012.
王太子断罪劇の数日後、セレスティアは王都を発った。
公爵家は抗議したが、王太子は既に命令書を発行していた。「婚約解消後の身柄保護および再縁組」という名目で、セレスティアを王都首都星から追放したのである。
行き先はシリウス男爵の領地。
セレスティアは、ヴァレンタイン公爵の宇宙船に乗せられ、シリウス領へと向かっていた。
「御嬢様、この宙域の先に共和国軍の偵察隊が侵入しているとの情報があります。」
「どこまでも運がないのね。アルゴス研究都市に王国軍が在留しているみたいね。そこで、余力があるなら護衛を頼みましょう。」
「承知しました。それでは、アルゴス研究都市に一時的に寄ります。」
セレスティアが行く先は、シリウス男爵領である。だが、驚くべき情報が飛び込んできた。
「シリウス男爵?それなら、アルゴス研究都市の研究区画にいらっしゃいますよ?」
レイディアントが、アルゴス研究都市にいたのは、偶然である。たまたま、新型魔導機を守るために、アルゴス研究都市に寄っただけである。
セレスティアは、まだ気持ちの整理がついていないものの、シリウス男爵がいるなら挨拶に行くべきだと判断した。セレスティアは、いまだに老人だと思い込んでいる。
だが、セレスティアはまだ知らない。
セレスティアが嫁がされる相手が、老齢の男爵ではなく、自分と同じく仮面を被る者であることを。悪役令嬢の仮面を被せられた公爵令嬢、男装の仮面を被った女性。二人の出会いは、王太子の愚かな命令によって用意された。皮肉にもそれは、王国の運命を大きく変える出会いとなる。
「シリウス男爵にご挨拶に伺います。」
アルゴス研究都市の迎賓館では、まだ戦火の傷を隠しきれていなかった。
廊下の一部には応急補修の跡が残り、窓の外には修復中の外壁と、遠くに停泊する王国軍艦艇が見える。まだ、共和国軍の奇襲から日が浅く、都市全体には緊張が漂っていた。だが、その中でも貴族を迎えるための部屋だけは、王国の面子を保つように整えられていた。白い壁、深紅の絨毯、控えめな魔晶灯。戦場の中に無理やり作られた社交界の一角である。
レイディアントは、迎賓館の一室で王国からのシリウス男爵宛ての手紙を読み、固まっていた。金色の髪は軍人らしく整えられ、エメラルドグリーンの瞳には疲労が残っている。王国軍の制服の上から、シリウス男爵家当主としての略式礼装を纏っていた。軍人としても貴族としても正しい装いである。
「王太子殿下は、何を考えているのだろうか。」
答えなど出ない。
まさかシリウス男爵が、祖父であるマイナンであると勘違いし、公爵令嬢を嫌がらせで、老齢貴族の後妻にしようなどという発想は出ない。そのため、王国の意図がレイディアントには読めないのである。
『セレスティア・ヴァレンタインを現シリウス男爵の後妻にするように。』
レイディアントは結婚していない。
前後がないため、指示に従うことはできない。ようやくレイディアントは、理解した。
「つまりは、セレスティア・ヴァレンタイン公爵令嬢を一時的に保護しろということか。どうやら、老獪な狸がいるようだが、意図を読み取るのが難しすぎるな。」
レイディアントは、ようやく理解した。
王太子ルシオンではなく、王国内部に老獪な狸がおり、セレスティアを守ろうとしている存在がいる。ヴァレンタイン公爵本人なのか、別の人物かは分からないものの、結婚できない身であるため、安堵したのだった。
「失礼します。セレスティア・ヴァレンタイン公爵令嬢がお見えになられております。」
レイディアントは、驚く。
まだ手紙を読んだばかりである。この手紙は、マイナン経由でレイディアントに届けられており、タイミングが重なってしまった。
「お通し下さい。」
扉が開かれる。
セレスティアは、一瞬だけ驚くも、すぐに切り替え礼法通りに膝を折った。その優雅さは、まさに公爵令嬢であり、男女から憧れられる存在であることが所作だけでも理解できる。
「セレスティア・ヴァレンタインでございます。シリウス男爵閣下の御孫様にお目通りを賜り、感謝申し上げます。」
だか、優雅さでいえば、レイディアントも負けてはいない。男女が見惚れる所作でレイディアントも挨拶した。
「レイディアント・シリウスです。国王陛下より、男爵の地位を承っております。」
セレスティアは驚き、思わず顔を上げる。
驚くのも無理はない。セレスティアは、シリウス男爵が老人だと思っており、どう見ても二十代よりも若い。
「あなたが……シリウス男爵でございますか?失礼ですが、かなり御高齢の方と伺っておりました。」
「一度、在学中に祖父に代行で王太子様にご挨拶をお願いしたことがありました。どうやら、その時の噂が広がってしまったのでしょう。」
「そんなはずは…。王太子様がお会いされているはずなのに、勘違いするとは思えませんが…。」
