第11話 勇者をやめさせる最適な方法
足元に触れた肉塊を蹴飛ばした。アドヴェンに持たせたカンテラが浮かび上がらせたのは、丸々太ったネズミのような魔物の姿だった。あまり見ない種だ。腹の中心部に核があるのだと、俺はこの時初めて知った。
「耳も目も退化してる。どうやって生きてるんだ、コイツら」
「瘴気を感じ取っているんだろうなぁ」
当たり前みたいに言うが、当然そんな感覚器は人間には存在しない。あぁだからアドヴェンには魔物の居場所がわかるのかと納得しながら、ネズミモドキの腹に直剣を突き刺した。十二匹目だ。これでこの巣の魔物は全員殺すことができた。
「まだ残ってるか」
「いるぞ。あっちの方だ」
何時間も森を彷徨っているというのにアドヴェンは疲れ一つ見せていない。言いつけに従って魔物退治に一切手を出していないことを差し引いても異常な体力だ。一方の俺は肩を上下させながら、必死に息を整えている。
そんな様子の俺を気遣っているのか、アドヴェンは歩き出すことなく、じっと俺を見下ろしていた。明かりを下ろしているせいで、表情はわからない。
「早く案内してくれよ。明日の乗船に間に合わなくなる」
「……もういいんじゃないか?」
弾かれたようにアドヴェンを見た。急に動かしたせいでずきりと強く頭が痛んだ。
「いいわけないだろ。まだ魔物が残っているのに」
「だがこのままでは夕食も食べられないぞ。一日二食きっちり食べろと教わっているし、食事はハイドだって必要だろう」
「たまに食事を抜くのも人間らしさだよ。ほら、早く、次にいこう。行きたいんだろ、ルデウカに」
アドヴェンは口元に手を当てて悩む素振りを見せたが、最終的に彼の口から出たのは肯定であった。
数十分かけて魔物を探し出し、殺す。また次の魔物を探し出すために歩き始める。こんなことを二回ほど済ませた時、再びアドヴェンの動きが止まった。
「……もうやめよう、ハイド。酷く疲れているんじゃないか」
正確な指摘だった。強がりも言えない程度には疲れていた。昼頃から食事も取らずに森の中を歩き回っていれば誰だってこうもなる。……人間なら。
直剣の柄に体重を預けると切っ先が柔らかい地面に沈んだ。安物の直剣は既にあちこちが刃毀れしていた。
「駄目だ。まだ魔物が残っているんなら、やめない。……残っているんだろ」
「残っ、……言いたくない」
嘘の吐けない男だ。もう帰りたいのなら、残ってないと言えばいいだけなのに。
「案内してくれ」
「したくない。これ以上ハイドが傷つくのは嫌だ。ハイドは恩人なんだ」
恩人。今までも何度かそのように言われたことはあったが、人ならぬアドヴェンの口から出たと思うと、別の単語みたいに感じられた。
他人から感謝されるのは嬉しい。相手がアドヴェンであっても例外ではない。
でも俺はお前の恩人じゃない。俺はまだ、お前の願いを叶えていない。
「ハルガラに戻ろう。休息を取ってからまた来ればいい」
「それじゃあ明日の船に間に合わない。ルデウカに行きたいって言ったのは、お前だろ」
「言ったが、すぐに乗らないといけないわけじゃない。四日後には客船が出るんだろう? 俺は別にそれ以降だって、」
「駄目だ」
自分でも驚くほどに硬い声が出た。
「お前が望んだ。お前が俺に望んだんだ。妥協なんてしない。……妥協なんて、できない」
それが勇者。それこそが勇者。人々が俺に望んだ姿。正しい在り方。
急に明かりが近づいて、地面ばかりを見ていた顔を上げた。アドヴェンの顔が、すぐそこにあった。
そこに表情はなかった。このような時にすべき表情を、たぶんこの男は知らない。
「一体何が貴方をそうさせているんだ」
答えたくなかった。自分の荒い呼吸音だけが聞こえていた。アドヴェンの瞳の中に映り込む自分の顔は酷く苦しげに見えた。
剣の柄を握る手が震えている。自分自身から逃げ出す方法を、俺はたった一つしか知らない。そしてそれはここにはない。
「……早く終わらせて帰ろう。案内してくれ」
「もう弱い魔物しか残っていない。この森は十分安全になった。……それでも続けるのか?」
「続ける。俺達にとって弱い魔物でも、普通の人間にとっては別だ」
そうか、とアドヴェンは俺からカンテラを離した。端正な顔の半分が橙色の明かりに照らされている。そこには穏やかな笑顔があったが、いつもよりずっと空虚に見えた。
「俺は見知らぬ他人よりもハイドの方が大事だ」
「……それがどうした」
「ハイドは俺の願いを叶えてくれようとしている。だから良い人だ。俺を住まわせてくれた村の人達も、王都まで連れて行ってくれようとした騎士団の人達も」
「なにが言いたい」
「みんな恩人なんだ、俺にとって。だから俺も力になりたいと思える。……ハイドの言う“普通の人間”とやらは、ハイドに何を与えてくれるんだ?」
何も与えられずとも、やるしかないんだ。
俺は恵まれて生まれてきた。誰かを助けられるだけの力を持っていたからだ。
彼らの期待に応えるのが好きだった。人々を笑顔にできることが誇らしかった。俺が行動することを人々から期待されていると、心の底から思うことができた。
今は違う。俺は恐れている。俺が行動しないことで人々から失望されてしまうんじゃないかって、そう、心の底から。
自分をすり減らしてでも他人を助けることは美徳だろうか。俺はもうそうと思えない。でもやめられないんだ。まともなままの思考回路じゃ自分自身を止められない。頭を鈍らせていないといけない、のに。
自分の呼吸音がやたらと耳障りなのは、聞こえてくる音がこれしかないからなのだろう。最後に飲んだのは昼前で、今はもう酒気の欠片すら残っちゃいない。
「……まぁ、答えたくないことを無理に聞きだすつもりはないが」
カンテラの明かりが揺れた。殊勝げなことを言ったアドヴェンはほんの少しだけ考え込む素振りを見せて、
「そうだ! 良いことを思いついたぞ!」
「いきなり大きな声を出さないでくれよ。頭痛が酷くなりそうだ」
「ハイドはこの森の魔物を全部殺したい。俺はハイドに辛い思いをさせたくない。どちらも叶える、とても良い方法がある!」
「……どうせろくでもない考えだろうが、」
聞いてやるよと続けるつもりだったが、それは叶わなかった。
頭部に強い衝撃を受けてぐわんと視界が大きく揺れる。空の酒瓶を握りしめたアドヴェンの笑顔も揺れる。
「ここから先は俺が一人でやればいいんだ!」
ふざけるなお前は手を出すな、とか。何も殴る必要はないだろうが、とか。言いたい文句は山のように頭の中に浮かんだが、結局俺はどれ一つとして声に出すこともできないまま、なすすべもなく昏倒し




