第25話 理由
狼を形取った魔物を退け数分後、武器を手に取った男衆が砕けた広場へと駆けつけた。
先頭で彼等を率いているのはアルバスだ。お世辞にも魔物と戦える肉体とは言えないない彼だが、こうして臆さず前線に出てくる様子を見るに、ヨッダ村を守りたいという気持ちは紛れもなく本物らしい。
石畳を這うように燃え盛る火と、夥しい魔物の血液。それらの中に立ち尽くしていた俺に歩み寄ってきたアルバスは、やはり臆さずに血で汚れた俺の両手をとった。
「ああ、勇者様、巨大な魔物が現れたと聞きましたが、貴方様が討ち取ってくださったのですか」
「……はい、そうです。怪我人の救助をお願いします」
戦う準備が不要になった男達は武器を下ろして周辺の確認や消火に動いた。アルバスは動かず、俺の顔や手――切傷を見た。飛び散った石畳にやられた傷だ。
「勇者様もお怪我をされている。手当てしましょう」
「俺への手当ては不要です。傷が治りやすい質なので。他の方を優先してください」
「……そうですか」
ぐるりと広場を俯瞰したアルバスの目が、ある一点で止まった。崩れ落ち跡形も無くなった断頭台の、その横。……盗賊達が繋がれていた場所を。
そこには黒い血溜まりがあるばかりだ。彼等を繋ぎ止めていた杭も、鎖も、彼等自身すら存在しない。
「盗賊らは、どうなりましたか」
「……死にました。あの狼の魔物に、食い千切られて」
何も言わないアルバスの顔には沈痛が滲んでいた。死んでしまった彼等を憐れんでいるのか、見せしめがいなくなってしまったことを嘆いているのかは分からない。
一人の男がアルバスに駆け寄り、村人からは死者が出ていない旨を告げた。アルバスは沈んでいた表情を直ぐに安堵のそれに変えた。
「ああ、これほど損壊が出たというのに村人が皆無事なのは奇跡だ」
村人らは口々にそんなことを言う。アルバスはもう一度俺の手を取って、今度は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、勇者様。二度もヨッダ村を救ってくださった」
俺は笑顔で礼に応えた。うまく出来ていたと思う。彼に握られた手が震えていること、その一点を除いては。
□ ■ □
張り出した樹の根を踏み越え、目線を隠す枝葉を払い、進む。カンテラの灯りと共に一人分の影が揺れた。カタカタと絶えず音が鳴っていた。
改めて提案されたヨッダ村での宿泊を、今度は丁重に固辞した。とても休めるような気分ではなかった。戦闘で昂ぶった体が疲労も痛みも隠してくれているうちに、ひたすら前へと進んだ。
ダガイ山の裾野を沿いながら、北へ。目指すは禁足地ルデウカ。叶えなくてはならない。
もう三十分も歩けばダガイ山を出るだろう、そんな折に背後から俺の名を呼ぶ声が聞こえた。俺は振り返らなかった。
「思っていた以上にうまくいったなぁ」
料理の感想を言うかのような、穏やかで平坦な声だった。
「……そうだな」
「あの騒動の中では、逃げた盗賊らを追いかける余裕もないだろう」
「気づいてすらいないよ。死んだことにしたから」
そうか! とアドヴェンは朗らかに言った。この男の調子が常に一定だとすれば、彼の声がやたらと安心したものに聞こえるのは、俺の心の状態がそうさせているだけなのだろう。
「アレがお前の本当の姿なのか」
「うん?」
ヨッダ村に現れた闇色の大狼。「俺に貴方を救わせてくれ」とアドヴェンが言った、その結末。
あの時、アドヴェンは俺の手を引き篝火の影へと導いた。家々の隙間、人間では僅か先も見えないような暗がりに入った時、彼の手が融けるようにして俺の手の内から消えた。あの狼が現れたのはまさにその瞬間であった。
盗賊達の処刑は阻止された。魔物が全てを滅茶苦茶にしてしまったから。
「俺に本当の姿なんてものはないな」
異常だ。だが今更だった。
俺は無言で歩き続けた。振り返ることもしなかった。ついてくるアドヴェンの姿を確認することが、怖かったのだ。
