第31話 彼の手を取る
「……ハイド?」
「さて、これでお前の命は今この辺りにあるはずだが」
腰元に差していた短剣の刃で胃の付近を示す。核の正確な場所は分からなくなってしまったが、うまく当たるまで試行回数を増やせばいいだけの話だ。
「旅を続けよう、アドヴェン。ここから先は案内できないが、代わりに一緒に迷ってやるよ」
長く長く伸びた影の首が揺れる。真っ赤な光に照らされた顔には焦燥が滲んでいた。こういう時にする表情なんて教わるはずもないのに、随分上手にやるもんだ。
いざ、と腹に刃を押し込む寸前、アドヴェンが制止の声を上げた。
「待ってくれハイド。どうしてハイドがそんなことをするんだ? そのまま続けたら、俺だけでなくハイドも死んでしまうじゃないか」
困惑や懇願ではなく純粋な疑問が出てくるというのは実にこの男らしい。慣れてしまったし、嫌いじゃないな。
「そうだよ。お前も死ぬし、俺も死ぬ。これで万事解決だ」
「……困るな。俺はハイドを助けたいのに、そのハイドが死んでしまっては意味がない」
「かもな」と素っ気なく返すと、アドヴェンが俺に差し向けている剣の柄が戸惑うように揺れた。その剣を手に取る理由も無くなってしまったわけだ。
だって俺はもう、勇者をやめられる。
「なぁアドヴェン。俺は十分救われているんだって、気づいてないだろ」
「……分からないなぁ。だって世界は何一つとして変わっていない。ここはハイドにとって辛い世界なんじゃないのか?」
そうかもしれない。平和になったはずの世界で人々はこれからも争い、奪い、いがみ合う。
確かに辛いな。全員を幸せには出来ないってことも、誰かを不幸にしているかもしれないってことも。
でも、無理矢理変える必要はないな。
「アドヴェンがいるから辛くないんだ。だってお前は俺を肯定してくれる。……それで十分、救われている」
「……ハイド」
「俺に死んでほしくないなら、魔王なんてつまらないものになるなよ」
行き先を決めないで旅に出たっていいし、適当な場所に引きこもってもいい。互いに体だけは頑丈なんだから、どうやったって生きていけるさ。だから
「一緒に生きよう、アドヴェン」
短剣を落として空いた手のひらを差し出した。アドヴェンは少しの間俺と手のひら、それから握り締めている剣を交互に眺め、
「それがハイドの願いなら、叶えないとなぁ」
呆れたように笑いながら、勇者の剣をその場に落としたのだった。
そして彼の手が、俺の手に重なる。
□ ■ □
「それで、これからどう生きるんだ?」
ぎぃぎぃとボロい舟が唸る。浜辺で見つけた誰かの小舟は、アドヴェンが遠慮なく漕ぐ櫂の勢いに今にも負けてしまいそうだった。
月の煌めく波の上。ルデウカの孤島は既にずっと背後にある。
「またどこかに引きこもって酒でも飲むのか?」
「お前と一緒に引きこもるのは御免だ」
「じゃあどうする?」
「ちょっと待て。今考えてるから」
やや離れたところで大きな水柱がたった。月明かりに浮かんだ影は魚にも鳥にも大樹にも見えた。要するにまともな生き物ではないってことだ。
丁度手元に合った剣を振りかぶり、投擲。もう一度大きな水柱がたって、波に変わり、舟を激しく揺らした。
「……今のは騎士団に回収を頼まれていた剣じゃないか?」
「無くなってましたって言って謝ろう。俺はもう勇者なんてやらないんだから、剣もいらない」
「そうか! それならいいか」
意外にも波に耐えきった舟はどんどん岸へと進んでいく。帰るまでが旅だとはよく言ったものだが、帰るところがない俺達はこれからも旅が続くのだろうか。
それでもいい。アドヴェンが隣にいるのなら。
「勢いで核を呑んでしまったけど、どうなるんだろうな。俺もお前も」
「実は、俺からも明確な位置が把握できなくなってしまって」
「……つまり?」
「ハイドの一部になっているなぁ」
あぁそう。溶かし殺してしまわないようで良かったよ。
「今のところは互いに不調はなさそうだな!」
「今後ともこれが続くといいな」
ぱしゃんとまた遠くで水が跳ねた。今度は普通の魚に見えた。海の上には境界線はないが、ルデウカ区域から出たのだと分かった。
「もう勇者をする気はないけどさ」
「うん」
「人助けをするのは好きなんだ」
これからもしたいと思ってる。そう話すと、アドヴェンは心配そうな表情を見せた。
「また辛い思いをするんじゃないか?」
「誰彼構わず願いを聞いてきたのが悪かったんだ。これからはしっかり話を聞いて、助けるかどうかを自分で決めたい」
「そうか」
「そこで、だ。……何でも屋でも、やってみようかと思ってる」
「ハイドがそうしたいというなら、応援するぞ!」
相変わらず他人事のように言いやがる。今回ばかりは、他人事にさせるわけにはいかないな。
「アドヴェン。お前もやるんだぞ」
「ああ、力仕事なら任せてくれ!」
「違う。いや、力仕事も手伝ってもらうけど。アドヴェンには客の相手を任せたいんだ。俺が直接客と話すと、全部請け負ってしまいそうだから」
確かになぁ、とアドヴェンは笑った。その拍子に一方の櫂が折れ、辺りに木片が飛んでいく。岸はもうすぐそこだから、一本の櫂でもなんとかなるだろう。
「酒を飲んで客の相手をすればいいんじゃないか?」
「そんな店員がいるわけないだろ。いたとして、そんなやつに依頼したいと思うか?」
「その、俺が客を相手にすることをハイドは不安に思わないのか?」
……それもまぁ、なんとかなるだろう。多分。
丁度岸に乗り上げたのをいいことに回答を誤魔化しつつ、舟を降りた。
ここから先は徒歩の道だ。俺に続いて舟を降りたアドヴェンが、カンテラの灯りを高く掲げた。
ここから先の道には憂いも不安もない。平原は広く、ただ広く続いている。




