第7話 港町ハルガラ
ハルガラは活気のある港町《《だった》》。
俺の産まれる前の話だ。魔王が生じ、世界に魔物が溢れてからは港町ではいられなくなった。
海で生じた魔物を討伐するのは困難だ。船の上での戦闘は人間側が余りに不利すぎる。いつしか漁業は廃れていき、船の往来も無くなり、ハルガラは寂れた町となった。……これが俺の知っているハルガラの姿だ。
「ハルガラはすごいな! 夜だというのに、こんなにも明るい」
「……なんか、やけに人が多いな」
馬車に揺られた末に辿り着いたハルガラは、賑やかであった。
宿屋や食事処が並ぶ歓楽街。どこからか漂う芳しい匂いと歌声。魔法の灯篭で照らされたレンガ地の道を、人々は楽しげに行き交っている。
観光の者も多いのか、物珍しそうに辺りを見回すアドヴェンはあっという間にハルガラの空気に馴染んだ。酔いが醒め初めて気分が悪くなりつつある俺も、たぶん別方向で馴染んでいる。
「海路が再び開かれてから、ハルガラはすっかり観光地です。王都から遊びにくる方も多いですよ。おかげで私も仕事に困らない」
大きな荷を抱えた商人が言った。彼の抱えた木箱の中身は酒瓶で、歩くリズムに合わせてカチャカチャと忙しなく鳴っていた。この辺りの酒場に卸すものらしい。
俺とアドヴェンもそれぞれ荷物を持っている。ボディーガードと荷運びがハルガラまでの運賃だ。
「この町がここまで栄えたのはガルドー商会の手腕です。平和が訪れてから、誰よりも早く海路を開いて観光地としてのハルガラを築いた」
「何処もかしこも良い匂いがしている。名物は魚か? 俺も食べてみたいな」
アドヴェンの視線の先には食事処の看板が立っており、様々な海鮮料理の名前が並んでいた。この調子では市場も一層賑やかになっていることだろう。
観光地ハルガラ。人々を惹きつけるこの町の魅力の中に、かつての港町が息づいていた。
「ガルドー商会は随分うまくやったんだな」
「ハルガラの者たちは、海に出られなくなった間も船や魚の知識を大事に残していました。それをガルドー氏が表に出した」
商人は目を細めた。通りの全てを懐かしむように、愛でるように。
「楽しんでください、ハルガラを。……覚えていてください、ハルガラはけして死んじゃいなかったのだと」
□ ■ □
荷運びを済ませ商人と別れた俺達は、その足で宿場へと向かった。観光地というだけあって宿場には事欠かないが、如何せん値が張る。身の丈に合った宿に出会うには、歓楽街から遠く離れる必要があった。
「宿に泊まるのは初めてだ」
「宿というか、そもそも村の外に出るのが初めてだろ、お前」
少なくとも記憶の上では。
「確かにそうだ」と笑うアドヴェンの隣で俺は溜息を吐いた。本当に得体の知れない男だ。本人曰く、村付近の森を彷徨っていたところを拾われたそうだが。魔物のくせに人間の姿をしていることも、人間を襲う衝動がない理由も、自分が何者なのかもわからないときた。
そんなアドヴェンがルデウカ区域に行きたがるのは何故か。
俺は知らない。聞いてもいない。深入りする気はさらさらない。望まれてしまったことを叶える以上のことはしたくない。
「……何度でも釘を刺しておくけど。お前、少しでも変な真似をしたら」
「核を壊す、だな。もちろんわかっているさ! ハイドは心配性だ」
心配になるに決まってる。お前みたいな存在を連れ歩く責任は全部俺が負っているんだぞ。
「お前、自分が魔物の自覚があるのか?」
「うーん、実はあまりないんだ。今は早く宿を見てみたいと思っているし、明日は海鮮料理を食べてみたいと思っている」
ああそうかよ。呑気な言葉に毒気を抜かれた俺は、胸元に隠しているアドヴェンの核から手を放した。いざとなればいつでも、という気持ちがあるからこそこの男と共に行動できるのだ。
喋りたがりのアドヴェンの相手を適当にこなしながら俺は夜のハルガラを歩いた。時間と立地によってすっかり人通りがなくなった辺りで、ようやく俺達は今夜の宿を見つけることができた。宿屋というには些か生活感の強い佇まいだったが、価格を考えれば上等だ。
「こんばんは。お二人?」
恰幅の良い女主人が如何にもやる気なさそうに言った。その目はアドヴェンに向いていた。
「ああ、二人だ!」
「部屋はどうする?」
「部屋? どうする、とは?」
「……あんた、泊まりに来たんじゃないのかい」
女主人の目が訝し気に細まった。ちょっとコイツに受け答えさせただけでこれかよ。
「部屋は二つ。とりあえず一泊させてほしい」
「あいよ。二階を使いな」
割って入った俺の目の前にがちゃりと二つの鍵が投げ出され、女主人はそれきり仕事を終えたとばかりに裏へ引っ込んだ。とんだ田舎者だと思われた程度で済んだだろうか。
「部屋の数を聞かれていたのか。次からはそう答えよう」
「……今度から俺が対応するから、お前は答えなくていい」
「そうか。ハイドがやってくれるなら安心だ。彼女が最初からハイドに尋ねてくれればよかったんだが」
彼女はどうして俺ばかりを見ていたんだろうか? とアドヴェンは首を傾げた。俺はさぁな、とだけ素気無く返した。
顔の良い誠実そうな男と、酒の臭いがする顔色の悪い男。アドヴェンの問いへの回答は自明である。自明であるが、わざわざ教えてやる必要はないだろう。
帳場机に置かれた二つの鍵を手に取った。カタカタと金属音が鳴った。酔いはすっかり醒めたようだ。




