿った。
「契約成立です、マスター!! マスターを守る絶対防御の盾となり、我が身全てをアナタに捧げますっ!」
フリージアが収束する水色に緑の明かりを灯してそう言った。
世界が元に戻り、僕の体にティアマトの力と想いが宿ったことを感じる。確かめるように左手を握り、精霊たちを見渡した。
「僕がこの人達を守らなきゃな……」
強い意志の力が魔石の力に変わっていく。
感慨深く浸っていると、クリスティーナさんが僕に声を掛けた。
「ロイ様、宣誓を……民が貴方の言葉を待っています……」
「結局、試しを受けてないけど良いんですか?」
「この眼差しの意味を考えてください。すでに認めていない者などおりませんよ」
「分かりました」
僕は吸い込めるだけの息を吸い込んで叫んだ。
「俺が英雄っ! この世界の猟犬だ!!」
彼らは力強い瞳で僕の言葉にうなづくと、鳴り止まぬ拍手と喝采が広場を埋めつくした。
その激しい祝福を荒々しく猛ける暴風雨のような気配が押し潰す。
ーーこの気配を僕達は知っている。
群衆の中から躍り出た桃色の影は僕達を見渡して静かに嗤った。
「ひっさしぶりぃ〜! 雑草さん! 怖くておしっこちびってない? だいじょーぶ?」
「相変わらず可愛げないガキんちょだな、ダフネ」
彼女は嘲るようにカタカタと体を揺らす。
「そのガキんちょにボコボコにされて、情けなくピーピー泣いてたのは誰だったかなぁー? ねえ?」
「ああ、そうだよ! 今だってお前が怖いよ!!」
「ふ〜ん? じゃ、どっか行ってなよ?」
「逃げる訳にいくかよ!」
あの日のダフネを遥かに上回る圧力に撫ぜられ、冷や汗が止まらない。
だけど、今度は負ける訳にはいかない。
僕は乾いた喉を潤すように唾を飲み込んだ。
「なーんかさー、つまんないねー」
ダフネは気怠そうに辺りを見回して、そう言った。
「なにがだよ?」
彼女が何を言わんとしてるのか分かった僕はイラつくように彼女の言葉に返事する。
「弱小種族がコソコソ集まってなーにしてんのかと思ったら、汚ったないツラを見合わせて気持ちの悪い慰め合いしちゃってさ〜。
弱い者同士で気持ち良くなってんじゃないわよ、虫唾が走るわ。
ティアマトもバカじゃないの? こんなヤツらの為に力を使って、挙句アンタみたいな虫けらに力を受け渡して……はい、さようなら〜! なんてふざけんじゃないわよって話だよね〜」
「お前……っ! なに言ってるのか分かってんのか!」
「分かってたら、なに? 弱いアンタ達が悪いのよ?
キャンキャン泣いてばっかでなにも出来ないクセして、いっちょ前に吠えないでくんない?」
「もう黙れよ、お前!!」
僕はアグニールで斬りかかることを考えるより先に拳を振り上げていた。ダフネは涼しい顔であくびをしながら僕の横っ面を叩こうと右手を振り抜く。
「成長ないんじゃないの、雑草さん〜。またぶっ飛ばして、ア・ゲ・ル☆……キャハッ!!」
彼女の拳が眼前に迫って、僕の眼にダフネの極悪な瞳が写った。
「……なめるなぁああ!!!」
僕は淡い火を左眼に宿して体を捻り、ボディブローを打ち込んだ。
「ケ、ハッ……っ!?」
ダフネの表情は驚嘆の色を見せて、その小さな体は大きく吹き飛ぶ。
彼女がたたらを踏みながら立ち上がり、震えるように肩を竦ませた。
「な、なんで!? この短期間で目覚めたっていうの?」
「幼女を殴るのは気分悪いが、お前は人をバカにしすぎたな!! 謝るまで容赦しないぞ、ダフネっ!」
ダフネは悔しそうに歯ぎしりすると、鋭く僕を睨み返した。彼女が怒り狂って飛びかかってくる。
「ちょーしにのんないでよね! マスターから離れてて力を発揮できないだけだし!!」
「調子に乗ったのはお前だ! ダフネッ!」
「くっ……ふざけんなよ、弱小種ぅ〜!!」
「人の痛みを思い知れぇ! クソガキぃい!!」
僕は首を捻って彼女の拳を躱し、右拳を横っ面に叩き付ける。弾けるよう、ダフネは錐揉みしながら地面に伏した。
「くそ、くそっ、くっそぉおおおおお!!」
彼女は浅くなった息を肩で抑えると、癇癪を起こして地団駄を踏んだ。
「……痛くない、痛くない、いたくないっ!!」
少女は口びる噛みながら僕を射抜くような目つきで睨め付ける。
「負けられないのよ、アンタ達みたいな劣等種なんかにぃ!! マスターを裏切って、助けてもらった恩を仇で返すように石をぶつけるクズ共なんかに!
マスターの為にも負けらんないのよっ!!」
「ダフネ……」
「私は殺すわ、マスターの為だったらなんだってする!! 形振りなんか構ってられないのよ!」
「お前、泣いてるのか?」
「泣いてなんかないっ! あの女に勝てないことくらい私が一番分かってんのよ!
