第4話 スラムの強欲商人との交渉
スラムの中心部。
トタンと廃材で建てられた一際大きなバラック小屋が、この界隈を仕切る悪徳商人・ガルドの拠点だった。
「……なんだぁ? ガキが俺に何の用だ。クズ鉄なら表の木箱に入れてさっさと消えな!」
脂ぎった顔をしかめ、ガルドは葉巻の煙を吐き出した。
彼の前には、ボロボロの服を着たルイスが一人で立っている。しかし、その立ち姿にはスラムの子供特有の怯えが一切なく、むしろガルドを見下ろすような奇妙な威圧感があった。
「クズ鉄を売りに来たわけじゃない。あんたに『独占契約』を持ち込みに来たんだ」
ルイスは懐から小さな水筒を取り出し、ガルドの机の上にある汚れたグラスに中身を注いだ。
トクトク……という涼やかな音と共に、透明な液体がグラスを満たす。
「……あ?」
ガルドの目が点になった。
スラムで流通する泥水ではない。壁の向こうの富裕層しか口にできないような、極めて純度の高い『水』だったからだ。
「おい……お前、これをどこで盗んできた!? バレたら首が飛ぶぞ!」
「盗品じゃない。僕らはこれを『毎日、樽一つ分』安定して供給できるルートを持っている」
ルイスの言葉に、ガルドの目の色が変わった。
(ま、毎日だと……? この水なら、スラムの金持ちや病人を抱えた奴らに、泥水の十倍……いや、二十倍の値段で売りつけられるぞ!)
ガルドの顔に、下劣な強欲さが浮かぶ。
彼はゆっくりと立ち上がり、奥の部屋に控えていた二人の用心棒に顎でしゃくった。
「ヒヒッ……なるほどな。だが、わざわざ金を出して買う必要はねえ。おい、このガキを締め上げて、その『ルート』とやらを吐かせろ」
用心棒たちが下品な笑いを浮かべながらルイスに歩み寄る。
少し離れた物陰から様子を窺っていたセコットとミーアが、息を呑んだ。
しかし――ルイスは逃げもせず、優雅にクスリと笑ったのだ。
「いいのかい? 痛めつけるのは構わないが、その瞬間にあんたの『黄金の樽』は永遠に失われることになるぞ」
「……強がりを言うな。痛めつけりゃあ、子供なんてすぐに口を割る」
「割らないね。なぜなら、水を精製している装置は『僕らにしか扱えないブラックボックス』だからだ」
ルイスは用心棒を一瞥もせず、真っ直ぐにガルドの目を射抜いた。
「あの装置は、素人が無理にこじ開けようとすれば中枢のコアが砕け散るようトラップを仕掛けてある。僕らを殺せば、二度と水は手に入らない。……ガルド、あんたは商人を名乗るくせに、目先の暴力という『下策』で莫大な継続利益を手放すのか?」
かつて貴族社会で大人たちの腹の探り合いを見て育ったルイスの言葉には、子供のハッタリとは思えない異様な凄みがあった。
ガルドはチッと舌打ちをし、用心棒たちを手で制し
た。
「……面白えガキだ。で、お前の要求は何だ」
「水樽一つの卸値は、銀貨三枚。それに加えて、上等な干し肉と固焼きの黒パンを五人分、毎日用意しろ」
「ふざけんな! 高すぎる!」
「高くはないさ。あんたはその水を他の顔役に売るだけで、何もしなくても毎日銀貨十枚以上の利益を出せるはずだ。……それに、僕らにはあんたの『庇護』が必要なんだ。他のゴロツキが僕らに手を出さないよう、あんたの看板で守ってもらう」
ルイスは机に両手をつき、顔を近づけた。
「僕らを生かして『独占契約』を結び、スラムの富を支配するか。ここで僕らを殺して、ただのドブネズミに戻るか。……選べよ、商人」
沈黙が降りた。
ガルドはギリッと奥歯を噛み締め……やがて、大きく息を吐き出した。
「……交渉成立だ、クソガキ。明日から毎日、夕方に樽を運んでこい」
◆
数十分後。
ガルドの店から少し離れた路地裏で、セコットたちと合流したルイスは、懐から「銀貨三枚」と「包みに包まれた食料」を取り出した。
「やった……! ルイス、すっげえ!」
ミーアが飛び上がって喜び、他の孤児たちも信じられないものを見る目で銀貨を見つめた。
「ふん、チョロいものさ。あんな三流商人、壁の向こうにいた悪徳貴族どもに比べれば赤子のようなものだよ」
ルイスは鼻で笑ったが、その額にはうっすらと冷や汗が浮かんでいた。一歩間違えれば本当に殺されていた、命懸けの交渉だったのだ。
「お疲れ様、ルイス。完璧な交渉だった」
セコットが労うように声をかけると、ルイスは食料の包みをセコットにポンと投げ渡した。
「さあ、お前の欲しがっていた『まともな飯』だ。これで餓死せずに済むな、工場長?」
「ああ。ありがとう」
包みを開けると、カビの生えていない硬いパンと、塩漬けの干し肉が入っていた。
前世の記憶からすれば粗末な食事かもしれない。しかし、今のセコットたちにとっては、知恵と勇気で勝ち取った『初めての勝利の味』だった。
「……よし。当面の食料と安全は確保した」
肉をかじり、確かなタンパク質の味を噛み締めながら、セコットの瞳が怪しく光る。
「次は、僕たちの『拠点』の環境を良くしよう。こんな雨漏りする隙間風だらけの小屋じゃ、夜は寒くて眠れないからね」
セコットの視線は、スラムの奥にうずたかく積まれた「別のガラクタの山」に向けられていた。




