第13話 聞けない願い
ぐらりと大きく船体が揺れた。木材の軋む音がして頭上を足音が通り過ぎていく。波が高いのかもしれないが、船底にほど近い貨物室からは外の様子はわからない。わかったとて大自然相手にできることなんて何もないが。
「揺れたなぁ。外がどうなっているのか、とても気になる」
「あー、そうだな」
「この部屋は水の下にあるんだろう? それなのに水が入ってこないなんて、不思議だ」
「不思議だなぁ」
「アルルテートまでは二日だったか。もっと船に乗っていたいな。いや、早くルデウカに行きたいとは思っているんだが。ハイドは船に乗ったことはあるのか?」
「……んー」
「ハイド?」
「…………」
「……飲みすぎじゃないか?」
飲みすぎなんてあるわけないだろ。
抗議の意を込めて酒瓶を置くと、かーんとやけに高い音が貨物室に響いた。空瓶にぶつけてしまったらしい。俺にその気はなかったが、鳴ってしまったらしょうがないよな。
「乾杯」
「ハイド?」
外は見えずとも良い船旅であった。
アルルテート行きの貨物船に乗ってからおよそ半日が経過した。これでもかと積荷を詰め込まれた部屋はなかなか閉塞感があったが、過ごしてみると案外心地の良い空間だ。
場所があるだけでも恩の字というのに、リズベットは食事の手配に加えて二人分の毛布に魔法式のカンテラまで用意してくれた。毛布にくるまって床に寝そべり自前の酒を飲む。なんて快適なんだ。……うるさい同行者がいなければもっと快適だっただろうが。
狭い部屋の中ではアドヴェンから離れることもできない。彼もまた十分に船旅を楽しんでいるようで、僅かなスペースに長身を横たえながら、ずっと何やら喋っていた。コイツが寝ている様子を俺は一度も見てないんだが、いったいいつになったら静かになるんだ。
「……お前、喋りっぱなしだぞ。そろそろ寝ろよ」
「? 寝ているじゃないか」
「横になって目をつぶっているだけじゃ寝てるとは言わ、ない……」
言いながら気づいた。さてはコイツ、睡眠の概念がないな?
仕方がないから教えてやろうと思ったが、睡眠ってどう説明すればいいんだろうか。そもそも魔物に睡眠は必要なんだろうか。というか、人の姿をした奇妙な存在に魔物の生態を当てはめてもいいんだろうか。
やめよう。俺は思考を止めて酒を飲んだ。ハルガラの酒は初めて飲む味がする。
「これじゃ駄目なのか? 村の人にはこういうものだと教わったんだが」
「ああ、喋るのも駄目なんだ。横になって目をつぶって黙る。これが人間の睡眠だ」
「そうか。教えてくれてありがとう!」
それきりアドヴェンは大人しく黙り込んだ。見ている分には完璧な睡眠であった。
人間ではあろうとしてくれるんだよな、一応。そうでなければここまで連れてくることもなく、とっくに核をぶっ壊して終わりにしていたことだろう。
ともあれようやっと静かに酒が飲めるようになったってわけだ。これ幸いと新しいものに手を伸ばそうとして
「ハイド。寝るって退屈だな」
駄目みたいだ。
再び話し始めたアドヴェンの声を流しながら瓶の蓋を開けた。俺はもうこの男にすっかり慣れてしまったらしい。背景と割り切ることができる程度には。
□ ■ □
「酔った」
「それはそうだろう。そんなに酒を飲んでいては」
「船に」
ぐわんと大きく船体が揺れ、空き瓶が一斉に転がった。幸い中身の入っているものはない。飲めるような状況では、全くなかった。外は嵐か大時化か。少し前までは陸と紛うほどに安定した船内だったというのに、今ではすっかり暴れ馬に引かれる馬車のごとき様相を呈していた。
快適な船旅? とんでもない。
「気持ち悪い……」
「ハイドが酒を飲めなくなるだなんて、本当に体調が悪いんだなぁ」
淡々とした感想だった。うずくまって毛布を握りしめている俺の傍らに座るアドヴェンは憎らしいほどに平常である。コイツには不調が存在しないのだろうか。