それでも!! 頭を撫でてくれる優しかったマスターを! 私は最後まで裏切らないッッ!!」
彼女は大きく息を吸って空を仰いだ。
獣のような黄色い瞳が僕を見下すよう睥睨する。
「気持ちわりぃんだよ、お前……。
いい子ぶってさぁ、あの女の火で私を見下すんじゃねぇーよ……ぶち殺す、お前は絶対にぶち殺す!!」
「圧力が変わった……?」
「どいつもこいつも気持ちわりぃ……仲良しこよしで傷の舐め合いしやがって、笑ってんじゃねーよ。
腹ん中じゃ、汚ぇもん抱えてさ……ブタみたいにぶくぶく太った肥溜め臭い正義感ふりまわしてんなよ、うぜぇんだよ!!」
「そうやってキレて拗ねれば誰かが慰めてくれると思ってるのか?」
「お前みたいなド正論ヤローが一番ムカつくんだよぉお!! ロイ・オックスフォード!!」
ダフネの荒々しく隙だらけだった戦い方が、鋭利で静かな……命を刈り取るような戦い方に変わる。
「私を怒らせたんだ、簡単に死ねると思うなよ?
お前をぶちのめして、ここにいるヤツ全員を目の前でプチプチ潰してやんよぉ!
無様にボロボロ泣き叫べよな、青くせぇガキんちょが!!」
「ガキはお前だろ! いい歳こいて癇癪してんじゃねーよっ!!!」
「黙れよ……虫けらがパタパタさえずるんじゃねぇ……踏み潰されてさっさと死ねよ!」
ダフネの拳が僕の腹にめり込むと、すかさずに飛んできた彼女の蹴りで横っ面が弾け飛ぶ。
僕は切った口びるから滴る鉄臭い血を温いツバと一緒に吐き捨てて、彼女の頬にゲンコツを捩じ込んだ。
「うっとしいんだよ! ヘラヘラ笑いやがって!! 薄気味わりぃーんだよ、お前さぁ!!」
「いつまで駄々こねてんだよ、このロリババア!」
「お前らみんなぶっ殺すまでだよ!!!!」
「僕がいい子ぶってるっていうなら、アンタは尖ったフリしてカッコつけてるだけだろーが!!」
「しつけぇ……んだよ…………くそったれ……。
ド正論でさ……偉そうに……説教……しやがっ……て…………」
ダフネはボロボロの体を引きずりながらも、その目は絶えず僕を睨んでいる。
群衆は静まり返り、僕達の痛々しい殴り合いの音だけが反響した。
「とっくに分かってんだろ、ダフネ。
お前じゃもう、僕には勝てない」
「う……るせ……ぇ……、負け……るか……よ……ッ!!」
ぜぇぜぇと荒い息が広場に響き、彼女は折れそうなヒザを震わせて歩く。
「死ぬまで謝んねぇからな? 謝ってたまるかよ!」
薄ぼんやりと開いた目は意志の強さを僕の胸に刻み付け、敗北より重たい虚無感が僕の手を止めた。
「……あ? どうした? もう終わりかよ、根性ねぇな……お前……。
もういいよ……さっさと切れよ……。
お前の勝ちだよ……雑草ヤロー……ほら、満足か? ……なぁ?」
「お前はどうしてそこまで……」
「何度も言わせんじゃねーよ、マスターの面を汚す訳にはいかねぇーんだよ……。こちとら安いもん背負っちゃねぇーんだよ……」
「クソッ……なんでだよ……っ!?」
「惚れた男が泣いたんだよ!! だったらオトシマエ付けんのが私達の仕事だろーがよぉぉ!!!!」
彼女がその小さな背中を伸ばして吠えた。
数刻前まであった正義と信念は、押せば倒れるような少女を前に音を立てて崩れゆく。
握ろうとしたクラウスは形を作れずに、ゆらゆらと僕の手の中で揺らめいた。
「だっせぇな、お前……みっともねぇツラしやがって…………なにがしてぇんだよ、ホントよぉ……」
「ぼ、僕は世界を救いたい……みんなを守りたい…………」
「だったらブルってんじゃねーよ!! そんな情けないヤツに負けたくなんかねぇよ! 最後くらいカッコつけさせろよ!!」
「くそ、くそぉぉおおおお!!!!」
「守りたいもんがあんなら死んでも信念を曲げんじゃねぇぞ!! スジは通せよな、英雄さんよぉ!!」
「うあああああああああああああ!!!!!!」
僕はヤケクソになり、何とか形になったクラウスの切っ先を払いながら悲鳴を上げる。
ダフネは、ほんの一瞬だけ安らかな顔で笑う。
言葉にならない叫びをのせて、総てを断ち切る神剣が震えた。
ハジメマシテ な コンニチハ!!
高原 律月です。
竜の魔女33話になります。
ダフネ再戦をずっとやりたかったんです……やっとここまで来ましたよぉー_:(´ω`」 ∠):_ ...
クソガキのままにしとこうかと思ったのですが、キャラに対する思い入れが割と反映されちゃうタイプなのでキャラの深掘りしてたら姉御気質なダフネさんになってしまいました。
設定が作ってあると、つい掘り下げてしまいますね(´>∀<`)ゝ
それと幼女をボッコボコにするロイさん、マジ鬼畜……物語の関係上仕方ないのです:(っ'ヮ'c):
それでは、また次回〜 ノシ




