第3話 泥まみれの元貴族と悪魔の取引
スラムの吹き溜まり、崩れかけたレンガ壁の陰。
ルイスは、ゴミ山から拾い集めた『使えそうな魔導具の部品』を仕分けしながら、忌々しげに舌打ちをした。
(……こんなゴミ屑を売って、得られるのはカビの生えた黒パン半分か)
年は12。
ほんの半年前まで、彼は壁の向こう側で優雅な生活を送る下級貴族の三男だった。
しかし、戦勝国からの理不尽な賠償請求の煽りを受け、実家はスケープゴートにされて没落。両親は流行り病で呆気なく死に、ルイスはこの地獄に放り出された。
だが、彼はスラムの孤児たちのように、媚びへつらって残飯を乞うような真似だけはしなかった。
泥に塗れても、貴族としての矜持と教養だけは手放さない。いつか必ず成り上がり、自分たちを切り捨てた奴らに復讐するためだ。
「……ねえ、ちょっといいかな」
不意に声をかけられ、ルイスは鋭い視線を向けた。
そこに立っていたのは、ガリガリに痩せた5歳ほどの男の子だった。
たしか、ゴミ拾いの最中に頭を打って死にかけたという『セコット』とかいう孤児だ。
「何の用だ。僕は施しをするほど優しくないし、お前のような子供から奪うほど落ちぶれてもいないぞ」
「施しはいらない。取引をしに来たんだ」
ルイスは眉をひそめた。
5歳の子供が発するにしては、あまりにも流暢で、抑揚のない落ち着き払った声だったからだ。
セコットは懐から、ヒビの入った小さなガラス瓶を取り出し、ルイスの目の前にコトンと置いた。
「これ、飲んでみてよ」
瓶の中には、液体が入っていた。
だが、スラムで見慣れた赤茶色の泥水ではない。向こう側が透けて見えるほど、淀みのない『透明な水』だった。
「……ッ!」
ルイスの目の色が変わった。
(なんだこの水は……? 富裕層が浄化魔法をかけて飲むような、最高級の飲料水じゃないか。いや、魔法の気配はしない。どこから盗んできた!?)
「毒は入ってないよ。警戒するなら、僕が先に飲む」
セコットが瓶の水を一口飲んでみせると、ルイスはひったくるように瓶を奪い、残りの水を口に含んだ。
(……美味い)
渇ききった喉を、冷たく澄んだ水が滑り落ちていく。鉄の味も、カビの臭いもしない。
ただの純粋な『水』。それは今のルイスにとって、金貨よりも価値のある衝撃だった。
「お前……これをどこで手に入れた。まさか壁の向こうの商人の荷馬車から盗んだのか? だとしたら馬鹿な真似を――」
「僕が作ったんだ」
「……は?」
「ガラクタの山からパイプとガラスを拾ってきて、蒸留とろ過の装置を組んだ。火さえあれば、泥水からでもこの『綺麗な水』を毎日、樽いっぱい作れる」
ルイスは絶句した。
5歳の子供が何を言っているのか。浄化魔法を使わずに、泥水を透明にする技術など、貴族の教養を持つ彼ですら聞いたことがない。
「嘘をつくな!そんなことができるわけが……」
「嘘じゃない。証拠に、これを持って僕についてきて」
セコットに案内され、裏路地の奥に向かったルイスが見たものは、継ぎ接ぎだらけの不気味な装置だった。
下で火を焚き、パイプからポツン、ポツンと、透明な水滴が落ちている。
ルイスは震える手でその水滴に触れ、真実を悟った。
(偶然じゃない。この子供は、僕の知らない『未知の法則』を完全に理解して、この装置をゼロから組み上げたんだ……!)
「どう? これなら、スラムの顔役や商人どもに高く売れると思わない?」
セコットが、幼い顔に似合わない悪そうな笑みを浮かべて見上げてくる。
「……なぜ、僕に見せた」
ルイスは喉を鳴らし、警戒心を剥き出しにして尋ねた。
「僕ら子供だけでこれを売りに行っても、大人に足元を見られて奪われるだけだ。でも、君なら違う。スラムのゴロツキにも屈しない度胸と、商人相手に価値を吊り上げる『貴族の交渉術』を持ってる」
セコットは、小さな手をルイスに差し出した。
「僕が裏でモノを作る『工場長』。君が表に立って大人たちと渡り合う『交渉役』。利益は折半。悪い話じゃないはずだ」
ルイスは目の前の小さなバケモノを見下ろした。
もし自分がここで力ずくで装置を奪えばどうなるか?
――いや、ダメだ。この精巧な装置は、少しでもバランスを崩せば動かなくなるだろう。仕組みを理解しているこの子供を生かしておかなければ、ただの鉄クズに戻ってしまう。
(……完璧に、計算されている)
ルイスの口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。
スラムに落ちてからずっと探し求めていた『這い上がるための蜘蛛の糸』が、今、目の前に垂れ下がってきたのだ。
「いいだろう、セコット。お前の頭脳、僕が世界で一番高く売ってやる」
泥まみれの小さな手と、薄汚れた元貴族の手が、固く握り合わされた。




