第8話 自己証明
「ハイド、この場所はなんだ?」
翌朝。早朝。俺達は立派な門扉の前にいた。
やたらと背の高いアドヴェンからさらに頭三つ分も高い鉄柵。その向こうに広がる良く手入れのされた庭園。ここから直接見えてはいないが、奥に石造りの大きな屋敷があることを俺は知っている。
俺の粗末な家が二十軒は入るだろう敷地面積を誇るこの場所は、
「豪商ガルドー氏の邸宅だよ」
「ここに人が住んでいるのか! 余りにも広いものだから、てっきり牧場かなにかかと」
一周回って失礼だなコイツ。
「それで、ここへは何をしに?」
「船の手配」
「なるほど」とだけ頷いて、アドヴェンはまた鉄柵の向こう側に視線を向けた。普通の人間ならいくらか疑問を抱くところだろうが、コイツにはたぶんそれを思えるだけの経験がないんだ。
あれこれ言われないのは楽だ。それと同じだけ心配でもある。アドヴェンがこれからもずっと人間として生きていくつもりがあるのなら。
「あまり変なことはしないでくれよ」
「わかっているさ」
主門の脇には歩行者のために用意された小さなドアがある。備え付けられたノッカーを叩くと、早朝というのにすぐさまドアが開かれ使用人が顔を出した。
「おはようございます。恐れ入りますが、どちら様でいらっしゃいますか? 商談のお約束などされているでしょうか」
「約束はしてません。けど、今すぐガルドー氏にお会いしたいです」
「お受けできかねます。お引き取りくださいませ」
隣に立っているアドヴェンが俺を見た。どうするんだとでも言いたげな視線だったが、それ以外のことはせず俺の言いつけをきちんと守っている。
ふと夜の沢での出来事を思い出した。村も騎士らも助けたいと願うアドヴェンの姿だ。この男は人間ではないが、少なくとも他人を助けたいと思える心は持っている。そのために俺に命を差し出し、俺の言う事を聞いている。
報われるべきだと思う。だから俺が彼の願いを叶えるのだ。
俺は首にかかっている細いチェーンを引いた。アドヴェンの核と共に胸元に隠していた、金色の首飾り。この国の意匠を象ったペンダントトップに真っ赤な宝石が嵌め込まれたコレは、この世界に二つとない代物だ。
故に証明になりうる。俺が俺である、確固とした証明だ。
「ガルドー氏にお伝えください。勇者が会いたがっている、と」
□ ■ □
使用人の対応は迅速だった。ほんの数分後には庭園を通され、俺達は立派な玄関扉の前にいた。ガルドー商会の紋が刻まれた重厚な開き扉だ。
使用人によって開かれた扉の先では絵画や彫刻などの芸術品が出迎えてくれている。着古した旅服を身に纏った俺達には明らかに場違いな空間だった。もっとも、これに臆する感性を俺もアドヴェンも持っていなかったようだが。
「中でガルドー様がお待ちです」
案内されたのは屋敷の中でもとりわけ豪奢な扉の前であった。俺の記憶が確かなら、この部屋は防音のために二重扉になっている。商談の為に誂えられた部屋である。
仕事を終えた使用人は、一礼の後直ぐにこの場を去っていった。人払いの指示でも受けているのかもしれない。聞かれて困るような話をするつもりはないが、配慮して貰える程度には信頼されているようだ。
「……今からガルドー氏にお会いするわけだけど、その前にお前に話がある」
「余計なことをしない、言わない。もちろん分かっているとも」
「それもだけど、もう一つ」
アドヴェンは頷いた。その目が真っ直ぐに俺を見ていることを確認してから、口を開いた。
「勇者ってのは、俺なんだ」
「そうか」
「これから勇者としてガルドー氏に会う」
「うん」
「自分に言い聞かせてないと、手が震える。こうやってわざわざお前に話しているのも、同じ理由だ」
手のひらを差し出してみせると、アドヴェンは「本当だ」と笑った。
「酒のせいか?」
「そうだよ。実は起きたときからずっと頭も痛いんだ」
「酒を飲むのをやめればいいのに」
「……それはできない」
そう返すと、アドヴェンはまた「そうか」とだけ言って微笑んだ。
アドヴェンは《《勇者》》に何も聞かない。言わない。干渉しない。否定しない。
想像はついていた。今確信に変わった。アドヴェンには勇者なる人間と他の人間の区別がないのだ。勇者を知らないから。分からないから。
だから驚きもしない。態度も変えない。過度な期待を寄せることもしないし、……失望もしない。
「今からちゃんと勇者になるけど、……笑ったりするなよ。似合ってない自覚はあるんだ」
「もちろん、笑ったりなんかしないさ」
俺の願いを叶えてくれるためだろう。
そう続いた柔らかなアドヴェンの言葉に、俺は頷きだけを返した。アドヴェンの優しさは無関心に酷くよく似ている。
コイツはずっとそうだった。それらしい表情を真似しているだけで、その実対して関心はない。
だからお前は分からないだろうな。その態度がどれだけ俺を救ったのかなんて。
俺は装飾のついたドアハンドルに手をかけた。震えはもう止まっていた。




