第29話 貴方のためなら
岩礁ばかりの岸に降り立ち行く先を見た。添える程度の植生と、後は荒れ果てた灰の大地が続く。無味乾燥、とはこのような景色を指す言葉だろう。幾ばくの雲が浮かぶ空すらも色が失せて見えた。
「ここがルデウカかぁ。すごいな。何も無い!」
やはり変わらぬアドヴェンの声に辟易のポーズをとりながら、しかし俺もまた感慨のような、あるいは郷愁じみた思いを抱いていた。
禁足地ルデウカ。あの時と何も変わらない、生命の棲まぬ土地。
「お前、何も無くてもすごいって言うんだな」
「ああ、ハイドがいつものハイドに戻った。人前のハイドはずっと敬語で、俺相手にも敬語でいられるのは、なんというか」
「……気まずい?」
「たぶん、そんな気分だ」
アドヴェンにもそういう機微があるのだと思うと少し面白い。俺はあのようにあった時期の方が長いから、アドヴェンに敬語を使うことにもさして抵抗はないのだが。
ルデウカの孤島に着いて早々にノリーは王都へと引き返していった。うっすらと表れ始めた霧の中を進む舟の影は今や豆粒のように小さい。もう容易には戻ることができない。
行こうか、とアドヴェンが言った。彼はもう岩礁地帯を越えて乾いた地面に踏み入っていた。
「ええと、剣を探すんだったか。あてはあるのか?」
「ある。ついてきてくれ」
舟を借りる際に王国騎士団に提示されたもう一つの条件。かつて魔王討伐に使用した剣を、回収すること。
「どんな剣なんだ?」
「見た目は普通の直剣だよ。王国騎士団お手製の、強力な魔法がいくつもかかってるやつだ」
「つまりとても貴重な剣か! どうして置いてきてしまったんだ?」
「折れたから」
俺の足はまっすぐに一方へと向いていた。剣があるとすれば、島の中心。魔王との戦闘が発生した場所だ。
「奥に行くほど魔物が出てくると思う。手伝ってもらっていいか。人目はもう無いようなものだろうし」
「ああ、いくらでも頼ってくれ!」
普段より一割増の笑顔を浮かべたアドヴェンを連れ、でこぼこと複雑に隆起した地を進む。道中不自然に大きいくぼみがあって、覗き込んだアドヴェンが「骨だ」と呟いた。
つられて俺も覗き込むと、そこには人間の骨があった。首があったであろう場所にはひしゃげた金属の首枷が落ちている。
「ノリーの話にあった死体漁りのものだろうか」
「……流人だ」
「るにん? ……ああ、流罪を受けた者のことか! ルデウカは流刑地なんだな」
俺達が乗ってきた舟で運んでいるのかな、とアドヴェンは無神経なことを口にした。失礼な奴だとは思わなかった。
恐らくアドヴェンの推測は合っている。舟がすぐに用意されたのも、失われないうちにとすぐに引き返していったのも、時折使用されていたからこそなのだろう。
「……三年前は、流刑地じゃなかった」
「へぇ。そうなのか」
「魔王がいなくなったら、この島ですら流刑地にされるんだな」
それきり会話は途切れた。俺達が流人とどう違うのか。足音だけが聞こえる中、俺はそんなことを考えていたが、うまい答えはでてこなかった。
頭上にあった日が傾くほどの時間、俺達は歩いた。しばしば現れる魔物の対処は、全てアドヴェン一人で事足りた。俺はただ記憶を頼りに歩いていくだけで、周囲が騒がしいことを除いてはほとんど散歩のようなものだった。
「魔物は自然が豊かな場所に瘴気が溜まることで生まれるって言っていたけど、じゃあどうしてルデウカは魔物が多いんだ?」
「この場所は特別なんだ」
双頭の蛇を純粋な膂力で引き裂きながらアドヴェンが答える。手作りのシチューの隠し味を説明するに似た平凡さを纏っている。
「先代魔王の発生地だからだろうなぁ。源がここにあるせいで留めなくとも瘴気が多い。だから魔物が多い」
