第17話 海路の代償
「王都は北部にあるんだな。知らなかった」
「お前よくその知識量でルデウカに行こうとしたな」
「しかしハイド、馬車が反対方向に向かっていることに気づいていたのなら、もっと早く指摘できたんじゃないか? ここからじゃヨッダ村に戻るのに一時間はかかってしまう」
「一度開けた酒を置くのは嫌なんだ。わかるだろ」
「わからないなぁ」
かたんかたんと荷馬車が進む。東の空はうっすらと白み始めていた。
御者台で浴びる風は冷たい。アドヴェンに馬を繰る経験などあるはずもなく、昏倒したマシュに代わって仕方なしに俺が手綱を引いている。俺が旅慣れていることに感謝してほしい、切実に。
「流石ハイドだ。御者にもなれるだなんて、本当にすごい。ハイドがいなかったらどれほど苦労したことか」
……アドヴェンのまっすぐな賞賛、嫌いじゃないんだよな。伝えるつもりはこれっぽっちもないけど。
そうしてアドヴェンのおしゃべりを適当に聞き流しつつ小一時間程。マシュが目を覚ましたのは、裾野に入り緩やかな傾斜を感じ始めた頃合いであった。
小さな悲鳴と呑気な声が背後から聞こえ、次いでがたがたと喧しい音が鳴った。元気そうでなによりだ。
「良かった、目が覚めたんだな! ああ、そんなに身を乗り出すと危ないぞ。ここは荷台の上なんだ。大人しく座っていた方が安全だ」
「離せよ! この状況で大人しくしていられるわけがないだろ!?」
「そうなのか? だが危ないのはよくないしなぁ」
暫く荷台は騒々しくしていた。落ち着くのを待っていると、ややあってすっかり消沈した声で「もういいよ」とマシュが言った。それきり静かになったので荷台の様子を確認すると、ぐったりと項垂れたマシュの襟首を掴んでいるアドヴェンと目が合った。
無理に逃げ出そうとしたマシュを止めている、というのはわかるんだが、体格差のせいで絵面が酷いな。これじゃあまるでこっちが人攫いみたいだ。
「おはよう。随分暴れていたけど、どこか傷めたりしたんじゃないか」
「一番痛いのはアンタにぶたれた顔面だよ。……縛りもしない、逃がす気もない。おれをどうするつもり?」
「縛るのが面倒だっただけだよ。……今はヨッダ村に向かってるところだ。この荷馬車を持ち主に返して、盗人にしかるべき対応をしないといけない」
「……おれを王国騎士団に突き出すのか」
「この荷馬車の主の意向次第では、そうなるかもな」
「王国騎士団? なぜここで騎士団が出てくるんだ?」
「……騎士団は、人間同士のいざこざを、あー……うまいこと仲裁してくれる組織だからだ」
幼子のように無垢な質問をどうも。アドヴェンは騎士団も知らずにやってきたらしい。
ちらりとマシュの様子を伺うと、彼はいかにも怪訝な表情をアドヴェンに向けていた。順当な反応だ。騎士団を知らずに大人になるやつはそうそういないからな。
王国騎士団とは公的な権力の下で治安維持を担う団体である。……現在は。
元々は魔物から人々を守るべく国が設立した団体だったが、三年前の魔王討伐以降、魔物害の減少に伴いその役割が変化した。彼らが相対するのは今ではもっぱら人間ばかりだ。魔物を相手どるのと比べてどちらが幸福なのだろうか。
「ヨッダ村に行けば騎士団がいるのか?」
「いや、あの村に詰め所はないんじゃないかな。たぶん巡回の騎士団が来るまで拘留だ」
「マシュを騎士団に突き出したら、どうなるんだ?」
「荷馬車の窃盗……未遂か。余罪が無ければ死刑や流刑になることはないと思うよ。どう悪く見積もっても、国の管理下で強制労働ってところじゃないか」
そうかぁ、と相槌を打ってアドヴェンは黙った。その声には憐憫も侮蔑も、いや何の感情も含まれていないように思えた。本当にただ知りたかったから聞いただけ、なのだろう。この男の情の在り方が俺にはよくわからない。
一方のマシュも押し黙ったままで、俺達の間には重苦しい沈黙が流れた。
進行方向に視線を戻すと、ずっと遠くで朝焼けに揺れるライ麦畑が見え始めていた。ヨッダ村はそう遠くない。
揺れる金色から目を離さずに、尋ねた。
「マシュはどうして盗みなんてしたんだ」
「……食べ物がたくさん、欲しかったから」
「一人や二人で食べきれる量じゃないな。こんなに大胆な盗みをしないといけなかったのは、なんでだ」
「…………」
答えたくないならそれでもいい。それ以上は問いかけず、馬を繰ることに意識を戻した。
きっかけは分からない。ざざぁと一斉に麦穂がそよいだ時、ぽつりと雨粒みたいな声がした。
「おれの生まれ育った村、ヴェルデ村っていうんだ」
ヴェルデ村。三年前に立ち寄ったことがある。ヨッダ村の南西にある村だ。
ヴェルデ村は植生の少ない荒野に位置しているが、周辺のどの村からも程々に離れたところにあり、それ故に宿場村として栄えていた村だと記憶している。
……では、今は?
「昔は色んな旅人や商人が来てくれて、賑やかな村だったんだ。アルルテートに船が来るようになってから、変わっちゃった」
大陸南部から王都を目指そうと思った時、大抵の人間はヴェルデ村を経由していた。自身や馬の休息に丁度いい立地にあるためだ。
今は違う、のだろう。ハルガラ、アルルテート間で海路が開かれてしまったから。陸路で十日、海路で二日。……人々がどちらを選ぶのかなんてあまりに容易に想像できる。
「お金を稼ぐこともできないし、作物だって育たない。大人たちはヴェルデ村を出ようって話ばかりしてる。……でも、みんながみんな、ヴェルデ村を離れられるわけじゃないんだ」
「……だから荷馬車を、盗んだのか」
マシュは何も言わなかった。何より強い肯定であった。
「理由はどうあれ、盗みは盗みだ」
「…………」
「俺が勝手にマシュを許すことはできない。この荷馬車にも持ち主がいて、生活があるんだ」
「……うん」
「ヨッダ村に戻って荷馬車を返そう。マシュの罪をどうするかは、荷馬車の主が決めることだ」
「……うん」
太陽は既に水平線から顔を出していた。がたりがたり、荷馬車は進み続けている。




