第20話 ダガイ山
「ダガイ山に逃げ込んだ賊を捕らえてほしいのです」
冷めぬうちにと勧められた昼食の席で、アルバスが切り出した。彼の視線の先には窓と、その景色の大半を占める青々とした山があった。
ダガイ山は裾野にヨッダ村を擁する山である。標高があり、植生に富んだ深い森で覆われている。ヨッダ村の生活とは切っても切り離せない存在であり、運ばれてきた昼食にも多くの山菜が使われていた。
ただし、ヨッダ村が受け取ってきたものは何も恩恵だけではない。三年前は山から溢れ出てきた魔物によって周辺地域は大きな被害を受けていた。現在その爪痕は残っておらず魔物害は随分鳴りを潜めているようだが、
「賊、ですか」
アルバスは神妙に頷いた。彼らの前には盆はない。俺達だけが食べている状況というのは何とも居心地が悪いものだ。隣のアドヴェンは全く気にした様子なく健啖ぶりを披露している。
「ここのところ農作物や行商の荷が狙われる事件が多く起きております。先日は現場を押さえることができましたが、その際に賊がダガイ山深くに逃げ込みましてな。どうにか捕らえたいと思っているのですが、奥はどうにも魔物が多く我々には手出しができない」
「なるほど。そこで勇者《おれ》の力を借りたい、と」
アルバスの横に座る村民がテーブルに一枚の地図を広げた。使い込まれたダガイ山の地図のようだ。彼は南西側八合目付近を指さしながら、
「ここに浅い洞穴があります。奴らはここに逃げ込み籠城しております」
周辺の魔物のせいで出るに出られなくなっているのです、とアルバスが言葉を継いだ。
「奴らがダガイ山に逃げ込んで早五日。盗んだ食料でいくらか食いつないでいるでしょうが、このままでは餓え死ぬやもしれません。そんなことは我らも望んでいないのです」
彼らは深々と、あわやテーブルに額を擦りつけんばかりに頭を下げた。まるで祈りを捧げるかのように。
「お願いします、勇者様。彼らを捕らえ、ヨッダ村に連れてきてください」
彼らは罪を贖う必要がある。
アルバスはそう言葉を締めた。
脳裏にふとマシュの姿が浮かぶ。荷馬車を盗んだ罪は荷馬車の主が決めること。であれば、村を襲った罪は村の者らが決めることだ。
■ □ ■
「ダガイ山南西の洞窟に行き、そこに逃げ込んだ三人の賊を捕まえて、ヨッダ村に連れてくる」
アドヴェンは俺の言葉を正確に繰り返した。そうして心得たとばかりにふむふむと頷いて
「よし、俺に任せてくれ!」
「却下だ。お前の力は借りない」
当たり前だろ。今回は確実に人目があるんだからな。
昼食を済ませた後、俺達は早々にダガイ山に分け入っていた。村長からのお願いをさっさと叶え、ヨッダ村から逃げ出したかった。酒、酒、酒が必要だ。これ以上、誰の願いも聞かないために。
「ヨッダ村で酒を飲む気はないんだろう? なら早く事を済ませたほうがいいんじゃないか。俺は力になれると思っているんだが」
「それでも、駄目だ。お前の中身がバレたら困る。勇者は魔物なんて連れ歩かない」
「しかし何もしないで見ているというのもな。獣道の枝葉を落とすくらいはしてもいいだろう?」
「……それくらいなら」
直剣をアドヴェンに手渡した。ハルガラで手に入れた安物の剣は既に刃先が欠けている。斬ると言うより殆ど殴るような調子で枝葉を除けながら、
「アルバスの頼みを聞いたことを、後悔している?」
何の前触れもなかった。思いもよらない質問に、心臓がギクリと跳ねた。獣道を進むアドヴェンの動作は淀み無く、この男にとっては他愛無い会話の一つなのかもしれない。
……後悔。
後悔しては、いない。
「……アルバスに助力を請われた時、考えるより先に快諾していた自分がいて、少し怖くなった。でもそれだけだ。後悔はしてない」
「そうか」
「勇者が動くことで誰かの命を救えるのなら、やっぱり、それは、……嬉しい、と思う」
「そうか」
では急いで助けに行かないとな! とアドヴェンは大振りに直剣を振るった。直後、彼の右手側の樹木がメキメキと嫌な音を立てた。
「おっと」
「おっとじゃない。一振りで樹を薙ぎ倒す人間はいない」
「周りに誰もいなくて良かったなぁ」
隣の樹にもたれるようにして一本の樹が倒れ込む。瞬間、大きな音と共に押し潰された茂みから鞠ほどの大きさの塊が飛び出した。ソレは地面スレスレを飛びながらアドヴェンの足元へと
「よいしょ」
思い切り踏み潰された何らかの魔物は、あっという間に真っ黒な染みに変わっていた。
「吃驚したなぁ」と嘘臭いことを言うアドヴェンの歩みは止まらない。たぶん、強い風に吹かれた人間の方がもっと大きなリアクションをとる。
……この男に魔物狩りを手伝わせるのは、まだ無理そうだ。
「手を出すなって言ったけど、今度からは足も出すなよ。人前でソレをやったら核を壊すからな」
「……次からは気をつけよう!」
■ □ ■
俯いた拍子に前髪から液体が散った。魔物の血は黒い。色以外は人間の血によく似ている。
捻じくれた角が生えた猪の鼻先を殴りつけ、仰け反った隙を狙って喉を貫いた。この種の魔物の核は喉奥にある。三年前から知っている。
指定された洞穴に近づくにつれ、段々と魔物が姿を見せ始めていた。登り始めた直後はほとんど出会わなかったのに、標高が高くなり人気が減った辺りから急に魔物が増え始めたのだ。
三年前と比べるべくもないが、いささか多すぎやしないか。魔王討伐以降、魔物の数は激減したんじゃなかったのか。
「ダガイ山中の魔物が集まっているんだ。多くも感じるだろうさ」
「集まる? 歓迎でもしてくれてるってのか?」
「それは面白い考えだ!」
角猪の突進を避けながら、のんびりとアドヴェンが首を振った。
「血の臭いがしている」




