第19話 偽善者
「偽善だ」
吐き捨てるような俺の言葉に、アドヴェンはただ「そうか」とだけ返した。そこには肯定の色も否定の響きもありはしなかった。
寝返りに合わせてぎしりとベッドが軋む。ここは村長アルバスによって案内された宿場の一室だ。夜通しの旅はお疲れでしょう、と手渡された鍵を断る理由はなかった。事実、俺は心底疲弊していた。
金のチェーンと荷馬車の交換を、ヘイゼルは二つ返事で了承した。
荷台に何が詰め込まれていようとも、国家機密の技術で作られた魔法金属の価値に勝るものなどないだろう。積荷を改めることすらせず、ヘイゼルはその場で馬から荷台までの全てを俺に明け渡した。俺の気が変わることを恐れている風であった。
そうして譲り受けた荷馬車は、すでにヨッダ村を経っている。今頃はヴェルデ村に向けて平原を渡っているだろう、マシュの握る手綱によって。
マシュの罪は荷馬車の主が咎めるものだ。《《荷馬車の主》》はマシュの罪を許した。
「こんなこと、何回もできない」
「あのチェーンは一本しかないものなぁ」
そういうことを言いたいんじゃない。
俺はもう一度寝返りを打った。視界の半分はシーツ、もう半分は壁だ。部屋の中央付近の椅子に座るアドヴェンを、いいや他のどの人間の顔も見たくなかった。疲れ果てている。
「それでもやらなきゃ、やらなきゃ、やらなきゃ気がすまない。ただのエゴだ。自己満足だ。一時飢えをしのいだところで、マシュを、ヴェルデ村を救えるわけじゃないのに」
「そうか? マシュは泣き出すほど喜んでいたし、あれで良かったんじゃないか。それに、馬が一頭あれば馬耕も行商もできる。大丈夫だ、ああ、大丈夫だとも」
「……それ、誰に教わった?」
「エリーに。落ち込んでいる人間は励ませ、と」
「ああ、鋤鍛冶屋の一人娘、だったか……」
良い教育だ。あの村は、俺といるよりよっぽど良い環境だったろうに。
「またマシュのように困っている人間に出会ったら同じことをしたくなる。きりがない。やめられない。もう誰にも会いたくない」
「だからハイドはずっと引きこもっていたんだなぁ」
「三年前は、ただ魔物を殺していればそれだけで良かった。今は違う。平和になったのに、喜ばしいことなのに、今の方が辛いだなんて俺は変だ」
「……大丈夫だ、ハイド。酒でも注ごうか?」
いらない。俺は勇者としてヨッダ村に入ったから、ここで飲むわけにはいかない。
シーツを握りこんだ手が小さく震えていた。毒にも薬にもならないアドヴェンの平坦さが、今は本当にありがたかった。ほんの少しでもどちらかに傾いていたら俺は気が触れていたかもしれない。いいや触れない。俺は勇者だから。触れるわけにはいかない。
「重症だ」
「悪いけど、少し休ませてくれ。二、三時間でなんとかするから」
「ゆっくり休んでくれ。ハイドの望むペースでいいんだ、俺は」
アドヴェンの声が遠くに聞こえる。まもなくして俺の意識はシーツの海に落ちていった。
□ ■ □
ノックの音で目が覚めた。頭痛をなだめながら体を起こすと、背中に「おはよう」と声がかかる。アドヴェンは部屋にいる。とすればこのノックは来客だ。
「昼食をお持ちしましたが、入ってもよろしいですか」
アルバスの声だった。村長自らが昼食を持ってくるなんて嫌な予感しかしないが、俺の喉は勝手に了承の言葉を紡いだ。断るのは勇者ではないから。寝起きなのに、自分でもおかしくなるくらいに朗らかな声だった。
入ってきたのは二人だった。アルバス、それから昼食の乗ったトレーを持った村民だ。
「荷馬車の件はどうもありがとうございました。旅の疲れは癒せておりますか」
「ええ、おかげさまで。お忙しいでしょうにこうして出向いていただけるとは、ありがたい限りです」
「これくらいはさせてください。寒村では勇者様をもてなすこともままならぬのです」
謙遜だと直ぐに分かる程度には、ヨッダ村には活気があった。広大なライ麦畑もそうだし、この宿までの僅かな移動で数人の行商の姿を見た。宿自体も繁盛していそうだ。
「もてなしだなんて、身に余ります。どうか他の者と同じように扱ってください」
「そういうわけにもいきません。三年前、貴方がこの村を訪れなければ、今頃村は地図にない」
そこまで大それたことはしていないが、否定して会話を長引かせたくもない。光栄ですとだけ言って、差し出された食事――優に三人前はありそうな盆を受け取った。アルバスも村民も、部屋を立ち去る気配はない。
「私も、村の者も、皆勇者様に感謝しております。貴方は我々の希望だった。いえ、今もなお」
「……そう、なんですね」
「どうか今一度、ヨッダ村にお力添えいただけませんか」
「もちろんです。俺にできることであれば」
即答してしまった俺の背に強い視線が注がれたような気がした。振り向けば、言いつけを守り大人しくしているアドヴェンの真人間然とした笑顔があった。
普段と何ら変わらない。だから、呆れられているように感じるのは俺の被害妄想、あるいは自己投影だ。
「あーあ」と誰かが溜息をついた。アドヴェンの声によく似ていたので、たぶん幻聴なんだろう。