「私も、困惑しています。ですが、もう十年近く、男爵の地位ですし、貴族名簿にも名前が載っておりますよ。」
セレスティアは、沈黙してしまった。
老齢の男爵に嫁がされると思っていたのに、嫁ぐ相手は、自分と同年代に見える美しい士官だった。金色の髪、エメラルドグリーンの瞳。中性的という言葉では足りないほど整った容貌。軍服を纏い、男爵として名乗っているが、どこか不思議な違和感がある。
「それでは、私はレイディアント様と結婚することになるのですね。」
その声は、平静だった。
どこかセレスティアは、自身の行く末に興味がないように見えるため、レイディアントは慎重に言葉を選ぶ。
「命令書では、現シリウス男爵の後妻となっております。ですが、私はまだ結婚していないため、命令を実行するのは当面難しいでしょう。」
「シリウス男爵へ嫁ぐのが大事なのであって、後妻でなくても問題ありません。」
「問題ありますよ。私は、命令書に従う義務があります。」
「これは、私への罰なのです。ですので、早くシリウス男爵に嫁ぎ、罰を執行したことにしなければなりません。」
「罰?いったい何の罪で、このような事態になったのですか?」
「王都星での出来事をお話しさせていただきます。」
レイディアントは、王都首都星の情報など、全くしらない。そのため、セレスティアの話す情報は、衝撃的であり、またもやレイディアントには理解できない事象だった。
「私は悪役令嬢だそうです。嫉妬に狂い、無辜の民を虐げた女。そういう悪女の仮面を被せられました。」
レイディアントは黙って聞いていた。セレスティアは続ける。
「あまりにも理不尽ですね。王太子様もですが、側近も、失礼ですがセレスティア様のご家族も冤罪であると主張されなかったのでしょうか?」
「面会謝絶だったそうです。どうやら、アントワネットとのデートが忙しかったようです。」
レイディアントは、ますます意味が分からない。
こんな横暴を許しては、貴族も黙っているはずがない。それでも、黙って許した。レイディアントには、貴族のあれこれなど分からない。結果的に見れば、ヴァレンタイン公爵は王太子ルシオンを見限っており、セレスティアに手を出させないようレイディアントに保護させ、レイディアントに手を出させないようにするように見える。
レイディアントは、ふとセレスティアの手が震えていることに気付いた。
「失礼。辛い過去を聞いてしまいましたね。」
「いえ、必要な情報ですので。けれど、正直に申し上げます。私は今、男性が怖いのです。王太子殿下だけではありません。あの場で黙っていた方々も、私を値踏みするように見ていた方々も、王太子殿下の命令一つで私の人生が動くことを当然だと思っていた方々も。」
紫の瞳が揺れた。
思い出し、またもや震える。国政の多くをすでに経験した身であったとしても、まだ若い女性なのである。この部屋には、男性であるレイディアントと二人である。断罪恐怖症になりつつあるセレスティアにとっては、乗り越えなくてはならないものの、厳しい環境だった。
「申し訳ありません。すぐにでと結婚すべきなのでしょうが、子をなすには少し時間をいただきたいのです。」
貴族令嬢の義務として、子孫を残すというものがある。
セレスティアは、その義務に従うつもりだったが、男性への恐怖があり、心が落ち着くまでは異性を受け入れるのは難しい。貴族令嬢としては、大きな傷となってしまっていた。レイディアントはしばらく目を伏せ、それから静かに言った。
「セレスティア様。私からも、秘密を一つお話ししましょう。」
「秘密…ですか?」
「はい。秘密を守れると誓えますか?」
セレスティアはわずかに身構え、そして、小さく頷いた。
「私は、女性を愛せない体なのです。」
セレスティアは、レイディアントの告白に固まった。つまり、レイディアントは男性同士でしか愛せない男性ということなのだろうと勝手に誤解した。
「そ、そうでしたか。その…」
王国法で、貴族は同性同士の結婚を禁止している。貴族は、血を繋ぐことが大事なのである。子をなすことができない志向は廃止されていた。
レイディアントは、手袋を外し、服の前を開ける。すると、そこにはサラシで隠された豊かな胸が現れる。
「もうそこまで…。」
セレスティアからすれば、レイディアントは女性になるための手術を受けたようにしか見えない。
「おっと、失礼…。」
レイディアントは、魔法を解く。その魔法は、阻害認識の魔法であり、レイディアントを見ると男性として思えてしまう魔法であった。
セレスティアは、レイディアントがその魔法を解いたことをすぐに分かる。そして、レイディアントのことをもう一度見ると、その事実に驚愕した。