簡単な相槌を打って、それで会話が終わった。普段はおしゃべりなアドヴェンも、魔物を相手にしている間はそちらに集中するらしい。そういうわけで、することのない俺は十分に自分の思考に沈み込むことができた。ずっと逃げ続けていたことに、向き合う必要があった。
そんな時間を半刻ほど過ごした頃、退廃した荒野の中にぽつりと人工物が現れた。
長い年月をかけて風化し崩れ落ちた、大きな石造りの建物、だったもの。誰がどのような目的で造ったものなのか、今となっては見当がつかない。苔むした古い切石が、乾いた岩ばかりが転がるルデウカの地で唯一色づくものだった。
どういう理屈かあの場所だけは魔物が生じない。たった一つの例外を除いて。
「なぁハイド、もしかしてアレが」
「うん」
覚えている。俺はあの場所で魔王を殺した。盗まれてさえいなければ、勇者の剣はあの場所にある。
これで騎士団の願いは叶えることができるだろう。そうしたら、俺が叶えるべき願いは、あと一つだけだ。
「アドヴェン」
「なんだ?」
顔面についた黒い血液を拭いながらアドヴェンが振り向いた。私利私欲という言葉の対極にあるような、疚しさのない笑顔と共に。
「お前はどうしてルデウカに来たかったんだ」
歩みは止めなかった。いつの間にか俺達以外の動くものはいなくなっていて、割れた石造りに踏み入る音がやたらと大きく感じられた。「そうだなぁ」とアドヴェンが言う。のんびりとした、穏やかな声色だ。
「怒られそうで、言いにくいんだが」
「言えよ」
「うーん、まぁ、もう着いてしまったしなぁ」
ざりざりと革靴が荒れ果てた石の上を擦る。何のためのなのか、ダンスホールのように広い床石はあちこちがひび割れ植物が顔を覗かせていた。辺りに散らばる瓦礫には角の丸いものと尖ったものが混在している。前者は風化が、後者は俺が三年前に作り出したものだろう。
足先が小石を蹴り上げた。転がった先に、ぽつんと一振りの剣が落ちていた。
「実は、理由なんてなかったんだ」
「…………は?」
足を止めてアドヴェンを見た。彼もまた俺を見ていた。
「強いて言うなら本能かな。俺が発生したのはルデウカではないけれど、ルデウカのことはまるで故郷みたいに感じる」
「……お前、ルデウカに行きたいってアレほど、俺に核を預けてでも願っていたのに。そこに理由がないだと?」
「やっぱり怒るよなぁ。理由はないけど、でも気持ちはあったんだ。命をかけてでもこの場所に来たかった」
「怒ってるんじゃない。呆れているんだ」
俺はわざとらしく眉間に皺を寄せた。そうでもしないと安堵している心の内を悟られてしまいそうで嫌だった。
あぁ、アドヴェンの願いは"悪い願い"なんかではなかったのだ。
一人静かに心臓を落ち着かせている俺の前で、アドヴェンは何気なく瓦礫の一つを手に取った。撫でる程度の動作に見えたが、彼の手が触れた部分はぼろぼろと剥がれるように崩れ落ちていった。
「きっと魔物はみんな、本質的にはこの場所で生まれているんだ。俺は帰りたかったんだ、生まれた場所に。ここまで来てようやくわかった」
アドヴェンは大きな体を折り畳むようにしてかがみ、足元に転がる剣を拾い上げた。
「ありがとう、ハイド。ハイドは俺の願いを叶えてくれた。今度は俺がハイドの願いを叶える番だ」
俺の、願い。
心当たりがなかった。アドヴェンと俺とはほんの一馬身ほどしか離れていないというのに、彼の博愛じみた笑顔がそこにあるというのに、頭の中だけが見えない。分からない。
だからこれは直感だ。良くないことが、起きている。
「ハイドのためなら、俺はきっとどんなことだってできる気がする。だから、」
アドヴェンは拾い上げた剣の柄を俺に――俺の胸元に、差し出した。
「今度は俺が、魔王になろうか」




