第26話 旅の終わりのその先
「昔はこんな俺じゃなかったんだ」
小刻みに震える手のひらを示すと、アドヴェンはいつものように「そうか」とだけ言った。期待通りの反応であった。
ヨッダ村、ひいてはダガイ山を抜けた先はずっとなだらかな草原が続いている。見通しが良く柔らかな草の上を歩いていく旅路は、想像よりもずっと負担が少ない。
王都フィデルカまではおおよそ三日程度の道程となる。少しの手間と時間をかけて旅の馬車を探す道もあったが、俺は徒歩で行くことを選んだ。馬を終日歩かせることは出来ないが、俺達は馬より少しだけ頑丈だ。その分だけ早くルデウカ区域に近づくことが出来る。
一定のリズムで陽光に輝く新緑を踏む。俺の横、一歩だけ後ろを歩くアドヴェンに見せていた手のひらを下ろした。
「あの頃は迷うことがなかった。悪いことは全て魔物のせいで、魔物を殺すことが皆の幸せに繋がっていた。魔王を倒せば平和になるって、心の底から信じてた」
うん、とアドヴェンは呑気な相槌を打った。魔物側の存在のくせに、気を悪くした風もなく。
「平和になって魔物がずっと数を減らしてからも、皆のためにできることをしようって思っていたんだ」
「ハイドは優しいなぁ」
さわさわとそよ風が草花を揺らした。空は快晴。暖かな春の日差しが遮られることなく頭上から降り注いでいる。
快いと思えないのは俺の心身に問題があるからだ。酷い頭痛。それから、ヨッダ村を出てから……いや、もっとずっと前から繰り返している自問自答。
「人間ってのは、目の前の危険が見えなくなったら、食料とか土地とか金とかそういったものが気になりだすらしい。誰かから奪いたいって思うくらいに」
「へぇ。知らなかった」
「知らなくていいよ。俺も知りたくなかった」
あの日自分が守ったものは一体なんだったのだろうか。
考えても考えても答えは出ない。いつしか考えることが嫌になって、でも頭から離れてくれなくて、酒で無理やり蓋をした。
「俺は人助けがしたかった。全ての人間の味方でいたかった。なのに平和になってからは『あの人間が敵だ』って、《《なんとか》》してくれって願われるんだ」
「ああ、なるほど。ヨッダ村のアルバスのような願いを、ハイドは既にいくつも聞いてきたわけだ。今までどんなことを願われてきたんだ?」
この話題を深堀りするのかよ。
同行者の正気を疑って俺は右斜め後ろに視線を向けた。アドヴェンは世間話に最適化された笑顔でもって「どうした?」と小首を傾げてみせた。これは勘だが、たぶんどこぞの優しい村民から金言でも賜っているのだろう。会話の際は質問をして相手の話題を広げるべし、みたいな。
「一番酷いのだと、……そうだな。川の水を引きたいから近くの集落の人間を全員殺してって願われたことがある」
「それはまた醜い願いだなぁ。どうしたんだ?」
「要は川の水が欲しいって願いだ。だから時間をかけて地形を変えた。本当に辛かった」
「それでも叶えた。ハイドはすごいな」
ねぎらいをどうも。二年と少し前の俺がちょっとだけ救われたよ。
「俺だってあまりに酷い願いだったら断れる。でも、ちょっとそれらしい大義名分にくるまれているだけで、なんだって叶えてやりたくなるんだ。……いつか自分でも気付かぬうちに悪いことに加担してしまうかもしれないって思うと、怖くなった」
「苦労をしてきたんだな」
恐ろしく他人事な相槌だった。歩み寄っている風の言葉を淡々と発しているせいだ。これまではずっとこの温厚篤実な風貌でごまかしてきたのだろうが、声だけでコイツとやりとりすると対して興味を持ってないことがよくわかる。一周回って気が楽になるよ、本当に。
「だからあの村で引きこもってたっていうのに。お前が俺を引きずり出したんだぞ、責任を取れ」
「もしかして、怒っているのか? 責任はどう取ればいい?」
「……冗談。別に何もしなくていいよ」
禁足地ルデウカ区域に行くこと。
元はアドヴェンの願いだった。今はもう、俺自身の願いのようなものだ。
優しさは報われるべきだとアドヴェンは言った。俺だって同じ気持ちだった。他人のために命をかけられるこの男の優しさだって、報われるべきなんだ。
アドヴェンをルデウカ区域に連れていく。それがこの奇妙な二人旅の終点だ。旅が終わったら俺はまたあの村に戻り、今までと同じように自分を隠して生きていくのだろう。
俺は旅の終わりを待ち望んでいる。そのはずなのに、旅の終わりのその先を、なぜか上手に思い描くことができない。




