第2話 最初の一滴
前世の記憶を取り戻した翌日。
セコットを襲ったのは、圧倒的な「喉の渇き」だった。
スラムにある共同の井戸から汲み上げられる水は、赤茶色に濁り、鉄錆と微かなドブの臭いがする。
スラムの住人はそれを平気ですすっているが、現代日本の記憶を持つセコットの身体は、本能的にそのドブ水を拒絶した。
「……死ぬ。このままじゃ渇きで死ぬ」
生ゴミのスープを拒否し、水すら飲めない。
このままでは、成り上がる前に三日で餓死してしまう。早急に「安全な水」と「まともな食料」を確保しなければならない。
「セコットぉ? そんなガラクタ集めて、どうするの?」
心配そうについてくる孤児の少女――ミーアが不思議そうに首を傾げるのをよそに、セコットはゴミ山を這い回っていた。
その瞳は、昨日までの「日銭を稼ぐためのマナメタル探し」とは全く違う光を帯びている。
「……あった!」
セコットが瓦礫の下から引っ張り出したのは、富裕層が捨てたと思われる『家庭用魔導冷蔵庫』の残骸だった。
魔力を蓄えるコアはすでに抜き取られ、スラムの住人にとっては一文の価値もないただの鉄クズだ。
しかし、大人の知識を持つセコットの目は、本体裏側に張り巡らされた「放熱用の銅パイプ」に釘付けになった。
「ミーア!手伝って。この管を外すんだ」
「ええ? そんなの売れないよ?」
「売るんじゃない。僕らが生き残るための道具を作るんだ」
5歳児らしからぬ低い声色に、ミーアはビクッと肩を揺らしたが、大人しく手伝ってくれた。
集めたのは、銅パイプ、魔導具のガラス製カバー、そしてゴミを燃やして作った「炭」と、比較的綺麗な「砂」だ。
セコットはスラムの片隅にある孤児たちの隠れ場所に戻ると、工作を始めた。
前世の理科の実験、そしてサバイバル番組で得た知識の総動員である。
まず、底に穴を開けた筒の中に、布、砂、砕いた炭(活性炭の代わり)を何層にも重ねて簡易フィルターを作る。
次に、ガラスカバーと銅パイプを組み合わせ、密閉容器を組み上げる。隙間は、セコットの微弱な『錬金術』の魔力を使って、わずかに金属を溶かして溶接した。
完成したのは、不格好なツギハギの装置。
「……何、これ?」
「『蒸留』と『ろ過』の装置だよ」
「?」
セコットは、装置のタンクにスラムの濁った泥水を注ぎ込んだ。
そして、拾い集めたゴミの木っ端に火をつけ、タンクの底を炙り始める。
「見てて。魔法なんて使わなくても、世界は物理法則で回ってんだ」
やがてタンク内の泥水が沸騰し、蒸気が発生する。
蒸気は上部のパイプへと昇り、外気で冷やされたパイプの内側で再び水滴へと戻っていく。そして、自作したフィルターを通って、ぽつん、ぽつんと、受け皿の瓶へと落ち始めた。
「……えっ?」
ミーアが目を丸くした。
泥と鉄の味がするはずの赤茶色の水が、魔法も使わずに、ただの鉄クズの管を通っただけで――透明に透き通っていたのだ。
「飲んでみて」
セコットに促され、ミーアは恐る恐る瓶に口をつけた。
ごくり、と喉を鳴らす。
「っ……!?」
ミーアの目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
腹を下すような痛みも、喉を焼くような臭いもない。それは、彼女が生まれて初めて口にする「不純物のない綺麗な水」だった。
「美味しい……! なんだこれ、美味しいよセコット!!」
「……よし、成功だ」
自らも一口飲み、渇ききった細胞に水が染み渡るのを感じながら、セコットは口元に暗い笑みを浮かべた。
衛生状態が最悪のスラムにおいて、「安全で綺麗な水」は文字通り命そのものだ。
これを売れば、パンの耳ではなく、まともな硬パンと干し肉が買える。資金が作れる。
⋯しかし、問題は「誰がこれを売るか」だ。
5歳の子供がこんなものを持っていれば、強欲なスラムの大人たちに数秒で殺され、装置ごと奪われるのがオチである。
(僕らだけじゃダメだ。大人と対等に渡り合える『知恵』と『度胸』を持った交渉役が必要だ……)
セコットが思考を巡らせながらスラムの路地に視線を向けた時、一人の少年の姿が目に留まった。
ボロボロの服を着て、泥にまみれている。
だが、すれ違う大人たちを牽制するような鋭い眼光と、スラムの住人には絶対にあり得ない『真っ直ぐに伸びた背筋』。
――元貴族。敗戦の煽りでこのスラムに落ちてきたという、鼻持ちならないが頭のキレる少年。
(……あいつだ。あいつを巻き込もう)