水が欲しいと呻いた時、貨物室にノックの音が響いた。アドヴェンが呼んだ船員だ。
「良かったな、ちょうど水がいただけるみたいだ」
「待て、俺を毛布で、隠していってほしい」
「……勇者らしくないから?」
肯定する気力もない。
アドヴェンはそれ以上言わずに俺に自身の毛布を被せた。厚手のウールの向こうからアドヴェンと船員のやりとりが聞こえてくるのを、俺はただじっと聞いていた。何か妙なことを口走りやしないかと心配していたが、アドヴェンのやりとりは同行者の身を案じる人間そのものであった。……人間の真似がうまくなっている。
「もう出てきていいぞ。水と、吐き気止めの薬草をいただいた」
「ありがとう……」
毛布から手だけを伸ばすと、指先にピューターの冷たさが触れた。ここ三年で最も強く欲した水である。
「たぶん船員の方は知らないぞ、ハイドが勇者だって」
「……念のため」
「勇者だって船酔いくらいするんじゃないか」
「しない。したことがない」
「それは船がなかっただけだろう」
それでも、だ。
もう一度手を伸ばすと、今度はかさかさに乾いた葉っぱを数枚握らされた。一も二もなく口に入れると酸味とえぐみが口いっぱいに広がる。吐き気を抑えるというか、別の不快感を与えて無理に意識を逸らすって感じだ。
「どうだ?」
「良くなった、気がする……」
「良かった! 回復するまで横になっているといい。アルルテートに着くまでは、酒も飲まない方がいいと思うぞ」
「……嫌だ」
我ながら呆れる返答だった。でもアドヴェンであればきっと呆れない。呆れるほどの情緒がない。そう思えるからこそこんな物言いができるのだ。
「俺はハイドに辛い思いをしてもらいたくないんだがなぁ」
「……薄々感づいていると思うけど、」
空っぽのタンカードを毛布の外に追い出した。すぐに水の入ったタンカードが戻ってきた。この優しさと気遣いも、誰かから獲得した模倣なのだろうか。
「酒を飲んでいないと、自分でいられないんだ」
「うん?」
「周りが望む姿であり続けないといけない。願いを全部叶えないといけない。そんな気がする、そう感じる、思い込んでる」
「そうなのか」
「昔の俺はできていたんだ。疑問にすら思わなかった。……今はもう、できない」
水を飲み干し、もう一度タンカードを外に出した。今度は戻ってこなかった。
「素面の時に《《お願い》》されると、どうしようもないんだ。やらないといけないって強く思い込む。周りが見えなくなる。いつかきっと、悪い願いだって叶えてしまう日がくる。俺はそれが怖い。……でも、酔っているときなら、断れるから」
酒を飲むと本性が出るっていうだろ。だからこっちが俺の本性だ。酒を飲んでいる間だけは、自分はもう勇者じゃないと信じていられるんだ。
「うーん、俺にはよくわからないが」
液体を注ぐ音がした。
「酒を飲んでいる方が辛くないなら、飲んでくれ!」
ハイドが辛くない方がいい。そんな言葉と共に差し出されたのは、ブランデーがなみなみ注がれたタンカードであった。
……酒を飲みたいって言ったのは俺だけどさ。この状態の人間に渡すもんじゃないだろ、コレは。
「……病人に蒸留酒を渡すな」
「そうか。次は気を付けよう」
だけど、失望されるよりはいい。
俺は琥珀色の液体に口をつけた。強いアルコールが鼻から脳を貫くような感覚は嫌いじゃない。嫌いじゃないが、やっぱり船酔い中に飲むもんじゃないなと思った。
アドヴェンは奇妙な男だ。彼の無関心に俺はずっと救われている。酒に酔ったままでいたって彼の願いを叶えてやりたいと思える。
もうアドヴェンのためじゃないんだ。アドヴェンの願いを叶えることで、勇者ではない自分を肯定したいだけなんだ。
だからこそ俺は聞けずにいる。
なぁ、お前はどうしてルデウカ区域に行きたいんだ。
その願いが《《悪い願い》》であった時、いったい俺はどうすればいい?




