第21話 救いの手は往々にして魔物の血で汚れている
アドヴェンの言う血の臭いとやらは俺にはわからない。辿らせると、しばしの時間をかけて木々の開けた斜面に行きついた。
件の洞穴らしき凹みと、その周りに転がる数体の魔物の死体。遠めに見える範囲まで近づいてようやく人間の鼻でも血の臭いを捉えることができた。逃げ込んだ人間らの血ではなさそうだ。
洞穴の周囲には見えるだけでも五体の魔物の姿があった。俺より二回りも大きいものから、子供が抱えられるほどのものまで。大きさは様々だったが、死体も含めて、集まっている魔物は角猪ばかりだ。
「なるほどなぁ。中途半端に魔物を傷つけてしまったからこんなに集まっているのか」
「同じ種ばかりが集まっている。まさか弔いのつもりか? 魔物にも情があるなんてな」
「それこそまさかだ! ハイドは優しい捉え方をするんだな」
温厚篤実に人の姿を与えたかのような、俺なんかよりよっぽど勇者然とした男の目は、同族の死体に群がる魔物をじっと見つめていた。日向で温まる猫を眺めるような、そんな平凡さを伴って。
「たぶんあの種は鼻が利くんだろう。だから猪ばかりが集まっている、それだけのことだ。魔物に情なんてないさ」
……じゃあ、お前は?
「しかし沢山集まっているなぁ。苦労するんじゃないか? 本当に手伝わなくていいのか?」
「そこの五体の他、何体くらいが周りにいる?」
「一、二、三。全部合わせて八体だな!」
「じゃあ、いい。手伝いはいらない。お前は自分の身だけを守っていろ」
日の高いうちに済ませられそうで良かった。
アドヴェンから返してもらった直剣の柄を握りこむ。欠けた剣先が僅かに震えている。治まるのを待つ必要はない、たった八体殺せば終いだ。
堂々と姿を晒しながら洞穴に向かって駆けだした。血の臭いが好きだというんなら、今の俺だって十分コイツらの注目の的になれるだろう。
向かい来る歪な角をいなしながら脳天から喉にかけてを一突き。一匹目。がさりと大きく揺れ動いた茂みを真横に切り払う。二匹目。威嚇の叫びで開けた口内に剣を突き入れる。三匹目。威勢よく飛びかかってきた横腹を薙ぐ。四匹目。正面から頭蓋を砕く。五匹目。斬り殺す。六匹目。殺す。七匹目。殺す。八匹目。
ばちゃりと水音が立った。地面がぬかるんでいた。魔物に血液なんて無くてもいいのに、と思った。ここに近づいた時には酷い臭いだと感じていたはずなのに、今はもうわからない。
「終わったなぁ! すごい、本当に手伝いなんていらなかった。……服を替えようか? 上から下まで、びちゃびちゃだ」
「いらない。お前の服は俺には大きすぎるし、お前は何を着るつもりだ? それに、着替える時間ももったいないし」
洞穴の入り口には木箱やら荷車やらで簡易なバリケードが築かれていた。無理に押し破ることはできたが、中にいる彼らを怖がらせたくはない。ひとまずノックでも、と右手を持ち上げたとき、自分がまだ直剣を握りしめていることに気が付いた。強く握りしめすぎていて、左手で指を一本ずつ引きはがす必要があった。
もう武器はいらない。直剣を投げ捨て、笑顔を作った。最近はずっとこんな顔ばかりしている。
「魔物は全て死にました。ここを開けてください。貴方がたを助けに来ました」
暫くの間、返事はなかった。ただ、中で誰かが囁く声が聞こえていたから、外に出るかどうかを決めあぐねているが故の無言だと分かった。
生きている。助けられる。その事が俺は何よりも嬉しい。
「もうじき日が暮れます。山を下りるなら明るい方がいい。どうか出てきてくれませんか」
再度声をかけると足音がし、バリケードの前で立ち止まった。重い物を引き摺る音の後、木箱が一つほんの僅かに横にずれる。拳一つ分の隙間の奥に、怯えきった瞳が見えた。
「安心してください。俺は貴方がたに危害を加えない」
胸元から取り出した勇者の証を隙間から中に差し入れた。間に合わせの革紐が括り付けられた金色の首飾りを受け取る指先は、震えていた。
「勇者様、」と誰かが言う。怯えは消えていない。俺では彼らを安心させることができないようだ。
差し出した手がしとどに濡れているせいかもしれない。拭っておけば良かったな。毛先から落ちた黒い血が、首筋を伝っている。




