第10話 百薬の長
魔王と同時に生まれた子だと言われていた。故に勇者だともてはやされた。
本当かどうかは知らない。知っている人間がいるとも思えない。たぶん誰かが俺に箔をつけたくて適当に吹聴して回ったのだ。真実かどうかなんて誰も、当人ですら気にしちゃいなかった。
俺は恵まれて生まれたのだと思う。自分の力で他人を助けることができて、みんなに感謝されて、それで十分幸せだったからだ。
魔王のいる時代を生きてきた。そこら中に魔物が溢れていた時代だった。周囲の人はみんないつだって必死で、王国騎士団は全く人手が足りていなくて、散々だった。だから俺が魔物を退治するのは当たり前のことだった。
村を守って。物資を運ぶのを手伝って。魔王を倒して。人々はいろいろなことを俺に期待し、願い、望んだ。俺にはそれを叶える力があって、何より彼らに応えたかった。
■ □ ■
「……で、勇者は頑張って魔王を倒して世界に平和をもたらしましたとさ。おしまい」
「おお。素晴らしい話じゃないか! 勇者、いやハイドはとてもすごいんだな!」
アドヴェンは俺の話を終始真剣に聞いていた。ごく一般的に知られている勇者の話を恐ろしく端的に改造したものだったが、それで十分満足してくれたようだった。
酒を飲み飲み話していたので手元の瓶はすっかり軽くなっている。アドヴェンの褒め言葉を適当に流せる程度には、俺の気分も良くなってきた。そろそろ安全確認とやらに出る頃合いだろう。
「ところで、どうしてハイドは勇者であることを隠しているんだ?」
アドヴェンの声が上げつつあった腰を引き留めた。彼の目は俺の胸元を見ている。旅服の下にあるペンダントを見ているのだと分かった。
「村の人達も知らなかったし、ここまで運んでくれた商人だって、勇者だと名乗れば喜んでくれたんじゃないか?」
「……酒ばっかり飲んでる勇者なんて嫌だろ。イメージを守らないとな」
だから誰にも言うなよ、と強く強く念を押した。コイツが言いつけを破るようなやつではないと知っているが、そうしないではいられなかった。
本当はもう勇者なんてやめたいんだ。みんなが勇者を忘れ去るまで閉じこもっていたかったんだ。それをコイツが抉じ開けた。
「酒をやめたらいいんじゃないか」
「やめるわけないだろ。覚えとけ、酒に勝る薬はないんだ」
「そういうものか」
「そういうもんだ」
酒は薬。覚えたとばかりに小さく口に出すアドヴェンを見ながら酒を干した。嘘を教えたつもりはない。コレよりよく効く麻酔を知らないからな。
■ □ ■
「安全確認って何をするんだ?」
「現地に行く。出てきた魔物を全部殺す。以上だ」
今更な質問だった。俺達は既にリズベットの指定した森の中に分け入っていた。
リズベットは安全確認と言っていたが、俺は確認だけで済ませられるような性格ではない。これはリズベットも知っていることだ。
アルルテート行きの船に乗りたければ北東の森周辺の魔物を掃討しろ。……というのは俺による要約だが、リズベットの提示した条件は概ねこのようなものであった。
太陽はおよそ真上にある。最速で船に乗るためには明日の正午までにリズベットに吉報を届けなければいけない。
「さっきから酒瓶を打ち鳴らしているのは何故だ?」
「誘き寄せているんだよ、魔物を。こうやって喧しい音を立てていると、」
不意に前方の周囲の枝葉が弾け飛んだ。黒い塊がアドヴェン目掛けて一直線にすっ飛んでいくのが見えた。
買ったばかりの直剣を振り抜く。鈍い音が鳴り、次いで太い枝がへし折れる音が続いた。打ち返した黒い塊が大樹の幹に衝突した音であった。
「こんな風に魔物が飛び出てくる。それを殺す」
「なるほど」
「魔物が出てこなくなるまでこれを続ける。……魔物退治の手法の一つだ」
「へぇ。知らなかった」
「覚えなくていいよ。主流じゃないし」
倒れて動かない魔物に近づき直剣の先端を突き刺すと、べきりとガラスが割れるような音が聞こえた。核が割れた音……魔物が完全に絶命した音である。
「あまり効率的じゃないような気がするが、この作業にどれくらいかけるつもりなんだ」
「思いの外魔物が多いし、五、六時間くらいじゃないか」
「俺にも手伝わせてくれ。ハイドばかりにやらせるのは流石に申し訳ない。二手に分かれるのはどうだ?」
「却下。お前は見てるだけでいいから」
「だが、」
「お前が魔物だって誰かにバレたら、俺はお前も殺さなきゃいけなくなるんだよ。……嫌だろ」
「……嫌だな」
アドヴェンは分かりやすくしょぼくれた表情を作った。この辺りに他の人間の目があるとは思えないが、だからと言って容認することは俺にはできなかった。
そうでないと、人型の魔物なる奇妙な存在を連れ歩く自分を許せなくなる。
「魔物退治は全部俺がやる。お前は何一つ手を出さなくていいから」
分かった、とアドヴェンは素直に頷いた。いつもの返事にいつもの笑顔だ。なんとなく元気が無さそうに感じるのはたぶん錯覚で、気にする必要はない、はずだ。
……音を立てる役くらいは任せてもいいかもな。
■ □ ■
カーンと高い音が響いた。アドヴェンが空瓶同士を叩き合わせた音であった。
耳を澄ませて周囲の様子を窺うが、魔物が動く気配はない。ここらの魔物を殺しきることができたのかもしれない。空は夜の入り、丁度想定通りの作業時間だ。
「……何も出てこないな。このあたりで終わりにしようか」
「安全確認を? もういいのか?」
「そうだよ。いない魔物を探し続けてもしょうがないだろ」
「でも、まだいるから」
薄暗闇の中でアドヴェンが言った。表情が見えなくなった途端に、コイツの感情の一切が読み取れなくなった。よく変わる表情とは裏腹にアドヴェンの声は常に一定だ。だから、言っていることがよくわからない。
「いる?」
「この森にはまだ魔物がいるぞ。もう帰っていいのか?」
「なぁ、お前、もしかして魔物の居場所がわかるのか」
「わかるぞ」
もっと早く言えよと咎めるべきだったのかもしれない。だが俺の口から出たのは全く別の言葉だった。
「この森には、まだ魔物が残っているんだな」
アドヴェンは頷いた。向こうに、と指し示された先にはただ暗がりが広がるばかりだ。目を凝らし耳を澄ませても俺には何も捉えられない。それでも、アドヴェンがいると言うのであれば本当に魔物がいるのだと思った。コイツは俺の前では嘘を言ったことがないのだ。
人間には知覚できないものを感じ取っているのか、はたまた純粋に五感が人並外れて優れているのか。アドヴェン自身が魔物であるが故になせる業なのだろう。
まだ魔物が残っている。知ってしまった。もう退けない。
刀身の汚れた直剣をもう一度握りなおした。それだけで頭痛が気にならなくなった。俺は俺の役割を果たさなくてはいけない。それが誰かの、人類のためになるのであれば。
「案内してくれ。全部殺そう」
「任せてくれ!」
まだ元気そうなアドヴェンの背を追い暗がりの中に踏み込んだ。空はとうに夜であった。