アドヴェンはそんな俺を気にすることもなく暫く喋り続けていたが、あるところで「もしかしてハイドは疲れているのか?」などと言って静かになった。返事の一つもしてやらなかったくせに、もっと喋っていてほしいだなんて虫の良いことを思った。
頭が十分に冷えたのは、葉で隠されていた空が段々と開き、半分の月がずっと俺達を見下ろすようになった頃だった。
確かめなければならない。
「もし、……もし俺が助けに入らなかったら」
懸命に出した声なのに、風のように小さく聞こえた。
「お前は盗賊達を殺していたのか」
「まさか。そんなこと、ハイドは望んでないだろう」
鎖を壊して連れ去り逃がすつもりでいたのだとアドヴェンは言った。たぶん、嘘ではない。ただ彼が彼自身の暴力性に無自覚なだけで。
「ヨッダ村は少し壊してしまったが、誰も殺していないし盗賊らも逃がすことができた! ハイドが介入してくれたおかげで余計な恐怖を残してもいない! あぁ、全てが丸く収まった。本当に良かった」
いつの間にか目の前には見渡す限りの草原が広がっていた。風に揺れる草木以外に動くものなんてなくて、俺とアドヴェンだけが生きているかのようだった。
「さて、もうそろそろいいんじゃないか」
アドヴェンの足音が止まって、俺はようやく彼の姿を確認した。見るもの全てを安心させてしまうような、誠実で清廉そうな男の姿。いつも通りの穏やかさをもって彼は俺を見ていた。
「俺は明確に人間ではない行動をした。だから」
「……だから、何だよ」
「核を壊すんだろう?」
指先が俺の胸元を示した。服の下に隠した魔物の核。さらにその下で心臓が忙しなく動いている。
「……壊さない」
壊したくない、と思った。
「誰も死んでいない。誰もあの狼がお前なんだと気づいていない。だから壊さない。必要がない」
人間に害を為したら即座に核を叩き壊すのが俺の役割だと旅立つ際にアドヴェンに告げた。今の俺はそうしなくても良い理由を必死に、必死に探し、見つけては安堵している。
今の俺はアドヴェンのことを殺せない。
あぁ、やっぱり俺はコイツの保護者ではいられない。
「いいのか?」
「いい」
「……良かった。俺は死ななくていいんだな。覚悟はしていたが、死にたいわけではないからなぁ」
文字通り胸を撫で下ろしたアドヴェンは、ここからは俺が荷物を持とうと俺の手からカンテラを取り上げた。空っぽの手は未だに震え続けている。
お前は、俺を救うためなら自分が死んでも構わないのか。
尋ねなかった。答えを知っているからだ。代わりに、別のことを尋ねた。
「俺は正しいことができているかな」
「もちろん。ハイドは自分が正しいと思ったことをした。その行動が間違っているはずがない」
笑顔で発されたアドヴェンの言葉を、鵜呑みにはできない。
夜のダガイ山に放り出された盗賊達が魔物に殺されてしまうかもしれない。無事に帰れた彼らが、あるいは別のヴェルデ村の者がまた盗みを働くかもしれない。その結果ヨッダ村に大きな不利益を与えるかもしれない。
かもしれないを挙げたらきりがない。悪い想像はいくらでも出来る。正しさを保証することなんて、きっと誰にも出来ない。
分かっている。分かっているからこそ。
屈託のないアドヴェンの言葉だけが優しい。
「……悪かった。思い切り首を斬ってしまって」
「ああ、気にしないでくれ! ハイドが核を持っている以上俺が死ぬことはないし、痛みだって感じない」
核。俺は胸元に手を置いた。そこには二つの塊が並んでいる。
「アドヴェンのおかげで、俺は勇者でいられる」
「……それは、良いことなのか?」
「良いことだよ。お前をルデウカに連れていけるんだから」
それから先のことは知らない。
立ち止まっているアドヴェンの手を引き、旅の続きを促した。北へ。目的地はそう遠くない。
アドヴェンをルデウカに連れて行くこと。それだけが今の俺を前へと動かす理由である。




