第6話 勇者なる男
「いやぁ、貴方がたを乗せた甲斐がありました。まさかあれほどお強いとは!」
そんな調子の良いことを言って商人は笑った。力強く歩みを進める馬も小気味良いリズムで軋む荷車も、どこか気分が良さそうに感じられた。
ちなみに俺も機嫌が良い。事態を無事に収めた礼にと、商人から酒を一本貰ったからである。アドヴェンの分と合わせたら二本だ。景気の良いことである。
「すごかったなぁ、ハイド! 空瓶一本であっという間に三人も! だが、俺に任せてくれても良かったんだぞ。ハイドには恩があるから」
「お前、約束覚えてるか? 人間のふりを徹底しろって言ったよな」
声量を落としながらも強く釘を差すと、アドヴェンは困った風に視線を逸らした。彼の手元にはまるで万力で押しつぶしたみたいにひしゃげた鉄鍋があった。
これが人間の振る舞いのはずがないだろ。それに、いくら相手が盗賊とはいえ、人間をこんなふうにさせるわけにはいかないんだよ。
「それ、今度人前でやったら核を壊すからな」
「分かった。次はきっと大丈夫だ。次の盗賊は俺に任せてくれ」
「盗賊なんてそうポンポンと出ねぇよ……」
「いやぁね、最近はそうでもないんですよ」
割って入ってきた商人は苦々しげであった。
「魔物を倒して生計を立ててた奴らがいよいよもって食い扶持に困ってきたようで。この辺りはああいう手合いがごろごろしてますよ。まさか白昼堂々襲われるとは思っちゃいませんでしたが」
折角平和になったのに皮肉なもんで、と商人は続けて、
「まだ魔物を相手にしていたほうがマシでしたよ。アイツらは人間ほど賢しくないし、なにより人類には勇者様がいましたからねぇ」
「勇者?」
隣に座るアドヴェンが顔を上げた。瞳の中には隠しきれない好奇心がきらめいていた。
「勇者とはなんだ?」
「勇者様を知らないんで? 三年前に魔王を討伐したお方ですよ。三歳の子供でも知ってることでしょうが」
「あー、こいつ、記憶喪失なんだ」
便利な言葉だ。本当かどうかは知らないが。
アドヴェンが余計なことを言う前に助け舟を出すと、商人は「そいつは気の毒に」と興味のなさそうに言った。
「勇者様は滅法強いお方で、魔物害に困っている人々を救ってまわっていたそうです。平和になってからはとんとお噂を聞きませんが」
「そうなのか! とてもすごい人間だったんだな。俺も一目見てみたい」
「私も直接会ったことはないんですがね。聞いたところだと、……ああ、丁度連れ合いの方の見た目が近い」
ちらりと商人が俺に視線をやった。アドヴェンも俺を見た。
黒髪に青い目。背格好には取り立てて特徴はないが、
「常に笑顔で穏やかで、まるで絵本の中の王子様みたいなお方だそうですよ」
似ているのは見た目だけですね、と商人はなかなか失礼なことを言って笑った。よく言われる、と返して俺はもう一口酒を飲んだ。
勇者は酒なんて飲まないし、二日酔いになんてならないし、手が震えたり呂律がまわらなくなったりなんてしない。勇者は迷わない。勇者は間違えない。
「なんでもかの大商人ガルドー氏も勇者様に助けられたのだとか。いやはや羨ましい話だ。私もおこぼれに与りたいもんで」
「……どうかな。案外その辺で野垂れ死んでるかもよ」
俺の軽口に商人は一瞬愛想笑いを浮かべて、すぐに前へと向き直った。
この一連の会話の間、アドヴェンはずっと俺だけを見ていた。何を考えてるんだか分からない笑顔が、俺はずっと気にいらないでいる。
□ ■ □
「それで、ルデウカ区域はまだだろうか」
アドヴェンの迂闊に俺は蹴りを飛ばした。
太陽がうっすらと傾き始め、アドヴェンの好奇心もようやっと静かになったかと胸を撫で下ろした、その矢先の発言であった。
「普通の人間はルデウカなんて行きたがらないんだよ。濁せ」
「その、分かった。ではルデ、いや、……俺達は今何をしているのだろうか」
濁しすぎて記憶喪失みたいになってるな。
「ハルガラって町に向かってるところだよ。ハルガラから船に乗ってアルルテートへ、そこからは陸路で王都フィデルカを目指す」
そして王都からルデウカ区域に向かう。最後の工程は口にしなかったが、意図はきちんとアドヴェンに伝わったようだ。ハルガラからアルルテート、王都フィデルカ、それから。アドヴェンは丁寧に道程を繰り返し口にした。
にしても、俺はそこそこ強く蹴飛ばしたはずだが、この男は痛がる素振り一つ見せやしない。一体どういう魔法を使ってるんだ?
「ハルガラにはいつ着くんだ?」
「俺じゃなくて御者に聞いてくれよ」
それもそうか、とアドヴェンは馬を牽く商人に声をかけた。素直でやかましい男だ。
「日の暮れる前には着く見込みですよ。ハルガラには何用で?」
「船に乗るんだ。アルルテートに行く」
アドヴェンは俺から聞いたばかりのことをそのまま商人に伝えた。商人は怪訝そうに眉を歪めた。
「船、ですか? それはまた大変なことをなさる」
「大変なのか? 乗るだけだろう?」
「一般人は乗船券を手に入れるだけでも難しいです。金はかかるし、手に入れられたとしても乗船に十日は待たされるでしょうな」
ハルガラ・アルルテート間の海路は近年開拓されたルートである。以前この海域は危険な魔物の生息地であった。魔王が死に、大半の魔物が死に絶えてようやく安全に航海できるようになったのだ。
船舶の発展はごく最近。人々の要求に満足に応えられる数の船はなく、船員も足りていない。結果として船賃は非常に高騰しており、現在船旅を楽しめるのはお貴族様や豪商といった金も地位もコネもある人間のみである。
庶民が乗ろうとしたら大変な苦労を伴うだろう。想像しただけで溜息が溢れた。
「どうしよう、ハイド。待つのは構わないが、俺は金を持っていない」
「知ってるよ」
俺達、着の身着のまま、ほとんど逃げるように村を飛び出したもんな。
アドヴェンは死んだことになっている。元気に歩いている死人を、村に滞在していた騎士らに見られるわけにはいかなかったんだ。
「ハイドは金を持っているのか?」
「酒の分しかない」
「じゃあ船に乗るのは難しいんじゃないか」
「……一応考えがあるから。今はそういうもんだと思っとけ」
「分かった」
異常なほど聞き分けがいいアドヴェンはそれきり不安げな表情をやめて、
「船に乗るのは初めてだ」
「そううまくいきますかねぇ」
楽しそうなアドヴェンと心配そうな商人。双方の呟きを聞きながら俺は酒瓶を手に取った。これが最後の一口である。
名残惜しいが丁度いい。そろそろ酒を抜かなければと思っていたところだ。気は進まないが、願われてしまったし望まれてしまった。
「やれることはやるよ。頼まれたからな」
見えてきましたよ、と商人が言った。その肩越しに小さな町明かりが見えていた。
港町ハルガラ。三年前からどれほど変わっているだろうか。




