第28話 答える者、答えない者
「勇者様には可能な限り協力するように、と騎士団長より仰せつかっているのです」
王都フィデルカ近郊を流れるフィダル川。ゆったりと河口に向かう小舟の上で、そんなことをノリーが言った。アレやコレやと問いかけるアドヴェンの質問の一つへの回答であった。
いきなり現れて舟を貸せと強請るという、殆ど暴挙と言っていい振る舞いをしたわけだが、ノリーは――王国騎士団はあっさりとこれを許諾した。少し待てと城壁隅に立たされていたのはほんの数分。騎士団内部でどのような話し合いがされたのかはわからないが、二つ返事と言ってもいい速度だ。
ただし全く無償でというわけではない。舟を借りるに際していくつかの交換条件が課された。
それでもルデウカに行きたい理由すら問われず、さらに漕ぎ手としてノリーに同行してもらえるほど厚遇されたわけで。俺は今かつての自分の信用を食い潰しているような、そんな気分に陥っている。
「こんなにも良くして貰えるなんて、ハイドは本当にすごいことをしたんだなぁ」
「それはもう。獅子奮迅とはまさにこのことでしたよ。勇者様がいなかったらフィデルカは半分になっていたと思います。……それだけに、半端な協力しか出来ないことが心苦しいですが」
事前にお話したとおり、とノリーは目を伏せた。
行きの舟は出す。帰りの舟は無い。舟を借りる際に王国騎士団に提示された条件の一つだ。
「気にしないでください。魔王がいなくなったとはいえ、ルデウカには未だ魔物が多く生息しているでしょう。ノリーさんや貴重な舟をルデウカに留めておくのは危険だ。俺でもそう判断します」
「……お帰りは、どうなさるおつもりですか」
「どうにかします。三年前もそうでした」
「具体的にはどうしたんだ?」
「泳ぎました」
すごいなぁとアドヴェンは素直な感嘆を口にした。何も考えてなさそうな口ぶりだが、この方法で帰る場合はお前も泳ぐことになるんだからな。ルデウカの孤島は大陸の端から目視できる距離にあるが、それでもかなり辛い思いをした記憶がある。
舟の先端で櫂を漕ぐノリーは数秒ほど口を開けていたが、ハッと身じろぎし繕うように「流石です」と言った。過去の功績を褒められるのはむず痒い。
「勇者様のおかげで魔物はずっと少なくなった。このくらましの舟にどれほどの価値がありましょうか。……私も騎士の末席です。ルデウカに降り立ち、勇者様のご用事が終わるのを待つべきなのに」
「ノリーさんが立場を悪くする必要はありません。この舟の価値だってわかっているつもりです。このような強力な魔法具は騎士団の技術をもってしてもおいそれと作れるものではないでしょう」
「そうかもしれませんが」とノリーはなんとも煮え切らない声を出し、そのまま黙り込んだ。ぎぃぎぃと規則的に櫂が回る。温く吹く風には潮の匂いが乗っていた。海はもうすぐそこだ。
「……くらましの舟でなくとも、ルデウカへは行けるのです」
ぽつりとノリーが言った。苦々しい響きが随所に満ちていた。
「国は立ち入りを制限していますが、その実非合法にルデウカへ侵入を試みる輩は多い。彼らは魔法のかかっていないただの小舟を使います。辿り着けない舟もありましょうが、大半は無事に役目を果たせているようで」
「んん? ルデウカは危険な場所なんだろう? どうしてわざわざそんなことをするんだ?」
「彼らの目当ては過去の英雄らが残していった魔法具や貴重な魔物の死骸です。生命の尊厳を棄損し売り払う、下賤な者どもだ」
ノリーの声はどんどんと荒くなっていったが、自身でもそれに気が付いたのか、こほんと咳ばらいを挟んだ。
「失礼しました。お伝えしたいのは、魔法のかかっていないものであればルデウカの孤島を訪ねる舟はある、ということです。不敬な輩の粗末な舟も、勇者様のお力になれるのであれば本望でしょう。お帰りの際にお役立てください」
櫂が音を立てて水滴を散らす。舟は既に川の終わりに差し掛かっている。うっすらと靄がかった空の下、影のように佇む孤島は今となってはもはや懐かしさすら感じる。
波の音がやたらと耳について、俺は同行者が暫く黙っていることに気が付いた。いつものような感嘆の声はなく、瞬きすらも忘れて、アドヴェンはじっとルデウカの孤島を見つめていた。
「三年前はお一人でルデウカに臨まれたと聞いております」
明らかに俺に向けた言葉だったが、ノリーの目はアドヴェンを見ていた。
「勇者様はいつもお一人だった。ですが此度は違うようだ。勇者様が信頼できるお仲間を得られたことを、私は嬉しく思います」
仲間。アドヴェンは俺の仲間なのだろうか?
答えに窮した。ただ肯定すればいいだけだと頭ではわかっているのに、咄嗟に喉が動かなかった。俺とこの男の関係を仲間の一言で纏めてしまってもいいものかと、躊躇したのだ。
そうして切れた会話の端は、アドヴェンが接いだ。
「仲間ではないなぁ」
おや、と訝し気にノリーがアドヴェンと俺とを交互に見る。彼女の疑念に気づくことなく、アドヴェンはひたすらに温和な笑顔を浮かべていた。
「ハイドは俺の保護者になってくれたんだ」
違う。
「保護者、ですか」
「ああそうだ。ハイドがいなければ俺はここまで来られなかった。俺一人では何もできないんだ。全部ハイドのおかげだ」
「はは、そう謙遜なさらず」
孤島に向かう小さな舟の上。交わされる穏やかな会話に挟まれて、俺は何一つ言えずに彼らの声をただ聴いていた。
仲間ではない。保護者ではない。答えはでない。……今はいらない。
立ち始めた波に揺られながら一葉の舟は進んでいく。禁足地ルデウカ。長らく続いた奇妙な旅の終わる場所。
アドヴェンの願いを叶える時は近い。




