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酔いどれ勇者は人でなしの保護者ではない  作者: 中島とととき


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第9話 取引


 瀟洒なレースがかけられた丸テーブルを囲むように三脚の椅子が置かれていた。うちの一つに座る壮年の女性こそが


「三年ぶりですね、勇者様」

「ご無沙汰しております、……リズベットさん」


 由緒ある商人一族の当代にしてハルガラ再興の第一人者、リズベット・ガルドーその人である。

 聡明を温和で隠したような女性だった。齢も四十近いというのに、活力に満ちた瞳とまっすぐに伸びた背筋が彼女を若々しく見せていた。

 今は早朝だったはずだがリズベットは既に上品なアフタヌーンドレスを纏っている。俺達の他にも来客があるのかもしれない。あるいは迎えた後か。

 朝日でキラリと髪留めが光った。あれ一つで俺の人生をまるごと買い上げることができるのだろう。俺は三年前の自分を思い出しながら一層姿勢を正した。


「急な訪問を受け入れていただき、本当にありがとうございます。お変わりないようで安心しました」

「貴方は随分変わりましたね。顔色も悪いし、少しばかり痩せたかしら。体調でも崩してらっしゃるの?」

「健康ですよ、この上なく。貴方にお会いできたのだからなおのこと」

「お上手ね。……それで、そちらの方は?」


 リズベットの視線が同行者に向いた。


「彼はアドヴェンといいます。縁があり共に旅をしております。……挨拶してください、アドヴェン」


 促すと、アドヴェンは「アドヴェンです。おはようございます」とだけ言って深くお辞儀をした。初めましての挨拶としては危ういラインな気もするが、……無理やり及第点とした。リズベットほどの立場ともなれば今更変な奴の一人や二人で揺らぐまい。そも勇者だって十分イロモノだ。


「お会いできて嬉しいわ、アドヴェン。私はリズベット・ガルドー。ご存じかもしれないけれど、この町で商いをしているの」


 さぁお座りになって、と彼女は空いている椅子を示した。動かした時も座った時も軋みのない、柔らかな椅子であった。


「余計な前置きはいらないわ。取引をしに来たんでしょう。……何がお望みなのかしら」


 表情にも口調にも大きな変化はないというのに、取引という単語が出た途端に空気が固くなった気がした。頭の中を見定められている気分だった。


「アルルテートに行きたいのです。リズベットさんのご尽力でハルガラからの海路が開かれたと伺っております。船を取り計らっていただけないでしょうか」

「そう。船、船ね」


 朝飯前だとでも言うように、彼女はほんの少しだけ笑みを深くした。


「客室なら四日後。貨物室なら明日の正午には用意できるわ」

「では貨物室で」

「貴方ならそう言うと思った。船旅はだいだい二日間の予定よ。寝台は手配できないけれど、食事くらいは用意させましょう」

「ご配慮痛み入ります。ありがとうございます」

「そんなに深く頭を下げないで。私は恩返しをしているだけよ。あの時貴方に助けられていなかったら、今の私はいないもの」


 頭を上げると、視界の端でアドヴェンが動くのが見えた。彼もまた頭を下げていたようだ。誰から教わったことだろうか、コイツの貴重な社交性を目にする度に少しだけ安心を抱く自分がいる。


「たったの二日でついてしまうなんて、楽な時代になったでしょう」

「陸路では馬でも十日はかかりましたね。この発展はリズベットさんの功績と聞いております」

「いいえ、三年前に貴方が頑張ってくれたおかげよ、勇者様。……そんな貴方を見込んで、ちょっとだけお願いがあるの」


 お願い。字面よりずっと重い響きに感じられた。これは交換条件だ。船に乗りたいのであれば、リズベットの願いを叶えなければいけない。


 元より俺に拒否権は無い。俺は勇者だ。勇者としてこの場に来た。勇者とは他者の願いを、頼みを、希望を叶える者だという。

 そうでなければ、勇者ではない。


「何でも言ってください。俺にできることであれば、尽力します」


 テーブルの下で手を組んだ。震えていないかどうか確認する必要があった。

 三年前の自分は確かに勇者だった。俺はもう、あの時の自分に戻ることができない。


■ □ ■


 ハルガラ北東に広がる森の安全確認。それがリズベットの願いであった。

 北東には深い深い森林が広がっている。未だ誰の手も入っていないその森を開拓したいらしい。


「ハルガラはもっともっと発展するわ。大きくしなければならないの。行き場のない人々だって受け入れられるように」


 リズベットはそのようなことを言っていた。商機がある、を勇者おれ向けに言い換えたらこんな言葉になる。俺の強迫観念を正当化する美しい言葉だ。


「無事に船に乗れそうで良かった。ハイドは本当にすごいな」


 俺達以外に人影がないふ頭に、びゅうと強く潮風が吹いた。日も昇りきっていないせいで少し肌寒いが、俺の手元には酒があるので全く気にならなかった。アドヴェンは知らない。コイツに熱い寒いの感覚はあるのか?


「顔が痛い。表情筋を使いすぎた」

「ずっと笑っていたからだろう。ハイドがあんな風に笑えるなんて思わなかった。絵本の中の王子様、だったか。俺は絵本も王子様も知らないが、ああいう感じなんだな」

「それ、二度と言うなよ。ありえないほど誇張されている」


 そうなのか、とアドヴェンはふ頭の端から投げ出した足を揺らした。素直で大変よろしい。


「それにしても、ハイドが勇者だったとは。一目見てみたいと思っていたんだ」

「ふーん。……本当に?」

「何かすごいものの話をされたときはこのように言うものだと教わった」


ああそう。どうやら村人達に英才教育を施されてきたようだな。


「で、実際に見てみた感想は?」

「感想……?」


 頭を捻りながら言葉を探すアドヴェンを見つつ酒を飲んだ。感想なんて出ないだろう。抱いている理想と実物を比較した際のギャップを感想とするなら、コイツにはそもそも比較対象がないんだから。

 なかなか言葉が出てこない様子をもっと見ていたいと思った。だが悠長にしていられる時間はそう多くはなかった。


 出発は明日正午。それまでに俺は安全確認とやらを済ませなければならない。


「手が震えなくなったら出発する。お前はなにもしなくていいから」

「…………」

「……まだ考えてる? いいよもう。感想なんて」


 アドヴェンは小さく唸って、やがて観念した風に俺に顔を向けた。


「そもそも、勇者ってなんだ?」


 やっぱりこの男はこうでなくてはならない。

 教えてくれないかと続いた彼の言葉にわざとらしく溜息を返しながら、彼の隣へと腰を下ろした。酔いが回っている感覚はないが、切り石の上についた手はもう震えていなかった。


 だが、もう少しくらいは時間をとってもいいだろう。酒が残っているし、なにより、教えてくれと乞われてしまったからには。


「勇者はただの人間だよ。生まれつき少し身体能力が高くて、他人の役に立てることが嬉しかった、どこにでもいる普通の人間だった」



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