「私は、軍籍上も戸籍上も男性です。シリウス男爵家の当主として、男として扱われています。ですが、実際には女性です。」
セレスティアは息を止めた。数秒間、言葉がなかった。女性であるという事実を飲み込むのに時間を要したのだ。すると、ふと震えが消えていく。目の前にいる人が男性ではなく女性であったという事実は、セレスティアの緊張を解くのに充分であった。
「正真正銘の女性……なのですか?」
「はい。」
「なぜ、男性と偽っているのでしょうか?」
「生まれた時の魔力量があまりに多く、周囲は男児だと思い込みました。両親は男子誕生と社交界に発表しました。その後、訂正する機会を失い、私は男として育てられました。両親は幼い頃に亡くなり、祖父も私を男だと思っています。私はシリウス男爵家当主として、男性貴族の義務に従って軍へ入りました。」
「つまり、あなたも仮面を?」
「はい。私は男装の仮面を被っています。あなたは悪役令嬢の仮面を被せられた。私たちは、どちらも、本来とは違う仮面を被せられているのかもしれませんね。」
セレスティアの目に、初めて涙が浮かんだ。
だがそれは、断罪の場で見せなかった涙だった。
「私は…、無理に男性を愛さなくても良いのですね。」
「はい。相手が私なら、不可能ですから。そのため、私は誰とも結婚する気はありません。ですので、命令書を実行することは不可能なのですよ。」
「王太子様が許すでしょうか?」
「許さないかもしれません。ですが、私は命令書通りに動くだけです。時間は、充分に稼げるでしょうが、より時間を稼ぐために、私の婚約者としてシリウス家の保護下に入ってください。そこで、ゆっくりと休むと良いでしょう。」
「婚約者として……」
「はい。妻ではなく、婚約者としてです。」
セレスティアは目を伏せた。
男性が怖い。
王太子に裏切られた傷は深い。だが、目の前のレイディアントは男性ではない。男として扱われているが、実際には女性であり、同じように社会から仮面を強いられた人だった。それだけで、すべてを信じられるわけではない。けれど、息を整える場所にはなるかもしれない。
「分かりました。私は、あなたの婚約者として過ごします。」
「ぜひ、そうして下さい。婚約者殿。」
「はい。婚約者様。」
レイディアントとセレスティアは、一瞬だけ目を合わせ、お互いに小さく笑った。本当に小さな笑みだった。
「さて、今の状況を説明しますが、近くの宙域で共和国軍がアルゴス研究都市を狙って攻撃予定です。すぐにでもシリウス領に出発すると良いでしょう。」
「レイディアント様に護衛を頼むことは可能てわしょうか?」
「残念ながら、私は別の任務があり、シリウス領に戻れません。」
「それでは、レイディアント様の傍にいたいと思います。」
「危険ですよ?」
「今の私は、どこにいても危険を感じます。それならば、レイディアント様の傍にいさせて下さい。」
「芯のつよい方だ。」
レイディアントは、セレスティアを気に入った。セレスティアも、レイディアントを気にいった。互いに、相性の良さを感じたのである。魔導士によくある話しなのだが、波長が合うという感覚があるのだ。二人は、まさしく波長が合っていた。
その時、通信端末が震えた。表示にはエリシア博士の名前が出ている。
『明日のアリエス実験、婚約者同伴でもいいわよ。美女が増えるなら歓迎』
レイディアントは無言で端末を伏せた。セレスティアが不思議そうに尋ねる。
「どなたですか?」
「危険人物です。」
「敵ですか?」
「味方ですが、ある意味では敵より厄介です。変態科学者なのですが、どうやら情報通でもあったようだ。」
「変態科学者…。もしや、黄道十二宮機計画の科学者の方ですか?」
「どうやら、セレスティア様も情報通のようですね。」
セレスティアは、少しだけ笑った。
黄道十二宮機計画の物資を承認したのが、セレスティア自身だったのである。そして、ふと思い出す。セレスティアは、卒業式前にアルゴス研究都市の資料を取り寄せようとしていた。明らかに、物資の搬入量が異常だったのである。もう仕事ではないのだが、セレスティアはつい考えてしまった。だが、セレスティアは、レイディアントの婚約者であるという立場を思い出し、すぐに考えることをやめる。
こうして、セレスティアは、王太子に追放された悪役令嬢として、シリウス男爵の婚約者として、シリウス男爵の庇護下に入った。
仮面を被るレイディアント・シリウス。仮面を被らされたセレスティア・ヴァレンタイン。仮面を被った二人は、王太子の愚かな命令によって出会う。天才の二人が出会うことの意味を知ることになるのは、まだ先になるのだが、どちらか片方だけであれば、歴史は大きく変わっていたのは間違いない。
短い期間で飛躍することになる二人は、手を取り合い、銀河を駆けるのだった。




